5月7日のコラム

  • 西郷隆盛の三弟 西郷従道の来歴

    1873年

    #西郷従道 は少年期より15歳上の兄 #西郷隆盛 の精忠組に加わり過激に奔って寺田屋騒動に遭遇。薩英戦争では西瓜売りに化けて敵艦斬込を図り戊辰戦争では重傷を負いつつ各地を転戦 #山縣有朋 の徴兵制に共鳴し島津久光,桐野利秋ら薩摩士族の反対を抑えて兄を決断へ導きました

  • 西郷従道 西南戦争で兄を見限り薩摩閥領袖へ

    1877年

    #西郷隆盛 に「次弟吉二郎より小才が効く」と評された三弟 #西郷従道 は #大久保利通 政府に留まり台湾出兵で薩摩軍人を懐柔。西南戦争で薩摩閥領袖に浮上し陸軍卿から農商務卿へ転じるも官有物疑獄に躓き軍に復帰。10年以上も海相を占め #山本権兵衛 の海軍創建を支えました

  • 西郷隆盛の従弟 大山巌 の業績

    1877年

    #西郷隆盛 の従弟 #大山巌 は江川坦庵直伝の洋式大砲術で戊辰戦争に活躍。西南戦争では城山攻撃を陣頭指揮し #西郷従道 と共に薩摩閥を承継。軍事調査団団長として薩摩の川上操六と長州の桂太郎を握手させ独流陸軍建設を後援,16年も陸軍最高位を占め日清,日露戦争の司令官に

  • 山本権兵衛の海軍改革~東郷平八郎は危うくリストラ回避

    1891年

    陸軍から分離した海軍は中々独立できず初代海相 #西郷従道 さえ陸軍中将のままでしたが1891年 #山本権兵衛 が日清戦争を睨み改革を断行,薩長主体の素人幹部を96人も馘首し海兵卒を起用して真の海軍に。加治屋町の先輩 #東郷平八郎 は山本の一存で危うくリストラを免れました

  • 海軍領袖の変遷~西郷従道,山本権兵衛から伏見宮博恭王へ

    1932年

    大西郷を討った #大山巌 は終生鹿児島の地を踏まず #西郷従道 は同じ負目を抱く #山本権兵衛 に海軍改革を一任。山本は娘婿財部彪を海相に据えるも統帥権干犯で失脚し飾雛で終る筈の #伏見宮博恭王 を軍令部長に推戴。皇族元帥は反米軍拡派に担がれ日独同盟,対米開戦の元凶に