最幕末の老中首座 板倉勝静の命日
1823年
1823年 #4月6日 #板倉勝静 没。土佐藩の大政奉還建白を将軍 #徳川慶喜 に繋いだ最幕末の老中首座。慶喜は[西郷や大久保のような人物もいないのに戦っても必勝期しがたい。徒に朝敵の汚名を着るのは嫌だ]と脱走,恭順するも板倉は函館戦争まで戦い維新後は上野東照宮の名誉職に
1823年
1823年 #4月6日 #板倉勝静 没。土佐藩の大政奉還建白を将軍 #徳川慶喜 に繋いだ最幕末の老中首座。慶喜は[西郷や大久保のような人物もいないのに戦っても必勝期しがたい。徒に朝敵の汚名を着るのは嫌だ]と脱走,恭順するも板倉は函館戦争まで戦い維新後は上野東照宮の名誉職に
1868年
1868年 #4月6日 京都の #木戸孝允 が #五箇条の御誓文 を発し江戸の #西郷隆盛 は #勝海舟 と手を打ち総攻撃を中止。実際家の勝は西郷の度量に期待しつつ交渉決裂の場合には江戸を火の海にして官軍を焼殺す謀略を用意。親分衆に助力を頼み房総漁民に市民救済を命じていました
1877年
#木戸孝允 は #土方歳三 と双璧を為す男前で花柳界の寵児でしたが禁門の変の逃避行を援けた芸妓幾松こと松子夫人に頭が上がらず無嗣のまま没。候爵木戸家は来原良蔵(長井雅楽暗殺未遂で自害)と妹治子の子孝正が継ぎ山尾庸三(長州五傑)の娘との間にもうけた #木戸幸一 へ
1977年
1977年 #4月6日 #木戸幸一 没 #木戸孝允 侯爵家の継承者で天皇側近の領袖。テロに怯えて軍部抑制を放棄し[虎穴に入らずんば虎子を得ず]と #東條英機 を首相指名。GHQに #木戸日記 を献上して陸軍の横暴を誇張し[国民の戦意を破砕する事に努力してきました]と哀訴して極刑回避
1978年
1978年 #4月6日 東池袋にアジア最高峰の超高層ビル #サンシャイン60 開館。同地にあった巣鴨監獄は戦後GHQの #巣鴨プリズン となり #東京裁判 で裁かれたA級戦犯7名とBC級戦犯52名が絞首刑に。奇しくも処刑者数59に記念碑の1階を足して60階,往時はメジャーな心霊スポットでした