8月3日のコラム

  • 花柳界でモテた長州志士~木戸孝允と幾松

    1864年

    生涯童貞説もある #吉田松陰 と反対に門弟達は京都や品川で豪遊を重ね野暮で吝嗇な薩会人を大衆人気で圧倒。兄貴分の #木戸孝允 は小兵ながら筋骨隆々の男前,三本木No1の幾松を落し禁門の変後の逃避行を経て正妻に。が夫妻は子に恵まれず妾が産んだ一女も没し血が絶えました

  • 俗謡名人 高杉晋作

    1864年

    「乗った人より馬が丸顔」で小柄な #高杉晋作 ですが芸達者な遊び人,「おもしろき ことをなき世を おもしろく」の他にも都都逸「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」で遊女を蕩かせ長州回天に遅参した山縣を「儂とお前は焼山かつら うらは切れても根は切れぬ」と一刺し

  • 女性関係が対照的な久坂玄瑞と山縣有朋

    1864年

    #久坂玄瑞 は #吉田松陰 の妹を娶るも寄付かず死の20日後に島原遊女が一子修次郎を出産 #伊藤博文 も新妻(入江九一の妹)の居る実家を避け下関芸妓を後添いに #木戸孝允 #井上馨 の妻も芸者上りですが長閥で唯一 #山縣有朋 は真面目で「庭園は作るも女は作らず」と妙な賛辞を

  • 女性関係が対照的な長州人と薩摩人

    1864年

    訛が強く交際費の乏しい薩摩藩士は花柳界でもてず余りの不人気に島津久光は憎き #西郷隆盛 に周旋を託し京都退散。が節約?の効か #松方正義 の19人を筆頭に薩摩要人は概ね多産で末広に繁栄,男系が絶えた木戸孝允,久坂玄瑞,伊藤博文,山縣有朋,井上馨ら長州勢と対照的な顛末に

  • 国体明徴声明~天皇機関説を葬り軍国主義一色に

    1935年

    軍拡に慎重な天皇側近の排除を狙う陸軍,民間右翼は #天皇機関説 を槍玉に挙げ新聞も追随し世論は軍国主義一色。陸大閥領袖 #永田鉄山 が収拾を図るも1935年 #8月3日 岡田内閣の #国体明徴声明 で勝負あり。墨付を得た皇道派,青年将校が永田を葬り #二二六事件 へ雪崩込みます