九度山・慈尊院

紀伊国(和歌山県)は「木の国」にして神武東遷以来のヤマトへの裏玄関。木材・船舶の供給源であると同時に、水運の要衝として漁業・商業が発達する一方、平安後期には熊野三山が成立し歴代天皇が足繁く参詣(最多の後白河は何と34度も)。方や空海が興した高野山金剛峯寺は真言密教と共に富み栄え、中国からの文化流入も進んで湯浅は金山寺味噌~醸造業のメッカとなった(千葉県の醤油醸造も湯浅がルーツ)。土豪各個が中央と結びつく紀伊国では統一勢力形成に至らなかったが、熊野速玉大社の禰宜で海人族穂積氏の嫡流を称する鈴木氏が海民を糾合して雑賀衆を形成、高野山から分立した根来寺と共に、鉄砲傭兵集団として戦国時代に登場。雑賀孫一こと鈴木重秀は本願寺顕如に与し石山合戦の主力を担うが、ついには織田信長に圧伏せられ、豊臣秀吉の紀州征伐で終焉。若山改め和歌山は、浅野幸長を経て、徳川御三家紀州藩55万石の城下町となり、5代目の徳川吉宗が徳川将軍家を承継、以後15代将軍徳川慶喜を除き現在に至るまで紀州=吉宗系が徳川宗家を独占している。かくも華やかな歴史を誇る和歌山県だが、主要交通路から遠く離れたため「みかん県」に甘んじることとなり(蜜柑科の山椒の大産地でもある)、観光業も未発達のまま。行政主導の観光PRで何とか盛上りを見せる熊野三山の他は、昔ながらの南紀白浜の温泉と海水浴があるくらい。高野山・根来寺・和歌山城跡・湯浅・龍神温泉など史情くすぐる場所もあるのだが、交通・見所・宿泊・食事のどれをとっても今のままでは難しい。

私評

再訪可

女人高野こと慈尊院は高野山の女人禁制の境界、空海が月に九度も母を訪ねた伝説が九度山の由来。真田庵(昌幸墓)・真田ミュージアムがあるが旅の動因には成り得ず(『真田丸』便乗不発か)。気になるのは高野山町石道、機会があれば踏破にチャレンジしたい。

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