武田の精鋭と「赤備え」を率いた「徳川四天王」の出世頭にして寝返り工作を担った関ヶ原勝利の殊勲者、近江佐和山藩18万石を継いだ次男井伊直孝が将軍徳川秀忠・家光の信任を得て譜代筆頭彦根藩30万石を確立
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井伊 直政
1561年 〜 1602年
80点※
家系・子孫
- 井伊氏は、藤原北家良門流を称し古来から遠江井伊谷を領した古豪で、家祖の親氏が遊行僧(賤民とも)出身で山間僻地松平郷の庄屋層から成上がった徳川(松平)の家中では出色の家柄であった。井伊道政は南朝の宗良親王に呼応し北朝勢と戦ったが駿河守護今川氏が遠江守護を兼ねると傘下に納まった。人使いの荒い今川義元に仕えた井伊直宗は三河田原城攻めで戦死し、嫡子井伊直盛は桶狭間の戦いで義元と共に討死、後を継いだ従弟の井伊直親は疑心暗鬼の今川氏真に誅殺され、1歳の嫡子直政は所領を奪われ暫定家督の井伊直虎(直盛の一女)に養育された。武田信玄と分け取り協定を結び今川氏真を滅ぼした徳川家康は1575年14歳の井伊直政を小姓に採立てて遠江井伊谷を与え(男色相手の寵童説あり)養女(実父は松平康親)を娶わせ子飼いの旗本先手役に登用、家臣団を持たない直政に武田遺臣を承継させ大名格に引上げた。井伊直政は、「徳川四天王」最年少ながら家中第一の大身となり娘は松平忠吉(家康の四男)に入輿(末娘は伊達政宗の長男秀宗に嫁がせる)、関ヶ原の戦いで寝返り工作を成功させ近江佐和山藩18万石に封じられたが、「島津の退き口」で受けた鉄砲傷が元で41歳の若さで病没した。幕命で佐和山城を廃し彦根城へ移った嫡子の直勝は病弱(精神薄弱か)で家康の介入を招き大坂陣不出馬を理由に次弟の直孝に交代させられた。井伊直勝には上野安中藩3万石が分知され、嫡子直好は三河西尾藩から遠江掛川藩へ移封(共に3万5千石)、嫡孫の井伊直朝が発狂するも改易を免れ養嗣子直矩が越後与板藩2万石(城無大名)へ移され幕末まで存続した。近江彦根藩15万石を継いだ井伊直孝は、将軍秀忠の臨終に際して家光の後見役(大政参与)に任じられ将軍家光からも絶大な信頼を得て30万石へ累進、井伊家は幕末まで彦根藩と譜代筆頭の家格を保ち直澄・直興・直幸・直亮・直弼の大老を輩出した。幕府最後の大老井伊直弼は将軍継嗣問題で安政の大獄を発動し桜田門外の変で落命、10万石を没収された彦根藩は譜代筆頭にも関わらず官軍の先鋒を買って出た。伯爵井伊家の子孫は現在も彦根随一の名家として存続する。
- 彦根藩祖の井伊直政は、徳川家康の「四天王」に数えられた猛将にして関ヶ原合戦の西軍寝返り工作を担った智将、武田遺臣と山県昌景の「赤備え」を引継いだ井伊軍は徳川家中随一の精強を誇った。2代目の井伊直孝は将軍徳川家光の大政参与(大老)となり、彦根藩30万石は「譜代筆頭」の家格を伝え幕末までに5人の大老を輩出した。「最後の大老」井伊直弼は、13代彦根藩主井伊直中の十四男で、養子の口が見つからず居宅を「埋木舎」と自嘲し不遇を託ったが、14代藩主を継いだ長兄の井伊直亮が無嗣没し世子の次兄直元も早世、破格の幸運に恵まれ15代藩主の座に就いた。江戸中期以降は大名家といえども武家の三男以下の処遇は悲惨で、他藩主や重臣に入嗣できれば幸い、でなければ僅かな捨扶持をもらって一生飼い殺しにされ多くは妻帯も許されなかった(子ができると行末まで藩が面倒をみなければならないため)。井伊直弼が桜田門外で暗殺された後は庶長子の井伊直憲が16代彦根藩主に就任、島津久光の文久の改革で公武合体派が政局を握ると彦根藩は30万石から20万石へ減封され(後3万石加増)、戊辰戦争が起ると譜代筆頭でありながら早々に官軍へ寝返り、廃藩置県後は家格並の伯爵に叙された。
井伊直政と同じ時代の人物
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戦国
織田 信長
1534年 〜 1582年
140点※
中世的慣習を徹底破壊して合理化革命を起し新兵器鉄砲を駆使して並居る強豪を打倒した戦国争覇の主人公ながら、天下統一を目前に明智光秀謀反で落命し家臣の豊臣秀吉・徳川家康に手柄を奪われた悲劇の英雄
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戦国
毛利 元就
1497年 〜 1571年
100点※
安芸の小領主の次男坊から権謀術数で勢力を拡大、息子の吉川元春・小早川隆景を両翼と頼み、厳島の戦いで陶晴賢を討って大内家の身代を奪取、月山富田城の尼子氏も下して安芸・備後・周防・長門・石見・出雲・隠岐・伯耆・因幡・備中を制覇した戦国随一の智将
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戦国
徳川 家康
1542年 〜 1616年
100点※
旧主今川義元を討った織田信長と同盟して覇業の一翼を担い、豊臣秀吉没後秀頼を滅ぼして天下を奪取、信長の実力主義・中央独裁を捨て世襲身分制で群雄割拠を凍結し265年も時間を止めた徳川幕府の創設者
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