陸軍下克上の発端は宇垣一成の野心
1931年
陸軍下克上の発端は #宇垣一成 の野心。田中義一から長州閥を継ぐも裏切って首相を狙い三月事件惹起 #永田鉄山 以下陸大閥が長州閥打倒で結束し省部を握るも真崎,荒木の暴走で内紛勃発。宇垣は調整役を自認し再び首相を狙うも石原莞爾が軍部大臣現役制を武器に林銑十郎を擁立
1931年
陸軍下克上の発端は #宇垣一成 の野心。田中義一から長州閥を継ぐも裏切って首相を狙い三月事件惹起 #永田鉄山 以下陸大閥が長州閥打倒で結束し省部を握るも真崎,荒木の暴走で内紛勃発。宇垣は調整役を自認し再び首相を狙うも石原莞爾が軍部大臣現役制を武器に林銑十郎を擁立
#宇垣一成 陸相は建川美次の参謀本部,小磯國昭の陸軍省を従え橋本欣五郎の桜会を煽りクーデターを企てるも #永田鉄山 ら陸大閥が阻止(三月事件)。橋本は荒木貞夫に乗換え再起を図るも自滅し(十月事件)軍中央を見限った #井上日召 派の隊付将校が血盟団,五一五事件を起します
永田鉄山は十月事件の大不祥事を犯した #橋本欣五郎 の極刑を説くも荒木貞夫,石原莞爾の擁護で謹慎二十日の軽処分,後に橋本は近衛文麿に仕え代議士に転じます。同じく処分を免れた大川周明は井上日召と共に血盟団事件,五一五事件を引起し北一輝,西田悦は二二六事件の首謀者に
1935年
兵農一致を掲げる隊付将校と民間右翼は財閥を諸悪の根源とみなし腐敗堕落した政党を排撃。国家改造を題目に陸軍の主導権と文民統制排除を狙う #真崎甚三郎 #荒木貞夫 の皇道派がこれに乗じマスコミも煽って国体明徴運動が勃興。下克上,軍国主義,テロ容認の空気が世を覆います
1948年 #5月23日 #美濃部達吉 没 #天皇機関説 で大正デモクラシーを風靡するも師の一木喜徳郎が天皇側近に列したことで「君側の奸」排除を図る国体明徴運動の槍玉に。戦後は「占領軍に国体変更の権限無し」と枢密院で唯一 #日本国憲法 を無効と談じ学者の矜持を示しました