12月31日のコラム

  • 天満屋事件後の陸奥宗光~紀州藩を改造し「陸奥王国」現出

    1872年

    天満屋事件後 #陸奥宗光 は大阪でパークスに意見を求め #岩倉具視 に[新政府は先ず列国に王政復古の事実と開国方針を通知すべし]と上申。外国事務局へ進んで #伊藤博文 と邂逅し即時 #廃藩置県 を叫ぶも薩長に阻まれ下野。が紀州藩を改造し精兵2万の[陸奥王国]を現出させます

  • 三国干渉~陸奥宗光の卓見と李氏朝鮮の掌返し

    1895年

    満州を狙う露は独仏を引入れ遼東半島横取りを強行 #陸奥宗光 外相は英米を頼るも見放され[兵力の後援なき外交はいかなる正理に根拠するも終極に至りて失敗を免れない]と #三国干渉 を受忍します。李朝は忽ち #独立門 の狂喜乱舞を忘れて露へ靡き日本は #臥薪嘗胆 軍備増強へ

  • 台湾総督府の挫折と成功~児玉源太郎,後藤新平

    1895年

    日清戦争で得た台湾の統治に際し #伊藤博文 内閣は強硬な軍政で高砂族らの反抗を抑え台北に #台湾総督府 を開設。樺山資紀,桂太郎,乃木希典の三代はゲリラとマラリアに敗れるも四代総督 #児玉源太郎 が #後藤新平 を起用して民政を強化しアメムチで植民地経営を成功させます

  • 命を使い果した戦争指導者~陸奥宗光,川上操六,児玉源太郎

    1897年

    日清戦争を主導した #陸奥宗光 は戦後2年 #川上操六 は4年で急逝し #児玉源太郎 は日露終戦の翌年没,国運を担う重責と共に昭和の戦争指導者との差に驚きます。エリート養成機関(戦前は帝大と兵学校)と官僚機構は近代国家の基盤ですが責任分散=総無責任の克服が永遠の課題です

  • 「対外硬」の領袖 大隈重信~日清戦争講和批判から対華21カ条要求へ

    1915年

    #伊藤博文 首相は李鴻章を下関に招いて #日清戦争 講和に任じ朝鮮独立,遼東台湾澎湖諸島の割譲,歳出の3倍を越す賠償金など満額回答を獲得。が #大隈重信 らは更に山東江蘇福建広東の割譲を求め軟弱外交と非難,20年を経て第二次大隈内閣が起り #対華21カ条要求 をやらかします