武市半平太の「土佐勤皇党」から長州藩尊攘派に合流し浪士群を率いて高杉晋作の功山寺挙兵や薩長同盟に大活躍、薩土密約と陸援隊で武力討幕に備えたが戊辰戦争直前に暗殺された幕末浪士随一の殊勲者
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照維新
中岡 慎太郎
1838年 〜 1867年
90点※
家系・子孫
- 中岡氏は、藤原姓の長曽我部侍の子孫を称し、土佐郡領家の大庄屋を務めた家祖の中岡要七より、土佐藩の庄屋転勤政策に従い各地の大庄屋を務めた豪農であった。土佐北川郷の大庄屋であった何代目かの中岡要七が郷士の北川助七郎に殺害され中岡家は一時断絶に処されたが、郷民の要請により嫡子の中岡小伝次が新規に大庄屋に補され復活した。中岡慎太郎は、小伝次の一人息子だが16歳で高知城下へ出て尊攘派学者の間崎哲馬に入門し過激郷士集団である武市半平太の土佐勤皇党に加盟、小伝次は土佐藩を憚り慎太郎を家系譜より抹消し婿養子の中岡源平(照久)に中岡家と北川郷14ヶ村の大庄屋を継がせた。中岡慎太郎は兼を妻としたが子が出来ず、明治政府で出世した同志の田中光顕・土方久元らが中岡照行(源平の嫡子)を慎太郎の跡目養子に移し「中岡慎太郎家」を伝えさせた。
中岡慎太郎と同じ時代の人物
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維新
大久保 利通
1830年 〜 1878年
130点※
島津久光を篭絡して薩摩藩を動かし岩倉具視と結んで明治維新を達成、盟友の西郷隆盛も切捨てる非情さで内治優先・殖産興業・富国強兵の路線を敷き近代国家の礎を築いた日本史上最高の政治家
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維新
高杉 晋作
1839年 〜 1867年
110点※
吉田松陰の枠を超えた「防長割拠論」を実践し庶民軍の奇兵隊を創設して洋式軍備を拡充、功山寺挙兵で佐幕政権を覆し薩長同盟で背後を固め第二次長州征討の勝利で幕威を失墜させた長州維新の英雄
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維新
西郷 隆盛
1828年 〜 1877年
100点※
島津斉彬の懐刀として政治力・人脈を培い大人格者の威望をもって討幕を成遂げた薩摩藩の首魁、没落する薩摩士族に肩入れし盟友の大久保利通に西南戦争で討たれたが「大西郷」人気は今も健在
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