藩主毛利敬親の信任を得て保守佐幕派を抑えつつ、木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞ら吉田松蔭門下生を支援した長州正義派の執政
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周布 政之助
1823年 〜 1864年
70点※
家系・子孫
- 周布氏は、毛利家譜代の名門益田氏の庶流で、大組士家禄200余石は中級ランクであった(なお高杉晋作は200石で木戸孝允は150石)。益田氏は、もと石見の有力豪族で大内義興に仕えたが逸早く毛利元就へ転じ、益田宗兼・尹兼・藤兼の三代は毛利氏に重用され、次の益田元祥は吉川元春(元就の次男)の娘を妻に迎え関ヶ原合戦後に「五郎太石事件」で熊谷元直の一族を滅ぼし毛利輝元のもと藩政を掌握した。第一次長州征討で引責自決した益田弾正は益田氏の嫡流である。なお、宗兼祖父の益田兼堯は大内氏に寄寓した雪舟を庇護、お礼に雪舟が描いた『兼堯像』が現存する。さて周布政之助は、村田清風に見出され長州藩主毛利敬親の信任を得て執政の座に就いたが禁門の変に絶望し自殺、嫡子(次男)の公平が家督を継ぎ、長子(庶子か)の周布藤吾は第二次長州征討で戦死した。周布公平は、明治政府に出仕し、第一次山縣有朋内閣の書記官長(官房長官)、兵庫県知事、枢密顧問官を歴任し、正三位・男爵に叙され貴族院議員に勅撰された。嫡子の周布兼道が男爵周布家を相続した。
周布政之助と同じ時代の人物
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維新
大久保 利通
1830年 〜 1878年
130点※
島津久光を篭絡して薩摩藩を動かし岩倉具視と結んで明治維新を達成、盟友の西郷隆盛も切捨てる非情さで内治優先・殖産興業・富国強兵の路線を敷き近代国家の礎を築いた日本史上最高の政治家
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維新
高杉 晋作
1839年 〜 1867年
110点※
吉田松陰の枠を超えた「防長割拠論」を実践し庶民軍の奇兵隊を創設して洋式軍備を拡充、功山寺挙兵で佐幕政権を覆し薩長同盟で背後を固め第二次長州征討の勝利で幕威を失墜させた長州維新の英雄
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維新
西郷 隆盛
1828年 〜 1877年
100点※
島津斉彬の懐刀として政治力・人脈を培い大人格者の威望をもって討幕を成遂げた薩摩藩の首魁、没落する薩摩士族に肩入れし盟友の大久保利通に西南戦争で討たれたが「大西郷」人気は今も健在
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