史上最高の内閣支持率を背景に長期政権を担い、米国に迎合して郵政民営化等「聖域無き構造改革」と「対テロ戦争」を推進、景気回復・行財政改革どころか国債残高急膨張だけを残した「劇場型政治」創始者
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照小泉 純一郎
1942年 〜 年
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小泉純一郎の寸評
小泉純一郎の史実
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1942年
衆議院議員小泉純也の嫡子小泉純一郎が神奈川県横須賀市にて出生
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1942年
翼賛選挙で小泉又次郎・小泉純也が衆議院議員の議席を保ち又次郎は翼賛政治会代議士会長に就任
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1944年
小磯國昭内閣(陸軍)発足、小泉又次郎(小泉純一郎の祖父)が内閣顧問就任
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1945年
小泉又次郎(小泉純一郎の祖父)が貴族院議員に勅選される
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1945年
日本がポツダム宣言に基づく降伏を通告
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1946年
GHQが公職追放指令(1951年解除)、小泉又次郎・小泉純也父子も遭難し一家は困窮
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1946年
新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)
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1946年
GHQが自主路線の鳩山一郎を公職追放し第一党自由党の後継総裁に吉田茂が就任
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1947年
GHQ作成日本国憲法施行
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1948年
民主党を離脱した幣原喜重郎グループ(田中角栄も)が自由党に合流し民主自由党成立(吉田茂総裁)
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1948年
GHQ参謀第2部が民政局を打倒し第二次吉田茂内閣(民主自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任
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1950年
朝鮮戦争勃発、米軍の特需で日本経済は蘇生しアメリカは破壊から復興へ対日政策を転換
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1950年
GHQ指令を受け吉田茂政府が国家警察予備隊(自衛隊)創設
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1951年
自由党に鳩山一郎の派閥が起り吉田茂の主流派と勢力伯仲
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1951年
公職追放解除
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1951年
小泉又次郎(小泉純一郎の祖父)死去
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1952年
サンフランシスコ講和条約・日米安保条約・行政協定が発効、GHQは廃止され日本は独立を達成
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1952年
重光葵が政界復帰し三木武夫ら改進党の総裁に迎えられる
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1952年
自由党で吉田茂派と鳩山一郎派の溝が深まり吉田首相は抜打解散で対抗
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1952年
衆議院総選挙、自由党が圧勝し鳩山一郎ら公職追放解除者が衆議院議席の42%を占める、岸信介の日本再建連盟は大敗
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1952年
福田赳夫が群馬3区から無所属(岸信介派)で出馬し衆議院議員初当選(~1990)
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1952年
小泉純也(小泉純一郎の父)が神奈川2区から改進党公認で出馬し衆議院議員復帰(~1969)
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1953年
右派社会党に入党を断られた岸信介が福田赳夫ら配下と共に佐藤栄作のツテで与党自由党に入党
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1953年
岸信介(自由党)が山口2区から出馬し衆議院議員に当選(~1979)
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1953年
朝鮮戦争休戦、反動需要減に日銀の金融引き締めが拍車をかけ長期不況に陥る
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1953年
鳩山一郎が分自党を解消し吉田茂の自由党に復党、三木武吉・河野一郎・石橋湛山らが離脱し日本自由党結成
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1953年
奄美群島が本土復帰
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1954年
アメリカの圧力により吉田茂政府が国家警察予備隊を常設軍隊「自衛隊」へ改組(陸上13万人・海上1万5千人・航空6千人)
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1954年
吉田茂首相の自由党が従米路線に反抗する岸信介を除名
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1954年
反抗勢力が日本民主党に合同し(鳩山一郎総裁・重光葵副総裁・岸信介幹事長)内閣不信任決議で吉田茂内閣を打倒、小泉純也(小泉純一郎の父)も民主党加盟
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1954年
第一次鳩山一郎内閣(民主党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任
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1954年
高度経済成長はじまる(~1973)
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1955年
総選挙、鳩山一郎首相の民主党政権は絶対多数を獲得できず憲法改正を断念し対ソ外交に注力
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1955年
第二次鳩山一郎内閣(民主党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任
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1955年
左右社会党統一(鈴木茂三郎委員長・浅沼稲次郎書記長、衆院156議席・参院69議席)
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1955年
保守合同で自由民主党(鳩山一郎総裁・岸信介幹事長、衆院299議席・参院69議席)が発足し「55年体制」開始、小泉純也(小泉純一郎の父)も自民党加盟
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1955年
第三次鳩山一郎内閣(自民党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任
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1956年
鳩山一郎政府が経済白書に「もはや戦後ではない」と記し戦後復興完了を宣言
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1956年
自主路線の鳩山一郎内閣が日ソ国交回復を達成
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1956年
日ソ国交回復を受け国際連合が日本の加盟を承認、重光葵外相の国連総会演説が賞賛される
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1956年
石橋湛山内閣(自民党・言論人・自主路線)発足、岸信介が外務大臣就任、池田勇人が大蔵大臣就任
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1957年
鳩山一郎が自民党を離党し吉田茂派の佐藤栄作らが自民党復帰
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1957年
第一次岸信介内閣(自民党・経済官僚・自主路線)発足、岸信介が外務大臣兼任(藤山愛一郎と途中交代)、池田勇人が大蔵大臣就任
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1958年
総選挙、岸信介首相の与党自民党は大勝できず憲法改正を断念し安保改定に注力
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1958年
第二次岸信介内閣(自民党・経済官僚・自主路線)発足、藤山愛一郎が外務大臣就任、佐藤栄作が大蔵大臣就任
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1958年
全学連・社会党・総評が岸信介政権を攻撃し「安保闘争」が過熱
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1959年
鳩山一郎死去
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1960年
日米新安保条約・地位協定発効
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1960年
第一次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
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1960年
第二次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
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1960年
池田勇人内閣が「所得倍増計画」を閣議決定
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1960年
ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否
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1962年
キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避
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1963年
第三次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
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1964年
小泉純也(小泉純一郎の父)が防衛庁長官で初入閣
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1964年
米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化
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1964年
東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通
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1964年
東京オリンピック
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1964年
中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)
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1964年
第一次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足、小泉純也(小泉純一郎の父)が防衛庁長官就任
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1965年
内閣改造で田中角栄に代わり福田赳夫が大蔵大臣就任、田中は自民党幹事長・政調会長等を歴任し佐藤栄作首相を補佐
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1967年
福田赳夫が自民党幹事長就任、「黒い霧解散」後の総選挙で自民党勝利
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1967年
第二次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足
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1967年
小泉純一郎が慶應義塾大学経済学部を卒業しロンドン大学留学
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1967年
中国が水爆実験実施(米ソに次ぐ3番目の水爆保有国)
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1967年
欧州共同体(EC)発足
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1967年
東南アジア諸国連合(ASEAN)発足
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1967年
吉田茂死去
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1968年
小笠原諸島が本土復帰
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1968年
内閣改造で水田三喜男に代わって福田赳夫が大蔵大臣就任
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1968年
日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる
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1969年
リチャード・ニクソン(共和党)が米大統領就任(~1974)
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1969年
小泉純也が急死し長男の小泉純一郎がイギリス留学から戻り地盤を継ぐ
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1969年
朴正煕と親しい岸信介が日韓協力委員会を設立し会長就任
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1969年
佐藤栄作首相とニクソン米大統領が沖縄返還を基本合意、核兵器持込み容認と日本の繊維輸出自主規制を密約
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1969年
小泉純一郎が自民党公認で衆議院議員選に出馬するも落選し福田赳夫の秘書となる(福田は亡父の小泉純也が属した岸信介の後継者)
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1969年
「田中角栄の秘蔵子」小沢一郎が岩手2区から自民党公認で出馬し衆議院議員初当選
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1969年
冷戦のデタント時代(~1979)
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1970年
第三次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足、福田赳夫が大蔵大臣就任
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1970年
佐藤栄作内閣が日米新安保条約・地位協定の継続を選択
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1971年
ニクソン米大統領が訪中宣言(ニクソン・ショック)、繊維問題の報復で日本は蚊帳の外
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1971年
ニクソン米大統領がドル兌換停止宣言(ニクソン・ショック)、ブレトン・ウッズ体制(金本位制に基づく対ドル固定相場制)が崩壊し急激な円高が日本の輸出産業を直撃
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1971年
アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)
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1972年
沖縄返還
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1972年
政権を狙う田中角栄が福田赳夫を支持する佐藤栄作の派閥を割り田中派結成
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1972年
岸信介の後継者で佐藤栄作首相が推す福田赳夫を田中角栄が破り自民党総裁選に勝利(角福戦争)
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1972年
第一次田中角栄内閣(自民党・土建業・自主路線)発足
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1972年
田中角栄首相が訪中し日中国交正常化(台湾が日本に国交断絶を通告し台湾断交)、ニクソン・キッシンジャー米政権は激怒
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1972年
小泉純一郎が選挙活動のため『小泉又次郎伝』刊行
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1972年
小泉純一郎(自民党福田赳夫派)が神奈川11区から出馬し衆議院議員初当選(~2009)
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1972年
小泉純一郎が飯島勲を秘書に採用
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1972年
第二次田中角栄内閣(自民党・土建業・自主路線)発足、福田赳夫が行政管理庁長官就任
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1973年
第四次中東戦争、エジプト・シリア軍の先制攻撃にイスラエル軍が大苦戦
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1973年
第一次オイルショック(狂乱物価と省エネブーム)で高度経済成長が終焉、田中角栄内閣の「日本列島改造」は挫折し福田赳夫の総需要抑制策へ転換
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1973年
愛知揆一の急死を受け福田赳夫が蔵相就任、総需要抑制政策への転換で田中角栄内閣の「日本列島改造論」が挫折
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1974年
ジェラルド・R・フォード(共和党)が米大統領就任(~1977)
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1974年
立花隆が『文藝春秋』で「田中角栄研究 その人脈と金脈」を発表、アメリカと従米派による田中角栄下しが始まる
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1974年
三木武夫内閣(自民党・従米路線)発足、福田赳夫が副総理兼経済企画庁長官就任
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1975年
佐藤栄作死去、日本武道館で大隈重信以来の「国民葬」(葬儀委員長は田中角栄)
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1975年
第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加
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1975年
戦後2度目の国債発行、赤字国債発行が恒常化(~1989)
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1976年
田中角栄前首相がロッキード事件で逮捕される
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1976年
毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結
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1976年
福田赳夫内閣(自民党・財務官僚・自主路線)発足
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1977年
ジミー・カーター(民主党)が米大統領就任(~1981)
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1977年
カーター米大統領が在韓地上軍の削減を発表し米国の「アジア離れ」が始まる
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1977年
福田赳夫首相が訪米しカーター大統領と会談、アジア政策での日米協調を根回し
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1977年
第3回先進国首脳会議(ロンドンサミット)、福田赳夫首相が自由貿易体制堅持の必要性を説く
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1977年
福田赳夫内閣が北方領土問題と切離すことで日ソ漁業協定を妥結
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1977年
福田赳夫首相がASEANを歴訪し「福田ドクトリン」「全方位平和外交」声明
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1977年
日本赤軍が日航機をハイジャック、福田赳夫首相が身代金および赤軍メンバー釈放の要求に応じる
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1977年
第10期3中全会で鄧小平が復活し中共中央の実権を掌握
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1978年
A級戦犯の死刑者7人および獄中病死者5人が「国家のための殉難者」として靖国神社に合祀される
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1978年
三里塚闘争が掃討され成田国際空港開業
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1978年
日中平和友好条約締結
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1978年
鄧小平が日中平和友好条約批准で訪日し昭和天皇と会談し新日鉄・トヨタ・松下電器等を視察
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1978年
第11期3中全会で鄧小平指導部が文革否定・改革開放路線決定
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1978年
「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」運用開始
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1978年
自民党総裁選で現職首相の福田赳夫が田中角栄の支持を得た大平正芳(宏池会)にまさかの敗北
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1978年
第一次大平正芳内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
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1979年
岸信介・福田赳夫ラインが清和会結成
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1979年
鄧小平が訪米し米中国交樹立、「米中対ソ」の対立構図が鮮明となる
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1979年
ベトナムがカンボジアに侵攻し中越戦争勃発(ソ連と中国の代理戦争)
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1979年
ホメイニーのイスラム勢力が米英の傀儡パーレビ王朝を滅ぼし(イラン革命)第二次オイルショック発生
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1979年
大平正芳首相が訪米し福田赳夫前首相の「全方位外交」を引込め「日米同盟」を強調
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1979年
解散総選挙で与党自民党が大敗、福田赳夫が首相指名選に挑むが田中角栄の支持で大平正芳首相が防衛(四十日抗争)
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1979年
岸信介が地盤を吹田愰に譲り政界引退(衆院選不出馬)
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1979年
第二次大平正芳内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
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1979年
小泉純一郎が大蔵政務次官就任、与野党の既得権益を害する郵政民営化を主張し変人扱い
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1979年
アフガニスタン紛争で米ソ衝突(~1989)、デタントが終焉し冷戦が激化
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1980年
内閣不信任決議を受け大平正芳内閣が「ハプニング解散」総選挙
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1980年
大平正芳首相が総選挙の最中に心不全で急死(享年70)、田中角栄の支持で大平派の鈴木善幸が自民党総裁を後継
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1980年
鈴木善幸内閣(自民党・漁協職員・自主路線)発足
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1980年
ワインバーガー米国防長官の防衛費増額要請を鈴木善幸首相が拒否
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1980年
イラン・イラク戦争勃発(アメリカによるイラン叩き)(~1988)
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1981年
ロナルド・レーガン(共和党)が米大統領就任(~1989)~軍核戦争と富裕層減税で「双子の赤字」膨張、日本経済的視政策への転換
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1982年
第一次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足
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1983年
中曽根康弘首相が韓国の全斗煥大統領を訪問、アメリカの対韓経済援助40億ドルの肩代わり献金を決定
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1983年
中曽根康弘首相が訪米し「不沈空母」発言が物議を醸すが訂正せず
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1983年
ロッキード事件裁判で田中角栄元首相に懲役4年・追徴金5億円の有罪判決
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1983年
第二次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足
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1983年
福田赳夫が岸信介の女婿安倍晋太郎に清和会会長を禅譲
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1985年
ソ連でゴルバチョフが政権を掌握しペレストロイカ(再建)・グラスノスチ(情報公開)を断行
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1985年
アメリカが通商法301条に基づき100%関税など日本製品への制裁を開始
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1985年
プラザ合意(中曽根康弘内閣による円高容認)、1ドル240円から一気に円高が加速し日本経済の長期低迷と製造業の空洞化が始まる
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1985年
レーガン米大統領とゴルバチョフソ連書記長がジュネーヴで会談し核軍縮協議を開始
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1986年
ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故
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1986年
第三次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足
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1986年
「円高不況」打開のため積極的な金融・財政政策が採られ「バブル景気」が始まる
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1986年
ODAが50億ドル突破・アジア向けが急増
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1987年
中曽根康弘政権下で国鉄が分割民営化されJR各社発足
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1987年
竹下登・金丸信が小沢一郎・小渕恵三・橋本龍太郎ら「竹下派七奉行」を従え田中角栄の派閥を乗取り「経世会」発足
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1987年
岸信介死去
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1987年
「ほめ殺し」の皇民党事件、極道の仲介で竹下登が田中角栄邸を訪ね謝罪するが門前払い
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1987年
竹下登内閣(自由民主党・自主路線)発足
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1987年
米ソが中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)締結
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1988年
アメリカがスーパー301条により対日制裁を強化
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1988年
竹下登首相が米軍への軍事協力否定を表明しアメリカに睨まれる
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1988年
朝日新聞報道によりリクルート事件発生
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1988年
FRBが日本叩きのBIS規制を導入し(自己資本比率8%)邦銀が消極姿勢に転換
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1988年
小泉純一郎が厚生大臣で初入閣
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1988年
イラン・イラク戦争終結
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1989年
昭和天皇が崩御し平成に改元
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1989年
ジョージ・H・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~1993)~冷戦に代わる中東戦争演出と「バードンシェアリング(防衛責任の増強)」強要
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1989年
竹下登政権が初の消費税導入(3%)
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1989年
宇野宗佑内閣(自民党・中曽根系)発足、小泉純一郎が厚生大臣就任
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1989年
革新派の胡耀邦追悼集会が第二次天安門事件に発展、保守派優勢となり趙紫陽総書記失脚
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1989年
日米構造協議(アメリカによる内政干渉)開始
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1989年
第一次海部俊樹内閣(自民党三木三木武夫系・従米路線)発足
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1989年
最大派閥経世会の小沢一郎が自民党幹事長就任(~1891)
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1989年
三菱地所のロックフェラーセンター買収・ソニーのコロンビア映画買収でジャパンバッシングに拍車
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1989年
アジア太平洋経済協力(APEC)発足
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1989年
「ベルリンの壁」崩壊
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1989年
H・W・ブッシュ米大統領とゴルバチョフソソ連書記長がマルタ会談で冷戦終結を宣言
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1989年
バブル潰しの土地基本法成立
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1989年
日経平均株価の終値最高値更新(38915.87円)
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1990年
衆議院解散に伴い福田赳夫が政界引退、群馬3区の地盤を継いだ長男の福田康夫が衆議院議員初当選
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1990年
衆議院解散に伴い田中角栄が政界を引退し越山会も解散
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1990年
第二次海部俊樹内閣(自民党・三木系従米路線)発足
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1990年
「土地関連融資抑制に関する行政指導(総量規制)」を機に一気に信用収縮へ向かう
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1990年
ゴルバチョフのライバル・エリツィンがロシアの実権掌握
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1990年
ドイツ再統一
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1990年
世界の金融機関総資産ランキングで邦銀7行がベスト10入り
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1991年
「米国の死活的脅威」を問う世論調査で「日本の経済力」が断トツ1位に
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1991年
湾岸戦争勃発(ソ連に代わる新しい敵・増長したフセインの粛清)、日本は130億ドルの資金協力、米ドル乱発による超円高時代はじまる
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1991年
バブル崩壊(「失われた10年」)
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1991年
ゴルバチョフが訪日し海部俊樹首相と会談
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1991年
宮澤喜一内閣(自民党・財務官僚)発足(経世会の小沢一郎が総裁選出馬を見送るが「面接」で宮澤総理を選択)
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1991年
エリツィン・ロシアの脱退でソ連が崩壊し米ソ冷戦が完全終結
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1991年
米国覇権主義「グローバリズム」「新自由主義」が台頭
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1991年
ODAが100億ドル突破・以後高止まり
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1992年
鄧小平が「南巡講話」で保守派を抑え改革開放路線を決定付ける
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1992年
アマコスト駐日大使の工作によりPKO協力法成立、自衛隊がカンボジアへ出動
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1992年
田中角栄が中国訪問し鄧小平を筆頭に「日中友好の井戸を掘った友人」と大歓待
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1992年
東京佐川急便事件で金丸信が議員辞職、経世会の後任会長に竹下登が推す小渕恵三が就任し金丸直系の小沢一郎・羽田孜らが離脱
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1992年
CIAの役割が経済諜報へシフトし日本が主標的となる
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1992年
内閣改造で小泉純一郎が郵政大臣就任、持論の郵政民営化へ向け老人マル優限度額引上げを策すが挫折
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1993年
ビル・クリントン(民主党)が米大統領就任(~2001)~日本から中国への重点シフト・円高政策と「年次要望改革書」による対日経済攻勢
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1993年
小沢一郎・羽田孜らが自民党を離脱し新生党結成
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1993年
田中眞紀子が田中角栄の地盤新潟3区から出馬し衆議院議員初当選
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1993年
小沢一郎の造反で細川護熙内閣(非自民連立・公家・自主路線)が発足し「55年体制」終焉
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1993年
欧州連合(EU)発足
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1993年
APECシアトル会議でクリントン米大統領が貿易・投資の自由化促進を提唱
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1993年
田中角栄が刑事被告人のまま死去
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1994年
アメリカによる対日内政干渉「年次改革要望書」の運用開始
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1994年
羽田孜内閣(非自民連立)発足
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1994年
村山富市内閣(自社さ連立)発足
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1994年
新生党の小沢一郎が日本新党など非自民政党を糾合し新進党発足(初代党首は海部俊樹)
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1994年
赤字国債発行が再開され以後国債発行残高が急増
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1995年
GATTが発展解消し世界貿易機関(WTO)発足
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1995年
阪神・淡路大震災
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1995年
地下鉄サリン事件
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1995年
円高が急進しドル円が80円割れ
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1995年
オウム真理教の麻原彰晃らを逮捕
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1995年
福田赳夫(小泉純一郎の師匠)死去
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1995年
村山富市首相が大東亜戦争を日本の侵略と認めアジア諸国に公式謝罪(村山談話)
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1995年
小泉純一郎が自民党総裁選に初挑戦し橋本龍太郎に敗北
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1995年
新進党で小沢一郎が幹事長から党首となり羽田孜との対立が激化
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1996年
第一次橋本龍太郎内閣(自社さ連立)発足
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1996年
鳩山由紀夫・菅直人らが自社さ連立政権から離脱し民主党結成
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1996年
総選挙、政権交代を掲げた新進党も民主党も勝てず橋本龍太郎首相は自民党単独組閣へ
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1996年
第二次橋本龍太郎内閣(自民単独)発足、小泉純一郎が厚生大臣就任
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1996年
「金融ビッグバン」で外資の日本侵出が加速、宮内義彦が政府規制改革審議会の議長に就任し(2006年小泉純一郎内閣退陣まで在任)適債基準撤廃など大蔵規制緩和を引出したオリックスは直接金融で資金力を高めM&Aで躍進
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1997年
鄧小平が死去し江沢民らの集団指導体制が発足、格差社会・資本主義国化が加速
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1997年
消費増税(5%)
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1997年
鄧小平の「一国二制度論」に基づき香港返還
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1997年
ヘッジファンドの売り仕掛けでアジア通貨危機が発生し経済破綻したタイ・インドネシア・韓国がIMF管理下に入る
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1997年
政府の「護送船団方式」放棄により拓銀・長銀・日債銀・山一證券・三洋証券など大手金融機関の破綻が相次ぐ
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1997年
小沢一郎執行部の求心力低下により新進党が分裂解散
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1998年
小沢一郎が自由党を結成し党首就任(~2003)
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1998年
小泉純一郎が自民党総裁選に再出馬するが小渕恵三・梶山静六に次ぐ三位で落選
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1998年
小渕恵三内閣(自自公連立)発足
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1998年
金融再生関連法が相次いで成立
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1998年
「新自由主義」「市場原理主義」が世界を席巻
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1999年
自由党が与党自民党と連立し小沢一郎は5年ぶりに与党復帰
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1999年
日銀のゼロ金利政策はじまる
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1999年
新日米防衛協力指針(新ガイドライン)関連法成立
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1999年
ソ連大統領のエリツィンが失脚しKGB出身のプーチンが最高指導者を承継
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2000年
小沢一郎の自由党が離脱し自自公連立が自公連立となる
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2000年
森喜朗の組閣にあたり小泉純一郎が清和会会長を後継
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2000年
第一次森喜朗内閣(自公連立)発足
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2000年
小渕恵三が死去し橋本龍太郎が経世会会長を後継
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2000年
竹下登死去
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2000年
第二次森喜朗内閣(自公連立)発足
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2001年
ITバブル崩壊
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2001年
ジョージ・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~2009)~「予防戦争」論に基づく米軍大暴走で「テロ時代」幕開け
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2001年
第一次小泉純一郎内閣(自公連立・従米路線)発足
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2001年
小泉純一郎首相が公約の靖国神社公式参拝を実施(終戦日参拝は2006年のみだが在任中毎年挙行)
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2001年
9.11同時多発テロ、小泉純一郎内閣が対テロ戦争参加を表明
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2001年
アフガニスタン戦争、タリバン政権崩壊後も泥沼の内戦が続く
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2001年
テロ対策特別措置法成立
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2001年
国債発行額が300兆円突破
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2001年
完全失業率が初めて5%突破
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2002年
EU統一通貨ユーロ流通開始
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2002年
ブッシュ大統領が一般教書演説でイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と断罪
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2002年
小泉純一郎首相が官僚と対立した田中眞紀子外相を更迭
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2002年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ健康保険本人3割負担導入
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2002年
FIFAワールドカップ日韓大会
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2002年
小泉純一郎首相が北朝鮮と初の首脳会談を行い日朝平壌宣言を行うがブッシュ米政権に叱られ従米転向
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2002年
日朝平壌宣言の成果で北朝鮮から拉致被害者5人が帰国
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2003年
イラク戦争(~2011)、フセイン政権崩壊後も泥沼の内戦が続く
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2003年
小泉純一郎政権が郵政事業庁を廃止し日本郵政公社発足
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2003年
個人情報保護法成立
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2003年
有事関連三法成立
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2003年
小沢一郎の自由党が民主党に合流
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2003年
宮澤喜一・中曽根康弘の両長老が小泉純一郎首相に引導を渡され政界引退
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2003年
「マニフェスト選挙」で民主党躍進
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2003年
第二次小泉純一郎内閣(自公連立・従米路線)発足
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2003年
小泉純一郎内閣がイラク戦争に自衛隊を派遣(~2009)
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2003年
国債発行額が400兆円突破
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2004年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ労働者派遣法改定で製造業派遣解禁
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2004年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ司法試験制度を変更し法科大学院(ロースクール)設置
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2004年
イラク日本人人質事件
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2004年
小泉純一郎首相が北朝鮮で第2回日朝首脳会談を行い食糧・医療品の支援表明で拉致被害者家族の帰国が実現
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2004年
小泉純一郎が首相として初めて朝鮮総聯に祝辞を贈る
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2004年
江沢民から胡錦濤指導部へ政権交代
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2004年
小泉純一郎首相がアルカイダの自衛隊撤退要求を拒否しイラク日本人青年殺害事件発生
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2004年
中内功追放も遅きに失しダイエーの自力再建案を銀行団が拒否、小泉純一郎首相の裁定で金融庁が経産省を抑え産業再生機構送り決定
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2005年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ日本道路公団を解散し分割民営化
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2005年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ商法改定で米国流会社法へ改編
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2005年
「村山談話」を踏襲する首相談話を発表し侵略行為と植民地支配を謝罪
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2005年
「郵政解散」総選挙で小泉純一郎首相が「抵抗勢力」を駆逐し民主党も大敗
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2005年
バブル崩壊の象徴となったダイエー創業者の中内功が死去(享年83)
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2005年
第三次小泉純一郎内閣(自公連立)発足
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2005年
人口減少社会突入・65歳以上人口が20%突破(総人口1億2777万人)
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2005年
小泉純一郎政権が「日米同盟 未来のための変革と再編」で日米同盟の範囲を全世界の「予防戦争」へ拡大
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2005年
小泉純一郎政権が郵政民営化関連法を成立させ大蔵省は悲願達成
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2005年
地価が1991年ピーク時の50%を割る
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2006年
ニッポン放送株式買占めに絡むライブドア事件発生、永田寿康議員の「堀江メール問題」で民主党執行部が総退陣し小沢一郎が代表就任(~2009)
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2006年
公共サービス改革法(市場化テスト法)成立で「小泉構造改革」総仕上げ、宮内義彦議長の総合規制改革会議が法定の議事録を残していない不祥事が発覚
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2006年
オリックスのM&A実働部隊「村上ファンド」の村上世彰がインサイダー容疑で逮捕(2011年執行猶予付き有罪判決が確定)、小泉純一郎首相の任命責任に係る福井俊彦日銀総裁と宮内義彦は運良く検察の追及を免れる
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2006年
小泉純一郎が首相卒業のご褒美にブッシュ米大統領邸訪問
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2006年
小泉純一郎首相がロシアサンクトペテルブルクサミット(G8)出席
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2006年
小泉純一郎内閣が任期満了で退陣(在任1980日)
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2006年
第一次安倍晋三内閣(自公連立)発足
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2006年
あおぞら銀行(旧日債銀)が東京証券取引所1部に再上場、宮内義彦のオリックスはサーベラス・東京海上火災と共に暴利を貪る
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2006年
北朝鮮の核実験成功宣言で(真偽不明)東アジア情勢が緊迫化
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2006年
米軍がイラクでサダム・フセインを拘束し殺害
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2007年
サブプライム危機で米住宅バブルが崩壊し超円高時代へ突入
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2007年
アメリカの圧力により日本版三角合併解禁(外資によるM&A促進策)
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2007年
参議院選挙、小沢一郎の民主党が過半数議席を獲得し「ねじれ国会」始まる
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2007年
福田康夫内閣(自公連立)発足
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2008年
第34回主要国首脳会議(洞爺湖サミット)、ブッシュ米大統領の自衛隊輸送機アフガニスタン派遣要請を福田康夫首相が拒否
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2008年
ブッシュ政権からの米金融機関救済要請を福田康夫首相が拒否
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2008年
リーマン・ショックが世界的金融危機に拡大し日経平均株価は7000円割れ
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2008年
麻生太郎内閣(自公連立)発足
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2009年
バラク・オバマ(民主党)が米大統領就任
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2009年
鳩山邦夫総務相が「かんぽの宿」70施設のオリックス不動産への不正入札疑惑(2400億円→109億円)を暴露し西川善文日本郵政社長が契約撤回
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2009年
小沢一郎が在日米軍基地削減と「有事駐留」を提唱(第七艦隊発言)、10日後に西松建設献金問題が起り組閣目前で民主党代表を鳩山由紀夫に譲る
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2009年
総選挙、民主党が憲政史上最高の議席占有率64.2%を獲得
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2009年
小泉純一郎が政界引退、神奈川11区の地盤を継いだ次男の小泉進次郎が衆議院議員初当選
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2009年
鳩山由紀夫内閣(民主党・小沢一郎幹事長)発足
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2009年
鳩山由紀夫政権がアメリカの対日内政干渉「年次改革要望書」を廃止
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2009年
民主党政権が行政刷新会議で目玉政策「事業仕分け」をはじめるが官僚の抵抗でパフォーマンスに終始(のちノーベル賞を受賞する山中伸弥京大教授も大幅予算カット)
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2010年
日経新聞報道でゆうちょ銀行の米国債大量購入が発覚し小泉純一郎政権の郵政民営化の真意に疑問符
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2010年
普天間基地移設に係る「最低でも県外」発言撤回で内閣支持率が低下し鳩山由紀夫首相が辞任
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2010年
菅直人内閣(民主党・小沢一郎幹事長)発足
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2010年
尖閣諸島で中国漁船衝突事件が起り菅直人内閣が混乱
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2010年
与党民主党で内部対立が深まり小沢一郎幹事長が代表選に出馬するが菅直人の続投決定
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2010年
中国のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となり日本は42年ぶりに転落
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2011年
菅直人首相がアメリカによる「第三の開国」を受入れTPP推進を表明
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2011年
小沢一郎が陸山会事件で強制起訴され(翌年無罪確定)民主党は党員資格剥奪
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2011年
菅直人内閣が「年次改革要望書」に代わる内政干渉「日米経済調和対話」受入れ
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2011年
東日本大震災および福島第一原子力発電所事故
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2011年
小沢一郎・鳩山由紀夫らの「管おろし」が活発化
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2011年
米軍特殊部隊がパキスタンでウサマ・ビン・ラーディン殺害
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2011年
野田佳彦内閣(民主党・小沢一郎幹事長)発足
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2011年
自民党が人気者の小泉進次郎(小泉純一郎の次男)を青年局長に擁立
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2011年
民主党政権の無策で超円高が進行しドル円が75円32銭の戦後最高値を更新
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2011年
米軍の完全撤収によりオバマ米大統領がイラク戦争終結を宣言
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2012年
小沢一郎グループ50人が民主党を割り「国民の生活が第一」結党
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2012年
石原慎太郎東京都知事の暴走で尖閣諸島問題が先鋭化し日本政府は已む無く国有化
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2012年
胡錦濤から習近平指導部へ政権交代、社会格差是正・汚職撲滅を標榜
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2012年
民主党政権初の総選挙、民主党は歴史的大敗を喫し(230→57)自民党が議席占有率61.2%で大逆転
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2012年
第二次安倍晋三内閣(自公連立)発足
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2013年
アベノミクスへの期待と異次元金融緩和で株高・円安への是正が進展
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2013年
総選挙、自民党完勝で「ねじれ国会」解消
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2013年
小泉進次郎(小泉純一郎の次男)が自民党青年局長から内閣政務官へ転任
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2014年
「脱原発」を掲げて東京都知事選に立候補した細川護煕を支援
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2014年
ロシア・ウクライナ紛争
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2014年
消費増税(8%)
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2014年
『朝日新聞』が朝鮮人従軍慰安婦の虚偽報道を認め関連記事を撤回するが朴槿惠韓国政権は無視
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2015年
自民党がTPP妥結のため自民党農林部会長を人気者の小泉進次郎(小泉純一郎の次男)に託す
小泉純一郎の交遊録
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小泉又次郎
祖父
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小泉岩吉
大叔父・スポンサー
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小泉純也
父
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小泉芳江
母
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小泉道子
姉
-
小泉信子
姉
-
小泉正也
弟
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小泉力也
正也の子・ホストクラブ無許可経営で逮捕
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小泉孝太郎
長男・俳優
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小泉進次郎
次男・後継者
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飯島勲
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竹中平蔵
小泉構造改革の両輪
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宮内義彦
小泉構造改革の両輪・オリックスの改革利権王
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竹内清
横須賀の顔役・選対本部長
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小沢一彦
後援会長
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竹本治三郎
祖父の盟友
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竹本公輔
姉道子の前夫・窃盗常習犯
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福田赳夫
師匠
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福田康夫
坊ちゃん
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安倍晋太郎
清和会仲間
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安倍晋三
清和会仲間
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山崎拓
YKK仲間
-
加藤紘一
YKK仲間・宏池会
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谷垣禎一
加藤派
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塩川正十郎
清和会仲間
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森喜朗
清和会仲間
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町村信孝
清和会仲間
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三塚博
清和会仲間
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中川秀直
清和会仲間
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田中眞紀子
客寄せパンダ
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石原伸晃
客寄せパンダ
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竹中平蔵
従米ブレーン
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中曽根康弘
引退勧告
-
宮沢喜一
引退勧告
-
麻生太郎
宏池会
-
竹下登
経世会
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小渕恵三
経世会
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橋本龍太郎
経世会
-
梶山静六
経世会
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野中広務
経世会
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宇野宗佑
経世会の傀儡首相
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海部俊樹
経世会の傀儡首相
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村上正邦
因縁の相手
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鈴木宗男
眞紀子の宿敵
-
野中広務
小泉おろし失敗で引退
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亀井静香
抵抗勢力
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平沼赳夫
抵抗勢力
-
島村宜伸
抵抗勢力
-
永岡洋治
郵政民営化で自殺
-
永田寿康
堀江メール問題で自殺
-
渡辺喜美
脱原発仲間
-
小沢一郎
脱原発仲間
-
細川護熙
脱原発仲間
-
鳩山邦夫
改革利権の糾弾者
-
奥田碩
懇意の財界人
-
中内功
引導を渡したダイエー創業者
-
子ブッシュ
親分
-
金正日
平壌宣言
小泉純一郎と同じ時代の人物
-
戦後
岸 信介
1896年 〜 1987年
100点※
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
戦後
重光 葵
1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
戦後
孫 正義
1957年 〜 年
100点※
在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照
年
基礎点 0点
小泉純一郎は、「劇場型政治」で史上断トツの内閣支持率を獲得し1980日の長期政権を樹立、子ブッシュ米政権に追従し「聖域無き構造改革」と宿願の「郵政民営化」を強行したが、公約の景気回復・行財政改革は進まず国体破壊・国債残高急増・格差社会を招く無残な結果に終わった。小泉純一郎は「刺青大臣」小泉又次郎の孫で父の急死で横須賀の地盤を継ぎ、福田赳夫の「清和会」に所属し1972年30歳で衆議院議員初当選、1988年厚生相で初入閣したが、山崎拓・加藤紘一と反経世会連合「YKK」を組み無謀な郵政民営化主張で変人扱いされた。2001年森喜朗(清和会)内閣の後継選で、「自民党をぶっ壊す」「構造改革なくして景気回復なし」と連呼する小泉純一郎が経世会の橋本龍太郎に逆転勝利(小泉旋風)、田中眞紀子人気も手伝い内閣支持率は80%を超えた。小泉純一郎首相は、亀井静香・平沼赳夫ら「抵抗勢力」を排斥し、米国流「新自由主義」の竹中平蔵とオリックスの宮内義彦を旗振り役に「小泉構造改革」を強行したが、郵政民営化・日本道路公団分割民営化・健康保険本人3割負担・個人情報保護法・製造業派遣解禁・法科大学院設置・商法改定(会社法)等々、いずれも実態は日本のアメリカ化・市場開放策に過ぎず、「景気回復」は空手形で大混乱と膨大な財政ロスをもたらした。外交面でも小泉純一郎首相は従米路線に邁進、「9.11テロ」発生と同時に対テロ戦争参加を表明し「テロ対策特別措置法」制定、2度の訪朝と「日朝平壌宣言」で使命に掲げた「拉致問題解決」を前進させたが、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼ぶブッシュ大統領に叱られ従順な「ポチ」となった。2003年ブッシュ米政権が「イラク戦争」の暴挙に及ぶと小泉純一郎首相は即座に自衛隊派遣を決定し、「日米同盟 未来のための変革と再編」で日米同盟を全世界の「予防戦争」へ拡大、ブッシュ邸招待を「ご褒美の卒業旅行」に2006年任期満了で勇退し北朝鮮外交で浮上した安倍晋三(岸信介の孫)に政権を譲った。2009年小泉純一郎は隠居し次男の小泉進次郎が衆議院議席と人気を承継、翌年ゆうちょ銀行の米国債大量購入が発覚し郵政民営化の真相が垣間見えた。