ワシントン海軍軍縮条約締結
1922年
第一次大戦で米日は特需を満喫するも被害甚大の英仏伊は財政破綻に瀕し相互軍縮を要請。日を警戒する米は英加を抱込み日英同盟を潰した上でワシントン会議を開き #加藤友三郎 は米英5:日3:仏伊1.75の主力艦比率を受忍し1922年 #2月6日 #ワシントン海軍軍縮条約 に調印します
1922年
第一次大戦で米日は特需を満喫するも被害甚大の英仏伊は財政破綻に瀕し相互軍縮を要請。日を警戒する米は英加を抱込み日英同盟を潰した上でワシントン会議を開き #加藤友三郎 は米英5:日3:仏伊1.75の主力艦比率を受忍し1922年 #2月6日 #ワシントン海軍軍縮条約 に調印します
1922年
ワシントン軍縮条約で露骨な日本封じを甘受した #加藤友三郎 曰く~平たくいえば金がなければ戦争ができぬということなり。国力を涵養し一方外交手段により戦争を避くることが目下の時勢において国防の本義なりと信ず。即ち国防は軍人の専有物にあらずとの結論に達す~卓見です
1930年
1930年濱口内閣と海軍省が #ロンドン海軍軍縮条約 調印を果すも軍令部が #東郷平八郎 #伏見宮博恭王 両元帥を担ぎ条約批准に猛反対 #山本五十六 も当時は艦隊派でした。野党政友会の #犬養毅 #鳩山一郎 は北一輝発案の #統帥権 を持出し軍部に[魔法の杖]を与える愚を犯します
1936年
陸軍と予算を競う中で海軍も軍拡強硬派が優勢となり米内光政 #山本五十六 井上成美の抵抗虚しく1936年軟弱な #広田弘毅 首相を揺さぶり #海軍軍縮条約撤廃 海軍中央は山本の航空主戦論を退け石川信吾らの大鑑巨砲主義で建艦競争再開,予算の過半を #戦艦大和 武蔵に注込みます
1940年
1940年出師準備発令を受け #岡敬純 軍務局長 #石川信吾 第二課長は予算獲りと政権操縦に長けた陸軍に対抗すべく #海軍国防政策委員会 を起し指揮権集約 #伏見宮博恭王 元帥を後盾に南部仏印進駐を強行します。予期せぬ石油禁輸に海軍は動揺するも連中は逆に先鋭化し対米開戦へ