山本権兵衛の申送りで軍令部総長となり満州事変から終戦まで海軍に君臨、軍拡反米英の「艦隊派」首領として海軍を日独伊三国同盟・対米開戦へ導き特攻作戦も発動した皇族元帥
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伏見宮 博恭王
1875年 〜 1946年
0点※
家系・子孫
- 伏見宮博恭王(愛賢王)は、伏見宮貞愛親王(元帥陸軍大将)の庶長子(生母は女房の河野千代子)で後嗣対象から外されたが、幼少期に明治天皇の特旨により嗣子の絶えた華頂宮を相続、正嫡の弟である邦芳王が病弱のため成人後に復籍し伏見宮を継承した。伏見宮博恭王は公爵徳川慶喜の九女経子を娶り、四男三女をもうけた。長男の博義王は海軍大佐となったが早世、その子博明王が博恭王没後に後を継いだが大戦後に皇籍離脱し伏見宮は断絶した。伏見宮博恭王は復籍に際し2歳の次男博忠王に華頂宮を継がせ、華頂宮博忠王は海軍中尉となったが22歳で無嗣没し華頂宮も断絶した。博恭王三男の博信王(臣籍降下し侯爵華頂博信)は海軍人から貴族院議員となった旧皇族の離婚第一号、四男の博英王(臣籍降下し伯爵伏見博英)は海軍へ進んだがインドネシアで戦死している。
伏見宮博恭王と同じ時代の人物
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戦前
伊藤 博文
1841年 〜 1909年
100点※
高杉晋作の功山寺挙兵を支えた長州維新の功労者、大久保利通没後の明治政界を主導し内閣制度発足・大日本帝国憲法制定・帝国議会開設・不平等条約改正・日清戦争勝利を成遂げ国際協調と民権運動との融和を進めた大政治家
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戦前
渋沢 栄一
1840年 〜 1931年
100点※
徳川慶喜の家臣から欧州遊学を経て大蔵省で井上馨の腹心となり、第一国立銀行を拠点に500以上の会社設立に関わり「日本資本主義の父」と称された官僚出身財界人の最高峰
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戦前
豊田 喜一郎
1894年 〜 1952年
100点※
豊田佐吉の長男で共に画期的な動力織機を発明するが、繊維産業の凋落を見越し紡績から自動車への事業転換を敢行したトヨタグループ創業者
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