石油メジャーと業界への反抗を貫くも潰されず同族経営・薄給ながら猛烈に働く社員団に支えられ民族資本の元売大手「出光興産」を創建、「日章丸事件」で「海賊とよばれた男」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦後
出光 佐三
1885年 〜 1981年
80点※
家系・子孫
- 出光佐三は、福岡県宗像市で藍玉問屋を営む出光藤六の六男二女の次男に生れ(因みに渋沢栄一の生家は埼玉県深谷市の藍玉問屋)福岡市商業学校から神戸高等商業学校(神戸大学)へ進んだが、エリートの道を捨て北九州門司で個人商店「出光興産」を創業した。出光佐三は兄弟を出光興産の要職に就けたが、弟の出光弘は独自にガソリンスタンド「新出光(IDEX)」を創業、新出光は600店の全国チェーンへ発展し2015年現在孫の出光泰典が社長を務める。さて、出光佐三は「大家族主義」を掲げ従業員との相互依存関係を強めたが、一方で極端な同族支配を敷き役員を近親者で固めた。出光興産の社長は、出光佐三から末弟の出光計助へ承継され、中継ぎの側近石田正實を挟んで4代目は姉キクの次男大和勝、出光佐三の没後すぐに一人息子(他に四女あり)の出光昭介が5代目に就任し、6代目は兄出光雄平(初代大連支店長)の次男出光裕治、7代目は計助の次男出光昭と続いた。2002年天坊昭彦の8代目社長就任で出光興産は漸く同族経営から脱却し2006年に上場企業となったが、出光昭介の二男一女(正和・正道・佐千子)を筆頭に一族が大株主に名を連ねる。石油メジャーと石油業界に反抗し続けた出光佐三は企業防衛のため非上場・同族支配の必要に駆られたに違いないが、労働組合排除・定年制不採用・出勤簿不採用(残業代抑制か)等の人事政策をみると「大家族経営」の主眼は同族支配と人件費抑制にあったように思われ、実際に出光興産の給料は同業他社よりかなり安かった。出光佐三はケチで鳴らしたが「仙厓」コレクションや丸の内・門司の「出光佐三美術館」に巨費を投じており、薄給に泣いた猛烈社員達の悲嘆が偲ばれる。
出光佐三と同じ時代の人物
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戦後
岸 信介
1896年 〜 1987年
100点※
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
戦後
重光 葵
1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
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戦後
孫 正義
1957年 〜 年
100点※
在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
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