天高く古道やゆかし中山道1 中部地方 漫遊記~天高く古道やゆかし中山道 1-2日目:下諏訪泊(中山道と甲州街道が交わる要衝。赤報隊頓挫の地で相楽塚あり)→塩尻(武田信玄は上田原で大敗するも塩尻峠で逆寄を撃退)→奈良井宿(The宿場町)→宮ノ越宿,義仲館(武田滅亡の緒を開いた木曽義昌は末裔を自称。巴御前は男女均等相続の賜物か)
天高く古道やゆかし中山道2 中部地方 漫遊記~天高く古道やゆかし中山道 3日目:木曽福島城跡,山村代官屋敷(木曽旧臣)旧帝室林野局(木曽檜は幕府と明治政府の重要財源。伊勢神宮にも)木曽義仲墓(近江粟津の義仲寺から分霊か。義仲寺は巴御前創建とされ何故か松尾芭蕉墓も)関所資料館,本陣跡→(車窓最高!)南木曽~妻籠宿~馬籠宿泊
天高く古道やゆかし中山道3 中部地方 漫遊記~天高く古道やゆかし中山道 4日目:馬籠宿→中津川宿,中山道歴史資料館,桂小五郎隠れ家(中津川会議~桂が藩主を待伏せ破約攘夷=抗幕へ藩論転換)→岩村城跡(織田信長と叔母おつやの悲劇)→明智(町並は乙だが大正村は?)明智城跡(斎藤道三に殉じ滅亡。光秀の故郷か)→花白温泉泊→翌日停旅
徳川の雄飛を辿る駿遠三1 中部地方 漫遊記~徳川の雄飛を辿る駿遠三 初日:三河安城(松平長親が北条早雲率いる今川軍を撃退して安祥城に進出し孫の清康が西三河を切従え織田信秀と対峙。家康生母は西隣の刈谷水野氏)→岡崎城(家康の原点。天守から濃尾平野を一望。矢作川の夕景も見事)→カクキュー(城から八丁だから八丁味噌!)
徳川の雄飛を辿る駿遠三2 中部地方 漫遊記~徳川の雄飛を辿る駿遠三 2日目:岡崎→御油(松並木が残る宿場町)→豊川稲荷(日本三大稲荷だが神社でなく曹洞寺院。本尊ダキニ天はインド由来で人肉を喰らう夜叉女。帰依した家康も黒魔術を?)→豊橋吉田城跡(桶狭間後の家康はここに酒井忠次を配して今川勢を追い三河平定)→奥浜名湖温泉
徳川の雄飛を辿る駿遠三3 中部地方 漫遊記~徳川の雄飛を辿る駿遠三 3日目:三ヶ日(原人の郷)→二俣城跡(松平信康自刃の地。武田信玄はこの防衛線を破り三方ヶ原合戦へ)本田宗一郎伝承館(本田は近郷の鍛冶屋の産)→遠江一宮小國神社~森宿▲(山越え7km踏破。次郎長三国志を反芻)→浜松城(天竜川を挟み信玄と対峙)→ あつみ鰻重
徳川の雄飛を辿る駿遠三4 中部地方 漫遊記~徳川の雄飛を辿る駿遠三 4日目:浜松→駿府城跡(苦節人質時代の筈が家康は同地を終の棲家に)→日本平→久能山東照宮(日光の本家本元。遠州灘一望!)→三保の松原~眼前に富士を眺めつつ砂浜踏破◎→小船で江尻渡航→清水河岸の市(本鮪!)→伊豆一宮三嶋大社→桜家鰻重→翌日三島駅→停旅
武家の興り 見所連なる伊豆相模1 中部地方 漫遊記~武家の興り 見所連なる伊豆相模 初日:三島(箱根越に臨む東海道屈指の宿場町),楽寿園(元は李垠別邸),鰻桜家◎,三嶋大社(謎の伊豆一宮)→修禅寺(鎌倉幕府の暗部),源範頼墓(兄頼朝が抹殺),源頼家墓(外戚北条氏が抹殺),指月殿(子殺しに加担した政子の苦悩),竹林の小径,修善寺温泉泊
武家の興り 見所連なる伊豆相模2 中部地方 漫遊記~武家の興り 見所連なる伊豆相模 2日目:修善寺→韮山反射炉(実質は佐賀藩。幕末の廃業より奇跡の現存)→韮山城跡(早雲が北条未亡人と名跡を併呑),韮山代官所跡,蛭ケ島(源頼朝軟禁地)山木判官館跡(恋敵を血祭りに頼朝挙兵)→北条の里,堀越御所跡(早雲が足利茶々丸を追放)→湯河原温泉
武家の興り 見所連なる伊豆相模3 中部地方 漫遊記~武家の興り 見所連なる伊豆相模 3日目:重光葵記念館◎(官僚の最高峰。ビデオも必見),万葉公園,土肥実平像(頼朝創業の功臣),BREAD&CIRCUS◎→真鶴岬(散策の穴場!頼朝安房逃避の地)→小田原城(謙信&信玄を撃退)→円覚寺,建長寺,鶴岡八幡宮,瑞泉寺(鎌倉公方の菩提寺)→鎌倉泊→停旅