3月13日のコラム

  • 土方歳三~石田散薬,バラガキ,近藤勇

    1859年

    武蔵多摩郡石田村(日野市)の土方家は多摩地方有数の豪農。江戸中期に売出した湿布薬 #石田散薬 で財を重ね何と1948年の薬事法改正まで売っていたとか。武士に憧れるバラガキ #土方歳三 は行商のかたわら道場を巡訪して度胸剣法を磨き24歳で #近藤勇 の #試衛館 に入門します

  • 新撰組の日(日野市観光協会)

    1863年

    #3月13日 は日野市観光協会指定 #新撰組の日 #清河八郎 は幕府に浪士組を創らせ上洛するも勤皇兵構想が破れ帰還命令。が #芹沢鴨 水戸派と #近藤勇 試衛館派が残留して #壬生浪士組 を称し豪商から強奪した金で自活生活。京都守護職 #松平容保 に雇われ #新撰組 を名乗ります

  • 芹沢鴨,近藤勇の二局長体制で始まった新撰組だが

    1863年

    #新撰組 は #芹沢鴨 #近藤勇 の二局長体制で始まり当初は神道無念流免許皆伝で会津藩を持ってきた芹沢が優位でしたが #松平容保 お抱えとなっても芹沢らは恐喝狼藉を改めず。会津藩に迫られた近藤は遊女断髪の狼藉事件を機に #土方歳三 #沖田総司 藤堂平助に芹沢暗殺を命じます

  • 京都守護職松平容保が新撰組を雇った訳

    1863年

    京都守護職の経済負担に喘ぐ会津では反対派が根強く高録で死傷時保障も要する正規藩士の動員は困難 #松平容保 は使捨て可能な傭兵集団に飛付くも見廻組と違って統制が利かず手柄を求め過激化 #新撰組 の活躍故に長州に憎悪され将軍慶喜が退いても退けない苦境に立たされます

  • 松平容保~奥羽越列藩同盟と会津戦争

    1868年

    会津へ逃れた #松平容保 は養子(徳川慶喜弟)に藩主を譲り赦免を請うも赦されず前言撤回 #新撰組 同様に新徴組で薩長に憎まれた庄内藩と結び情勢に疎い東北諸藩を巻込んで #奥羽越列藩同盟 発足。優柔で京都守護職を受けた容保も命が掛ると我を張り #会津戦争 を強行しました