岡田卓也のイオンが経営破綻した更正会社マイカルを買収し業容急拡大(2011年吸収合併)

2001

岡田卓也は、M&Aと出店攻勢で流通再編を牽引したGMS王国「イオン」の創業者、マイカル買収で躍進したがダイエー再建に手を焼く。「四日市岡田家」7代目の岡田卓也は、学徒動員から復員し早稲田大学商学部在学中に家業を継ぎ「岡田屋呉服店」を再開、1958年近鉄四日市駅前に「オカダヤ百貨店」を開業した。ダイエーなどSMチェーンの勃興をみた岡田卓也は業態転換に挑み、1969年傘下8社と共同仕入機構を創設し翌年「ジャスコ株式会社」を設立した。岡田卓也は「大黒柱に車をつけよ」の家訓に従い「岡田屋」の暖簾を捨て大阪へ本社移転、豊富な資金力を武器に全国の流通業者を次々買収し迅速果敢な「スクラップ&ビルド」で優位性を確立、1974年株式上場を果した。セブン-イレブンとローソンの台頭をみた岡田卓也は1980年「ミニストップ」でコンビニ参入、本社を幕張「イオンタワー」へ移しPB「トップバリュ」の商品拡充で利益率を高め、社名と店名を「イオン(AEON)」に統一した。岡田卓也の卓見は大規模店舗の重視にあり、ジャスコ創業と同時に三菱商事と「ダイヤモンドシティ」を設立(現イオンモール)、「狐狸が出る場所」を選び低コストで巨大店舗を展開した。イオンのGMSは郊外開発とロードサイド化を先取りする形で発展、日本全国を埋尽くし地方経済のコアとなった。流通再編の勝者となった岡田卓也は2001年更生会社マイカルを買収しイオンは業容急拡大、買い手の本命ウォルマートが9.11テロの影響で降りたことが幸いした。勢いに乗る岡田卓也は2007年産業再生機構からダイエーを買取り連結売上高5兆円を達成したが、「ダイエー再建がイオン成長の試金石」といわれるなか、数少ない幹部人材をダイエーにとられ肝心の海外展開やコンビニ・百貨店増強に手が回らず、イオンは成長鈍化に陥り「流通二強」の宿敵「7&I」に水を開けられた。岡田卓也は1984年会長に退き、1997年総会屋事件で逮捕された田中賢二に代え長男の岡田元也を4代目社長に据えたが、90歳の今もイオンに君臨する流通再編の主役である。なお衆議院議員となった次男の岡田克也は2015年民主党代表に返咲いている。
日本史年表