海援隊のいろは丸が紀州藩船と衝突し沈没
1867年
坂本龍馬ら海援隊士が運行する「いろは丸」が、紀州藩の軍艦明光丸と備中笠岡沖で衝突し沈没した。いろは丸は土佐海援隊が大洲藩から借受けた運搬船で、ミニエー銃などを積載し長崎から大阪へ向かう途中であった。坂本龍馬は沈むいろは丸から明光丸へ乗移り万国公法を振りかざして相手の過失を責め、沈んだ積荷などの賠償を求めた。その場では決着がつかなかったが、舞台を長崎へ移し、後藤象二郎と岩崎弥太郎の応援を得て紀州藩から70万両の賠償金をとることに成功した。
1867年