享徳の乱~関東公方と関東管領上杉氏の対立
1454年
1454年傀儡脱却を期す関東公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を謀殺し #享徳の乱 勃発。勝に乗る成氏は下総へ押出すも駿河守護今川範忠が上杉に加勢し鎌倉を制圧,戻れぬ成氏は古河公方と称され利根川で対峙 #太田道灌 が長尾景春を破って成氏を降すまで30年も関東大乱が続きます
1454年
1454年傀儡脱却を期す関東公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を謀殺し #享徳の乱 勃発。勝に乗る成氏は下総へ押出すも駿河守護今川範忠が上杉に加勢し鎌倉を制圧,戻れぬ成氏は古河公方と称され利根川で対峙 #太田道灌 が長尾景春を破って成氏を降すまで30年も関東大乱が続きます
1457年
分倍河原で扇谷上杉顕房が討死するも家宰 #太田道灌 が遺児を守立て古河公方に対抗。1457年 #5月1日 江戸城を築き河越城,岩槻城,五十子陣と連ねて武蔵の防御を固めます。道灌は古河公方を降し30年の大乱を鎮めるも権勢を妬む主君に謀殺され山内,扇谷の上杉家内乱へ転化します
1519年
扇谷上杉,太田道灌の介入を退け甥今川氏親を駿河守護に擁立した #北条早雲 は韮山城を貰い伊豆へ侵出。堀越公方の後嗣足利茶々丸を滅ぼして伊豆全域を押え大森藤頼から小田原城を奪い相模を制圧。今川,扇谷から独立し盟友三浦氏も葬って後顧の憂いを絶ち関東制覇の夢を次代に
1550年
#大友宗麟 は戦国にも稀な冷血漢。父義鑑を継母,弟諸共に葬って家督を奪い(二階崩れの変)これに乗じ肥後独立を企てた叔父菊池義武を講和に誘い謀殺,更に伯父大内義隆を弑した陶晴賢と同盟し傀儡当主に差出した弟義長を捨殺し。毛利の撹乱に利用した山中鹿介,大内輝弘も捨駒に
1557年
1555年 #厳島の戦い で陶晴賢を討った #毛利元就 は1557年 #5月1日 #大内義長 を滅ぼし防長経略完遂。義長は大内義隆の甥で #大友宗麟 の弟。豊前筑前の大友領を狙う元就は無用の対立を避け義長助命を申送るも宗麟はむしろ処刑を要求,毛利方の秋月文種を殺し対決姿勢を鮮明に