5月28日のコラム

  • 斎藤道三~坊主上りの灯油行商人が美濃の国主に(異説有)

    1542年

    美男の #斎藤道三 は京都妙覚寺で持囃されるも坊主を嫌って灯油行商に転じ仏弟の親戚長井長弘の世話で土岐頼芸に仕官。土岐政頼を廃して弟の頼芸を美濃守護に立て煩い長井を謀殺して国政壟断,土岐一族の総決起に剃髪謝罪するも直に報復,漸く目覚めた頼芸も追出して国盗り完遂

  • 斎藤道三と織田信長の因縁

    1547年

    1544年土岐政頼,頼芸が越前朝倉宗滴,尾張織田信秀の加勢を得て美濃を挟撃 #斎藤道三 は土岐兄弟を迎入れ講和するも1547年加納口で織田軍を破り内憂外患を一掃。1551年信秀の死で尾張内乱が起り尾張侵攻の機が到来するも娘婿 #織田信長 の異能を知り逆に国譲り状を託すことに

  • 斎藤道三と太原雪斎に領土拡張を阻まれた織田信秀

    1549年

    #斎藤道三 に美濃侵攻を阻まれた #織田信秀 は今川から強奪した人質 #徳川家康 を奇貨として三河攻略に専念。寝返りを拒否した父松平広忠の岡崎城を攻めるも太原雪斎の伏兵戦術に破れ庶長子信広が捕虜に。が渦中に広忠が横死し傀儡が必要な今川は家康との人質交換を申出ます

  • 戦国下克上の代名詞 斎藤道三の命日

    1556年

    1556年 #5月28日 廃嫡の陰謀を知った #斎藤義龍 が弟二人を斬殺し父 #斎藤道三 を討滅。舅の道三から国譲り状を託された #織田信長 が駆付けるも間に合わず。義龍は愚鈍面に似ぬ猛将で美濃を制し外圧を跳返すも僅か5年で病没,鼻を削がれた道三の祟りか癩病で顔面が崩れたとも

  • 斎藤道三の血脈~蝮の如く強かに

    1556年

    斎藤義龍の一子龍興は朝倉軍の末端に零落れ #織田信長 に滅ぼされるも #斎藤道三 の血脈は蝮の如く強かに。道三生家の松波を継いだ政綱は旗本となり大岡忠相の次の江戸南町奉行を輩出。旧臣稲葉一鉄の嫡子に嫁いだ娘は臼杵藩5万石に血を伝え勧修寺家を介し現皇室に繋がるとも