ソフトバンク・オリックス・東京海上が連合し経営破綻した日本債券信用銀行を安値で買収(→あおぞら銀行)、孫正義のソフトバンクは株価急騰で株式時価総額が国内2位となり2003年持分転売で巨利を獲得
2000年
孫正義は、佐賀県鳥栖市で密造酒・家内養豚を営む貧しい在日朝鮮人家庭に生れ過酷な幼少期を送ったが、父の安本(孫)三憲がサラ金とパチンコ経営で財を成し高等教育を施された。孫正義は名門久留米大附設高校へ進んだが在日差別に生存を脅かされ単身渡米、名門カリフォルニア大学バークレー校で猛勉強に励みつつ、自動翻訳機の製作や中古インベーダーゲーム機の輸入販売など起業活動に励んだ。卒業した孫正義は翌1981年東京に「日本ソフトバンク」を設立、パチンコ店の全国展開に挫折し重度の慢性肝炎で死線を彷徨ったが闘病3年で奇跡的に蘇生し、ハドソンとの契約やラオックスの売場確保でPCソフト市場を独占、「一太郎」の取扱いや自作のLCR「NCC-BOX」で業績を伸ばし、「ソフトバンク」への改称を機に日本に帰化した。1994年ソフトバンクの株式上場で資金力を得た孫正義は、神業的目利きと米国IT人脈を武器に、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」を始動した。1995年友人ジェリー・ヤンの「Yahoo!」起業に際し孫正義は社運を賭けて主要株主となり合弁で「Yahoo! JAPAN」(ヤフー株式会社)設立、両社とも僅か1年で株式上場を果し株価急騰で「ITバブル」の寵児となった。膨大な軍資金を掴んだ孫正義はソフトバンクを持株会社化し、小泉純一郎の米国化政策に乗りM&Aと子会社上場(北尾吉孝の「SBI」・弟孫泰蔵の「ガンホー」など)に邁進、テレビ朝日買収未遂で名を馳せ、自ら証券取引所「ナスダック・ジャパン」創設、日債銀買収で得た巨利を「ソフトバンクBB」に投じ、ダイエー球団を買収し「福岡ソフトバンクホークス」のオーナーとなった。規制緩和に乗じ「日本テレコム」「ボーダフォン」を買収した孫正義は情報通信を本業に定め「光の道」構想に邁進、2013年米国「スプリント」の買収で携帯キャリア世界3位へ躍進した。2014年中国「アリババ」の超大型上場で筆頭株主のソフトバンクはトヨタ自動車に次ぐ時価総額10億円を達成、日本一の大富豪となった孫正義は「メディア支配」を睨みつつ、東日本大震災を機に反原発・自然再生エネルギー事業の商機を窺う。