1月22日のコラム

  • 天満屋事件直後の陸奥宗光

    1868年

    天満屋事件直後に鳥羽伏見戦が勃発 #陸奥宗光 は大阪に急行してパークス英公使と会見し「新政府は先ず列国に王政復古の事実と開国方針を通知すべし」との意見書を #岩倉具視 に提出。陸奥は外国事務局御用掛に抜擢され盟友 #伊藤博文 と邂逅するも薩長専制に反発し下野します

  • 陸奥宗光~陸奥王国から入獄まで

    1877年

    #岩倉具視 の墨付を得て紀州藩に凱旋した #陸奥宗光 は忽ち藩財政を建直し #徴兵制 を敷いて精兵2万の「陸奥王国」を現出させます。慌てた政府は廃藩置県に踏切り陸奥は政府に帰参するも薩長への憤懣収まらず再び下野、西南戦争に呼応する土佐立志社に加担し禁固5年の実刑に

  • 川上操六と桂太郎 大山巌軍事調査団で盟約

    1884年

    西南戦争を終えた政府は国防に移り #大山巌 陸軍卿の調査団を欧米派遣。故 #大村益次郎 は仏流市民軍を想定するも #川上操六 #桂太郎 の薩長ホープは普仏戦争に勝った独流皇帝軍へ方針転換。軍政の桂が山縣ら元勲を操縦し軍令の川上は参謀本部を興し日清戦争準備に奔命します

  • 川上操六 徴兵令改定で徴兵逃れ封じ

    1889年

    #徴兵制 に抗う薩摩士族が史上最悪の内戦 #西南戦争 を起すも逆に庶民サイドでは #徴兵逃れ #血税一揆 が蔓延。日清戦争を睨み独式軍制改革に邁進する #川上操六 は外征準備=師団制移行に際し1889年 #1月22日 戸主猶予廃止など全面改定を敢行。が蛇の道は蛇で抜道は残ります

  • 陸奥宗光~条約改正と日清戦争,人材養成

    1897年

    獄中で西洋政体研究に励んだ #陸奥宗光 は #伊藤博文 の温情で英独遊学へ出され駐米公使に栄進。自由党土佐派との関係を買われ第一次山縣内閣で初入閣し第二次伊藤内閣の外相として #条約改正 #日清戦争 を主導。が一方で原敬,加藤高明,星亨,林薫ら非薩長人士を盛立てました