盛岡一高はGHQに抗い軍艦マーチの校歌を死守したバンカラ名門校、卒業生の顔ぶれは東京一中(日比谷高)に遜色なし。特に軍人が豊作で、海軍良識派の米内光政と対米開戦海相の及川古志郎が併存(ちなみに東條英機も盛岡士族)。
石原莞爾の上官・盟友で「満州事変」を主導、日中戦争拡大に反対し左遷されるも前線司令官ゆえに東京裁判で死刑