「蘭癖」と豪奢で藩財政を破綻させたが曾孫の島津斉彬を薫陶し雄藩薩摩への道を開いた破天荒大名
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照島津 重豪
1745年 〜 1833年
50点※
島津重豪の寸評
島津重豪の史実
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1745年
7代薩摩藩主島津重年の嫡子に島津重豪が出生
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1755年
島津重豪が8代薩摩藩主となる
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1763年
島津重豪が親政開始、藩政改革に着手
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1771年
島津重豪が藩校造士館を設立
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1771年
島津重豪が武芸稽古場演武館を設立
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1773年
島津重豪が明時館(天文館)を設立し暦学や天文学の研究を行う
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1774年
島津重豪が医学館を設立
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1787年
島津重豪が家督を嫡子の島津斉宣に譲って隠居、斉宣が9代薩摩藩主となる
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1809年
近思録崩れ事件、島津重豪が緊縮財政への転換を図る子の島津斉宣を隠居させ孫の島津斉興を10代薩摩藩主に据える
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1825年
異国船打払令
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1826年
島津斉宣が孫の島津斉彬を伴いシーボルトと会見
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1828年
シーボルト事件
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1828年
薩摩藩が財政破綻に瀕しお手上げ状態となった島津重豪が調所広郷を藩政改革主任に登用
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1830年
島津重豪が調所広郷に財政再建を厳命
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1831年
島津重豪へ贈従三位
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1832年
島津重豪が調所広郷を家老格に抜擢し破綻に瀕した薩摩藩の藩政改革を託す
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1833年
島津重豪が江戸高輪邸にて死去(享年89)
島津重豪の交遊録
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徳川家斉
11代将軍、娘婿にして豪奢仲間
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島津斉宣
薩摩藩主を強制隠居させた嫡子
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島津斉興
薩摩藩主を継がせた斉宣嫡子
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島津斉彬
期待を寄せた斉興嫡子
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島津久光
斉興庶子
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調所広郷
財政再建を託した能吏
島津重豪と同じ時代の人物
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維新
大久保 利通
1830年 〜 1878年
130点※
島津久光を篭絡して薩摩藩を動かし岩倉具視と結んで明治維新を達成、盟友の西郷隆盛も切捨てる非情さで内治優先・殖産興業・富国強兵の路線を敷き近代国家の礎を築いた日本史上最高の政治家
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
維新
高杉 晋作
1839年 〜 1867年
110点※
吉田松陰の枠を超えた「防長割拠論」を実践し庶民軍の奇兵隊を創設して洋式軍備を拡充、功山寺挙兵で佐幕政権を覆し薩長同盟で背後を固め第二次長州征討の勝利で幕威を失墜させた長州維新の英雄
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
維新
西郷 隆盛
1828年 〜 1877年
100点※
島津斉彬の懐刀として政治力・人脈を培い大人格者の威望をもって討幕を成遂げた薩摩藩の首魁、没落する薩摩士族に肩入れし盟友の大久保利通に西南戦争で討たれたが「大西郷」人気は今も健在
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照
年
基礎点 70点
島津重豪は、「蘭癖」と陰口されるほど西欧文明の導入に熱心に取組んで薩摩藩近代化の礎を築き、娘を将軍徳川家斉に縁付けるなど幕府政治への足掛りを構築、遺志を継いだ曾孫の島津斉彬・久光が明治維新を成遂げた。
減点 -20点
島津重豪の贅沢な暮らしと度を越した散財で藩財政は破綻、平時の政治家としては暗君の部類に入るだろう。財政再建を志した息子の島津斉宣とその官僚を粛清し、調所広郷に無茶な「厳命」を押付けた身勝手さも頂けない。ただ、この時期諸藩はどこも困窮しており、薩摩藩ほどではないが長州藩・佐賀藩など後の雄藩も破綻に瀕していた事実を考えると、酌量の余地はあるだろう。