5月20日のコラム

  • 室町幕府12代将軍 足利義晴の命日

    1550年

    大内義興の帰国に乗じ管領細川高国は義稙を廃し11歳の #足利義晴 を12代将軍に擁立,朝倉宗滴を招じ三好勢を追払うも大物崩れで討死。義晴は近江六角氏を頼り巻返すも管領細川晴元に敗れ嫡子義輝に将軍禅譲,更に #三好長慶 に追われた晴元に担がれるも1550年5月20日近江で病没

  • 知られざる名将 朝倉宗滴の活躍

    1555年

    19歳の #朝倉宗滴 は越前へ攻寄せた加賀一向一揆を九頭竜川で破り(1万対30万とも)吉崎御坊を破却。若狭守護を従え美濃守護の内紛に介入,更に将軍足利義晴の要請で三好勢を蹴散らし京都を制圧します。が斎藤道三に美濃攻略の野望を挫かれ北へ転じ一向一揆との決戦に臨むも陣没

  • 岐阜城の峻険に織田信長の苦渋と竹中半兵衛の奇才を想う

    1564年

    #岐阜城 から臨む濃尾平野は天下の絶景ですが徒歩で上れば断崖絶壁。凡庸な斎藤龍興を相手に力攻めを断念した #織田信長 の苦渋を知り逆に手勢14人で占領した #竹中半兵衛 の奇才に驚きます。半兵衛は #稲葉山城 を龍興に返すも舅 #安藤守就 に従って信長に帰順し秀吉寄騎に

  • 一乗谷朝倉氏遺跡に織田信長の異能を想う

    1567年

    一乗谷朝倉氏遺跡は福井駅から高速バスで23分,更に13分で永平寺へ。足羽川の山間に拓けた山里で朝倉氏の栄華と結びつかない狭さ。が武田も上杉も毛利も似た様なもの、逆に岐阜城,安土城を筆頭に領国各地に大城郭と城下町を連ね海外交易に励んだ #織田信長 の異能を痛感します

  • 朝倉宗滴,朝倉義景の栄華の跡 越前一乗谷

    1573年

    #朝倉宗滴 の領土拡張の夢は費えるも越前一乗谷には都人が移り来て文化都市となり富田勢源,佐々木小次郎の中条流も誕生,近江を脱した足利義昭は #織田信長 より先に[天下に最も近い] #朝倉義景 を頼りました。が宗滴後は人物が出ず内紛で弱体化,義昭を担ぐ信長に敗れ根絶しに