5月2日のコラム

  • 馬関戦争~井上馨,伊藤博文 英遊学より急遽帰国

    1864年

    ロンドンタイムズで四国連合艦隊の長州攻撃計画を知った #井上馨 #伊藤博文 は英国遊学を打切り急遽帰国。横浜の英公使館に乗込んで猶予を願い #アーネスト・サトウ が[十のうち六,七は殺される状況]と危ぶむ長州へ。感動したオールコックは藩主宛親書を与え軍艦で護送します

  • 馬関戦争~高杉晋作が巨額賠償と彦島割譲を回避

    1864年

    馬関戦争に完敗した長州藩は謹慎中の #高杉晋作 に講和交渉を一任し #大村益次郎 #伊藤博文 を補佐役に # アーネスト・サトウ 曰く[魔王の様に轟然と現れた]高杉は攘夷を命じた幕府に責任を押付け賠償と彦島割譲を回避,長州の下関無断開港が怖い幕府は巨額の賠償を引受けます

  • 戊辰戦争~西郷隆盛と英公使パークスの関係

    1867年

    英公使 #パークス は兵庫開港の手際をみて将軍 #徳川慶喜 に傾くも志士を知る #アーネスト・サトウ は薩長優位を確信。幕仏同盟を警戒し #西郷隆盛 に軍事援助を申出るも小栗忠順と違い西郷は愚を犯さず。戊辰戦争が起ると英は徳川への寛典を求め西郷は江戸攻撃を中止します

  • アーネスト・サトウの人物評~大隈重信と小松帯刀

    1868年

    英公使パークスの恫喝外交に辟易した薩長人は佐賀人 #大隈重信 を叱られ役に起用。大隈は外交の第一人者を自認し参議へ上るも #アーネスト・サトウ は半端な英語を揶揄。方や薩藩家老なのに威張らず情誼に厚い #小松帯刀 を[日本人の中で一番魅力のある人物]と絶賛しています

  • アーネスト・サトウ 内妻カネとの間に三子あり

    1929年

    英外交官 #アーネスト・サトウ は #徳川慶喜 #西郷隆盛 #高杉晋作 等々と交流した日本通。駐清公使として日露戦争を見届け帰国後 #一外交官の見た明治維新 を上梓。内妻カネとの間に三子を生し武田久吉は英留学を経て植物学者に。尾瀬保存に尽し山岳協会初代会長も務めました