創業者の乾恒雄から「オリックス」を承継し「改革利権」で肥大化した「規制改革の旗手」、小泉構造改革を牽引したが「村上ファンド」「かんぽの宿」で正体露見
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照宮内 義彦
1935年 〜 年
40点※
宮内義彦の寸評
宮内義彦の史実
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1935年
米国系材木輸入商社に勤務する宮内義作の嫡子宮内義彦が神戸市にて出生
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1936年
二・二六事件
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1936年
広田弘毅内閣(外務官僚)発足~軍国主義化が一気に加速
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1936年
日独防共協定調印
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1936年
広田弘毅内閣が「北守南進政策」を決定
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1936年
ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約廃棄
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1937年
第一次近衛文麿内閣(公家・外相広田弘毅)発足~亡国の貴公子登場
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1937年
盧溝橋事件で日中戦争が始まる
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1937年
近衛文麿内閣の増派決定で日中戦争拡大
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1937年
第二次国共合作成立
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1937年
鮎川義介が石原莞爾ら陸軍の要請に応じ満州重工業開発株式会社を設立し日産の重工業部門を満州へ移転
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1937年
豊田喜一郎がトヨタ自動車工業株式会社設立、初代社長は豊田利三郎に譲り副社長就任
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1937年
東京自動車工業株式会社(現いすゞ自動車)設立
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1937年
機械系輸出で自転車・自動車関連が躍進
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1938年
近衛文麿首相が「国民政府を対手とせず」と発表(第一次近衛声明)
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1938年
国家総動員法公布~軍国主義化の決定打
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1938年
近衛文麿首相が「東亜新秩序声明」~欧米を激しく挑発
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1939年
米穀配給統制法公布、生活物資の配給制が始まる
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1939年
ノモンハン事件勃発
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1939年
天津事件、アメリカが日米通商航海条約破棄を通告
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1939年
独ソ不可侵条約調印
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1939年
ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発
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1940年
第二次近衛文麿内閣(公家)発足(松岡洋右外相・東條英機陸相)
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1940年
アメリカが対日屑鉄輸出を全面禁止、ABCD包囲網による経済封鎖が本格化
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1940年
近衛文麿内閣が日独伊三国同盟を決定し英米が正面敵となる
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1940年
日本軍が北部仏領インドシナへ進駐し南進政策始動
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1940年
近衛文麿首相が大政翼賛会を結成し総裁就任
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1941年
松岡洋右外相がスターリンを訪問し電撃的に日ソ中立条約調印
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1941年
独ソ戦開戦
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1941年
第三次近衛文麿内閣(公家)発足、松岡洋右外相を放逐
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1941年
関東軍特種演習~対ソ連開戦に備えた関東軍増強
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1941年
南部仏領インドシナ進駐開始
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1941年
アメリカが対日石油輸出全面禁止
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1941年
御前会議で「帝国国策遂行要領」を定め対米開戦決意
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1941年
東條英機内閣(陸軍)発足
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1941年
アメリカの最後通牒(ハル・ノート)で日米交渉が決裂し御前会議で対米開戦決定
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1941年
宮内義作の米国系貿易会社が閉鎖され神戸市長田区の材木商松林組へ転職、長男の宮内義彦は祖母と共に山口県玖珂郡鳴門村(現柳井市)へ疎開
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1941年
日本海軍の真珠湾攻撃・陸軍のマレー侵攻で太平洋戦争勃発
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1942年
日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略
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1942年
日本軍がインドネシア全域を占領し石油供給源を獲得(シーレーン断絶で宝の持ち腐れとなる)
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1942年
ミッドウェー海戦で日本海軍大敗
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1942年
鮎川義介が満州重工業開発総裁を辞任し日産コンツェルンは満州から全面撤退
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1943年
日本軍がソロモン沖海戦で敗北しガダルカナル島撤退
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1943年
ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏
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1943年
米英中が「カイロ宣言」発表
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1943年
宮内義作が兵庫県佐用町の松林組新工場へ移され宮内義彦ら一家6人で移住
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1944年
マリアナ沖海戦敗北・サイパン島陥落で日本の敗戦が決定的となる
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1944年
伏見宮博恭王の示唆により軍令部で特攻作戦の計画が具体化
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1944年
小磯國昭内閣(陸軍)発足
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1944年
ブレトン・ウッズ協定、金本位制に基づく対ドル固定相場制の導入
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1944年
村田昭が村田製作所を創業し「三菱電機伊丹製作所協力工場」として軍需品チタンコンデンサの製造開始
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1944年
小磯國昭内閣が徴兵年齢を拡大し「根こそぎ動員」
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1944年
レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅し南方補給路が断絶(伏見宮博恭王元帥の示唆で「特攻作戦」始動)
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1944年
学童疎開が義務化され東京・大阪などから41万人以上が集団疎開
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1945年
米英ソがヤルタ会談(ソ連の対日参戦を秘密合意)
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1945年
陸海軍統帥部が「本土決戦完遂基本要綱」を決定
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1945年
東京大空襲はじめ米軍の空爆で全国主要都市が焼け野原と化す
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1945年
硫黄島陥落で日本軍は本土制空権も完全喪失
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1945年
沖縄戦が始まる
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1945年
吉田茂が近衛上奏文事件で憲兵隊に2ヶ月間拘置され反軍部の「勲章」獲得
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1945年
鈴木貫太郎内閣(海軍)発足
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1945年
ドイツが連合国に降伏
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1945年
連合国がポツダム宣言発表
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1945年
トルーマンが広島に原子爆弾投下
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1945年
ソ連が日ソ中立条約を破り満州・樺太・朝鮮へ侵攻
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1945年
トルーマンが長崎に原子爆弾投下
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1945年
日本がポツダム宣言に基づく降伏を通告
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1945年
玉音放送
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1945年
9歳の宮内義彦は一家と共に兵庫県佐用町で終戦を迎える
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1945年
全国都市部に闇市が勃興(新宿・小津組、浅草・芝田組、池袋・関口組、銀座・上田組、新橋・松田組・・・)
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1945年
東久邇宮稔彦王首相の「一億総懺悔」発言で敗戦原因究明がうやむやとなる
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1945年
マッカーサー連合軍最高司令官が着任し連合軍進駐開始
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1945年
日本代表の重光葵外相が降伏文書に調印し第二次世界大戦終結、ソ連は満州侵略を止めず北朝鮮まで制圧
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1945年
GHQが言論統制を発動し民間検閲支隊による徹底的な検閲を開始
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1945年
GHQが東條英機を逮捕し戦犯狩り始動
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1945年
GHQが自主路線の重光葵外相を更迭し超従米路線の吉田茂に外相交代
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1945年
米国務省が「降伏後における米国の初期対日方針」決定
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1945年
御手洗毅の精機光学工業(キヤノン)が海軍等技術者を招聘し高級カメラ製作で事業再開(戦災で焼失した産科医院は再建断念)、進駐軍将校相手に盛況を呈す
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1945年
連合軍総司令部(GHQ)による間接統治開始(~1952)
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1945年
GHQが五大改革指令
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1945年
マッカーサーが日本軍の武装解体完了を宣言
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1945年
国際連合発足
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1945年
雑誌の創刊・復刊ブーム
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1945年
GHQが財閥解体指令
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1945年
陸軍省・海軍省が復員省に改組され700万人以上の復員軍人を処理
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1945年
衆議院議員選挙法改定(婦人参政権容認)、「GHQ解散」
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1946年
天皇の「人間宣言」(神格否定の詔書公表)
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1946年
GHQが公職追放を発動し軍関係者を中心に約21万人が遭難(1951年解除)
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1946年
インフレ抑制のため預金封鎖・新円切替を断行
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1946年
GHQ指令に基づき労働組合法公布
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1946年
国際通貨基金(IMF)発足
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1946年
新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)
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1946年
GHQが持株会社整理委員会を設置し財閥解体を本格化
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1946年
親米派財界人により経済同友会発足
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1946年
極東国際軍事裁判(東京裁判)開始(~1948)
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1946年
井深大・盛田昭夫が東京日本橋に東京通信工業設立(ソニー創業)
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1946年
GHQが自主路線の鳩山一郎を公職追放し第一党自由党の後継総裁に吉田茂が就任
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1946年
第一次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任
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1946年
経済安定本部(安本)・物価庁設置
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1946年
復興金融公庫法・戦時保障特別措置法成立
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1946年
吉田茂内閣がGHQ指令に従い破壊的改革を強いる第二次農地改革法を制定
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1946年
本田宗一郎が浜松市に本田技術研究所を設立し原動機付自転車「バタバタ」が大ヒット(本田技研工業創業)
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1946年
吉田茂首相がGHQ作成「押付け憲法」を押通し日本国憲法公布
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1946年
吉田茂内閣で「戦後処理費(米軍駐留経費)」が膨張し一般歳出の32%を占める
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1946年
吉田茂内閣が閣議で鉄鋼・石炭の「傾斜生産方式」採用を決定
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1947年
手塚治虫(大坂医専学生)の長編漫画単行本『新寳島』が累計40万部の大ヒットで「赤本」ブームを巻起す(戦後ストーリー漫画の原点)
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1947年
マッカーサー元帥の「2・1ゼネスト」中止声明で労働組合運動が沈静化
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1947年
井植歳男(松下幸之助の義弟)がGHQ対策のため松下電器産業を退社し三洋電機創業(自転車用発電ランプ事業を承継)
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1947年
GHQにより独占禁止法制定
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1947年
GHQ作成日本国憲法施行
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1947年
石油配給公団発足に伴い出光興産が販売店指定を獲得し石油業界に復帰(出光商会を吸収合併)
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1947年
過度経済力集中排除法(財閥解体の施行細則)施行
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1947年
民法改正(夫婦平等・戸主権や長子相続権の廃止・自由結婚など)
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1947年
村田昭の村田製作所が田中哲郎京大助教授と共同で主力製品セラミックコンデンサの基礎となるチタン酸バリウム磁器素体の開発に成功
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1948年
GHQ参謀第2部が民政局を打倒し第二次吉田茂内閣(民主自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任
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1948年
米政府が「国家安全保障会議文書」において日本経済の破壊から復興への180度戦略転換を確定
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1948年
GHQが日本解体方針を緩和し「経済安定九原則」発表
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1948年
東條英機(享年63)らA級戦犯7名の死刑執行、他の戦犯容疑者は釈放
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1948年
宮内義作が米国商人館出入りの木材輸入商となり一家は神戸へ帰還、宮内義彦は関西学院中学部から関西学院大学商学部へ進み父の命令で徹底した英語教育を施される
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1949年
米軍が日本の再軍備方針を決定
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1949年
ドッジ・ライン(GHQによる超緊縮財政政策)が深刻な反動デフレを引起し日本産業界は壊滅に瀕す
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1949年
GHQが1ドル=360円の単一為替レートを設定
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1949年
ドッジ・ラインに基づく国鉄人員整理発表、下山事件・三鷹事件・松川事件
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1949年
シャウプ勧告(税制改革指令)
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1949年
ソ連の核実験成功で東西冷戦が本格化
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1949年
ドッジ・ライン恐慌でラジオセットメーカーの大半が倒産し関西の生残りは松下電器産業と早川電機工業(シャープ)のみ、部品供給の村田製作所も経営難に陥る
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1950年
ドッジ・ライン恐慌が深刻化、池田勇人蔵相は「中小企業の一部倒産やむなし」と発言
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1950年
GHQ民主化政策の一環で電波3法成立・NHK独占のラジオ放映権が解放され民放開局が相次ぎラジオ・ブーム加速
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1950年
朝鮮戦争勃発、米軍の特需で日本経済は蘇生しアメリカは破壊から復興へ対日政策を転換
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1950年
GHQと反共の吉田茂首相がレッド・パージを開始し約1万2千人を公職追放(逆コース)
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1950年
GHQ指令を受け吉田茂政府が国家警察予備隊(自衛隊)創設
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1950年
池田勇人蔵相が「貧乏人は麦を食え」発言
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1950年
産業別労働人口:第一次産業48,5%・第二次21.8%・第三次29.6%
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1951年
公職追放解除
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1952年
GHQ指令を受け吉田茂政府が海上警備隊(海上自衛隊)創設
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1952年
ラジオ番組『君の名は』が空前の大ヒット(~1954年)
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1952年
サンフランシスコ講和条約・日米安保条約・行政協定が発効、GHQは廃止され日本は独立を達成
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1952年
血のメーデー事件(2人射殺・逮捕者1230人)
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1952年
財閥解体の緩和が進み三井生命保険・住友銀行など財閥商号も復活
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1952年
東京都内のジーンズショップが100店を超える
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1952年
池田勇人通産相が「中小企業の倒産・自殺やむなし」の失言で引責辞任
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1952年
本田宗一郎の本田技研工業が小型バイク「カブ」を発売し大ヒット
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1953年
早川徳次の早川電機工業(シャープ)が国産初の白黒テレビ発売
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1953年
テレビ放送開始
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1953年
出光佐三の出光興産「日章丸二世」が英国海軍の監視をかわしイランから原油搬入、BPが積荷の所有権を主張するが東京地裁で出光興産の勝訴決定(日章丸事件)
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1953年
朝鮮戦争休戦、反動需要減に日銀の金融引き締めが拍車をかけ長期不況に陥る
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1953年
林正之助・林弘高の吉本興業が力道山(元大相撲関脇)を迎え日本プロレス協会(日本プロレスリング興業株式会社)設立、テレビ放送でプロレス・ブーム到来(1957年人気低落に伴い吉本興業は撤退)
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1954年
集団就職列車はじまる(~1975)
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1954年
朝日新聞が「国民所得戦前水準を抜く/消費増で国際収支赤字」と報道
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1954年
アメリカの圧力により吉田茂政府が国家警察予備隊を常設軍隊「自衛隊」へ改組(陸上13万人・海上1万5千人・航空6千人)
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1954年
第一次鳩山一郎内閣(民主党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任
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1954年
高度経済成長はじまる(~1973)
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1955年
井深大の東京通信工業(ソニー)が国産初のトランジスタラジオを発売し商標「SONY」で世界的大ヒット
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1955年
日本がGATT(関税及び貿易に関する一般協定)加盟
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1955年
保守合同で自由民主党(鳩山一郎総裁・岸信介幹事長、衆院299議席・参院69議席)が発足し「55年体制」開始
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1955年
アメリカの意を受けた中曽根康弘主導で「原子力の平和利用」促進のための原子力基本法成立
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1956年
原子力基本法に基づき原子力委員会が発足し正力松太郎が初代委員長就任(委員にノーベル物理学賞受賞の湯川秀樹ら)
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1956年
鳩山一郎政府が経済白書に「もはや戦後ではない」と記し戦後復興完了を宣言
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1956年
日本・フィリピン国交回復(賠償金1980億円・借款900億円)
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1956年
自主路線の鳩山一郎内閣が日ソ国交回復を達成
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1956年
日ソ国交回復を受け国際連合が日本の加盟を承認、重光葵外相の国連総会演説が賞賛される
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1956年
石橋湛山内閣(自民党・言論人・自主路線)発足、岸信介が外務大臣就任
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1956年
公団住宅の供給がはじまる
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1957年
宮内義彦が関西学院大学商学部在学中に肺結核に罹り一時病床生活を送る
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1957年
第一次岸信介内閣(自民党・経済官僚・自主路線)発足、岸信介が外務大臣兼任(藤山愛一郎と途中交代)
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1957年
欧州経済共同体(EEC)発足
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1957年
原子力政策推進のため科学技術庁が発足し米CIAに属す正力松太郎が初代長官就任、湯川秀樹が原子力委員会委員辞任で抗議
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1957年
岸信介が首相として初めてビルマ・インド・インドネシア・パキスタン・セイロン・タイ・台湾を歴訪
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1957年
岸信介首相が「外交三原則」でアジア重視の外交方針を宣言
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1957年
中内功が末弟の中内力と大阪千林駅前に「主婦の店ダイエー薬局店」開業(ダイエー創業)
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1957年
電力9社と電源開発の出資により日本原子力発電株式会社設立
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1958年
宮内義彦が関西学院大学商学部を卒業し父の命令でワシントン大学大学院留学(MBAコース)
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1958年
日本・インドネシア国交回復(賠償金803億円・無償供与636億円・借款1440億円)
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1958年
安藤百福が即席麺「チキンラーメン」を発売しテレビCMで大ヒット(日清食品創業)
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1958年
東京タワー開業
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1958年
全学連・社会党・総評が岸信介政権を攻撃し「安保闘争」が過熱
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1959年
『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』創刊
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1959年
稲盛和夫がファインセラミックス専門メーカー「京都セラミック」設立(京セラ創業)
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1959年
三井三池争議、「総資本対総労働の対決」に組合側敗北
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1960年
日本・ベトナム国交回復(賠償金140億円・借款59億円)
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1960年
日米新安保条約・地位協定発効
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1960年
東芝が国産第1号のカラーテレビ発売
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1960年
第一次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
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1960年
石油輸出国機構 (OPEC) 設立
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1960年
宮内義彦がワシントン大学大学院経営学部修士課程(MBA)を修了し父のコネで日綿實業(→ニチメン→双日)入社
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1960年
池田勇人内閣が「所得倍増計画」を閣議決定
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1960年
ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否
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1961年
アイゼンハワー米大統領が退任演説で「軍産複合体」の危険性を警告
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1961年
高原慶一朗が愛媛県川之江市(現四国中央市)に建材加工の大成化工を設立し2年後生理用ナプキンの生産開始(ユニ・チャーム創業)
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1961年
日本経済団体連合会(経団連)発足
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1961年
電気洗濯機の世帯普及率が50%突破
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1962年
キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避
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1962年
池田勇人首相が欧州7ヶ国を歴訪しGATT35条撤回およびOECD加盟の交渉が前進
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1962年
池田勇人内閣が米政府の反対を押切り中国と「LT貿易」合意
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1963年
日本初のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始
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1963年
日本がGATT11条国へ移行(GATT35条適用撤廃、為替・貿易原則自由化)
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1963年
『花の生涯』でNHK大河ドラマが始まる
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1963年
長銀が日本初の総合リース会社「日本リース」創業(1998年長銀と共に経営破綻)
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1963年
本田宗一郎の本田技研工業が軽トラックを発売し四輪車事業に参入
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1963年
日本原子力研究所が日本で最初の原子力発電を実施(「原子力の日」)
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1963年
キヤノンカメラが世界初のオートフォーカス「キャノンAFカメラ」発売、世界市場でドイツ勢・ライカを凌駕
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1963年
ニチメンの宮内義彦が3ヶ月間の米国研修へ出されUSリーシング社でリース業を学ぶ
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1964年
日本がIMF8条国へ移行(為替取引制限撤廃)
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1964年
日本人の海外旅行自由化(IMF・OECD加盟による)
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1964年
ニチメン・三和銀行ら3商社5銀行が共同出資で大阪市堂島にオリエント・リースを設立し米国直輸入でリース業開始(オリックス創業)、初代社長はニチメンの福井慶三社長が兼務し社員の宮内義彦らが出向
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1964年
日本が経済協力開発機構(OECD)加盟
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1964年
家電製品の「価格破壊」をめぐり「ダイエー・松下戦争」勃発(~1994)
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1964年
米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化
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1964年
IMF・世界銀行東京総会
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1964年
東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通
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1964年
東京オリンピック
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1964年
中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)
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1964年
第一次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足
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1965年
日韓基本条約調印
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1965年
李光耀のシンガポールがマレーシアから独立
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1965年
インドネシアでクーデター未遂事件(9月30日事件)、スカルノ大統領が失脚しスハルトが政権奪取
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1965年
日本初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始、虫プロの版権部門を独立させ「虫プロ商事」設立、手塚治虫がニューヨーク世界博覧会でウォルト・ディズニーと初対面
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1965年
日本・ビルマ(ミャンマー)国交回復(賠償金1224億円)
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1965年
日韓国交回復(無償供与1080億円・借款720億円・民間借款1080億円超)
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1965年
電気冷蔵庫の世帯普及率が50%突破
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1966年
『ウルトラマン』のテレビ放送開始
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1966年
日産自動車が経営難のプリンス自動車工業を吸収合併
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1967年
公害問題が深刻化し四大公害訴訟はじまる(水俣病・第二水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病)
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1967年
欧州共同体(EC)発足
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1967年
公害対策基本法施行
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1967年
東南アジア諸国連合(ASEAN)発足
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1967年
オリエント・リースが「独立戦争」を経てニチメン・三和銀行から独立、首謀者の乾恒雄(三和銀行出身)が2代目社長に就き腹心の宮内義彦はニチメンから転籍
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1968年
全共闘運動が全国の大学に広がる
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1968年
少年誌『週刊少年ジャンプ』・青年誌『ビッグコミック』『プレイコミック』創刊
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1968年
インテル設立
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1968年
日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる
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1969年
井植歳男死去
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1969年
『週刊少年チャンピオン』創刊
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1969年
テレビアニメ『サザエさん』(長谷川町子原作)放送開始
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1969年
ウォルマート設立
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1969年
佐藤栄作首相とニクソン米大統領が沖縄返還を基本合意、核兵器持込み容認と日本の繊維輸出自主規制を密約
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1969年
御手洗毅のキヤノンが独占企業ゼロックスの特許を使わない複写機を開発しシェア急伸
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1969年
冷戦のデタント時代(~1979)
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1970年
宮内義彦がオリエント・リース取締役就任
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1970年
日本万国博覧会が大阪で開催され万博史上最高6422万人の入場者数を記録
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1970年
オリエント・リース(現オリックス)が大阪証券取引所2部に株式上場(宮内義彦が上場実務を担当)
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1970年
岡田卓也の岡田屋がフタギ・オカダヤチェーン・カワムラ・ジャスコを吸収合併し「ジャスコ株式会社」設立(→イオン)、三重県四日市から大阪市福島区へ本社移転
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1970年
佐藤栄作内閣が日米新安保条約・地位協定の継続を選択
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1970年
電気洗濯機の世帯普及率が90%突破
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1970年
対日貿易を中心にアメリカの貿易赤字が拡大
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1970年
産業別労働人口:第一次産業19.3%・第二次34.0%・第三次46.6%
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1971年
『仮面ライダー』(石ノ森章太郎原作)のテレビ放送開始
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1971年
環境庁発足
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1971年
ニクソン米大統領が訪中宣言(ニクソン・ショック)、繊維問題の報復で日本は蚊帳の外
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1971年
ニクソン米大統領がドル兌換停止宣言(ニクソン・ショック)、ブレトン・ウッズ体制(金本位制に基づく対ドル固定相場制)が崩壊し急激な円高が日本の輸出産業を直撃
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1971年
安藤百福の日清食品が「カップヌードル」を発売しカップ麺ブームが始まる
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1971年
アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)
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1971年
ドル切下げにより1ドル360円から308円となる
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1971年
宮内義彦が勤めるオリエント・リースが香港に現地法人を設立し海外展開始動
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1971年
電気冷蔵庫の世帯普及率が90%突破
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1972年
札幌冬季オリンピック
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1972年
連合赤軍あさま山荘事件
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1972年
ニクソン訪中、繊維問題の報復で米国務省は「尖閣問題」の日本支持を修正
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1972年
沖縄返還
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1972年
富士通で稲葉清右衛門が計算制御部を分社化して「富士通ファナック」を設立し専務取締役就任(ファナック創業)
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1972年
田中角栄が「日本列島改造論」発表
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1972年
第一次田中角栄内閣(自民党・土建業・自主路線)発足
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1972年
「日本列島改造論」の田中角栄政権で高速道路・地方鉄道の建設ラッシュが始まる
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1972年
中内功のダイエーが三越を抜き小売業売上高日本一を達成
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1972年
田中角栄首相が訪中し日中国交正常化(台湾が日本に国交断絶を通告し台湾断交)、ニクソン・キッシンジャー米政権は激怒
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1972年
宮内義彦が勤めるオリエント・リースが大阪市堂島から東京都港区に本社移転、オリエント・リース・アルファ(→オリックスに統合)、オリエント・オート・リース(→オリックス自動車)、シンガポール現地法人設立
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1972年
カラーテレビの世帯普及率が50%突破
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1973年
『仁義なき戦い』(深作欣二監督)上映
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1973年
日本を含む各国が変動相場制へ移行し円急騰
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1973年
鈴木修常務の鈴木自動車工業(スズキ)が軽自動車販売で日本一となる(~2006)
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1973年
藤子不二雄原作『ドラえもん』のテレビアニメ放送開始
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1973年
永守重信が京都市で日本電産を創業し精密小型モーター製造開始
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1973年
第四次中東戦争、エジプト・シリア軍の先制攻撃にイスラエル軍が大苦戦
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1973年
第一次オイルショック(狂乱物価と省エネブーム)で高度経済成長が終焉、田中角栄内閣の「日本列島改造」は挫折し福田赳夫の総需要抑制策へ転換
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1973年
オイルショックに伴う貸渋りでオリエント・リースが経営難、財務担当常務の宮内義彦は資金繰りに奔走
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1973年
巨人が9年連続でセリーグと日本シリーズを制覇(V9)、王貞治は打率355(生涯最高)・本塁打51・打点114で悲願の三冠王となりシーズンMVP獲得
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1973年
手塚治虫の虫プロ商事・虫プロダクション倒産、人気低迷のうえ多額の保証債務を抱えるが『週刊少年チャンピオン』連載の『ブラック・ジャック』・『週刊少年マガジン』連載の『三つ目がとおる』で復活
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1973年
宮内義彦が勤めるオリエント・リースがマレーシアに現地法人設立
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1973年
カラーテレビの世帯普及率が白黒テレビを突破
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1974年
田中角栄首相が東南アジア歴訪し「資源外交」を展開、米CIAは反日暴動扇動で妨害
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1974年
鈴木敏文のヨークセブン(イトーヨーカ堂の子会社)が東京豊洲にセブン-イレブン1号店開業
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1974年
鄧小平が訪米し新日本製鐵等からの技術導入を号令
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1974年
滝崎武光が尼崎市にリード電機設立(キーエンス創業)
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1974年
立花隆が『文藝春秋』で「田中角栄研究 その人脈と金脈」を発表、アメリカと従米派による田中角栄下しが始まる
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1974年
テレビアニメシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』(松本零士原作)放送開始
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1974年
巨人の連続日本一がV9で終わり長嶋茂雄が現役引退し川上哲治の後任監督に就任~生涯成績は打率305(首位打者6回)・本塁打444(本塁打王2回)・打点1522(打点王5回)・シーズンMVP5回、王貞治は三冠王とシーズンMVPを2年連続獲得
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1974年
フォード米大統領が現職として初めて訪日し田中角栄首相と会談
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1974年
三木武夫内閣(自民党・従米路線)発足
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1974年
電源三法成立で原発建設への交付金制度確立
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1975年
サイゴン陥落により共産軍勝利でベトナム戦争終結
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1975年
中内功のダイエーが「ダイエーローソン株式会社」でCVSに参入し豊中市にローソン1号店開業
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1975年
ビル・ゲイツがマイクロソフト創業
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1975年
広島カープがセリーグ初優勝(長嶋茂雄監督の巨人は最下位)
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1975年
第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加
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1975年
オリエント・リースで創業者の乾恒雄社長が筆頭常務の宮内義彦を後継指名し経営権委譲、韓国・インドネシアに現地法人設立
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1975年
カラーテレビの世帯普及率が90%突破
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1975年
戦後2度目の国債発行、赤字国債発行が恒常化(~1989)
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1976年
スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータ設立
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1976年
『ブロックくずし』のヒットでゲーム機普及が加速
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1976年
田中角栄前首相がロッキード事件で逮捕される
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1976年
毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結
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1976年
福田赳夫内閣(自民党・財務官僚・自主路線)発足
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1976年
宮内義彦のオリエント・リースがオリエント測器レンタル設立(→オリックス・レンテック)
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1977年
カーター米大統領が在韓地上軍の削減を発表し米国の「アジア離れ」が始まる
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1977年
福田赳夫首相がASEANを歴訪し「福田ドクトリン」「全方位平和外交」声明
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1977年
第10期3中全会で鄧小平が復活し中共中央の実権を掌握
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1977年
「ビデオ戦争」で日本ビクター・松下電器産業(VHS方式)がソニー(ベータ方式)に勝利
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1977年
宮内義彦のオリエント・リースがフィリピンに現地法人設立
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1977年
日本人の平均寿命が男女共に世界一となる
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1978年
タイトーが『スペースインベーダー』(インベーダーゲーム)を発売し大ブームとなる
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1978年
日中平和友好条約締結
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1978年
鄧小平が日中平和友好条約批准で訪日し昭和天皇と会談し新日鉄・トヨタ・松下電器等を視察
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1978年
第11期3中全会で鄧小平指導部が文革否定・改革開放路線決定
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1978年
「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」運用開始
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1978年
第一次大平正芳内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
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1978年
オリエント・リースが業績が低迷するUSリーシングの筆頭株主となり資本関係が逆転(宮内義彦が乾恒雄から同社社外取締役を承継)、タイに現地法人を設立し以後台湾・中国・アジア各国へ拠点拡大
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1978年
乗用車の世帯普及率が50%突破
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1979年
鄧小平が訪米し米中国交樹立、「米中対ソ」の対立構図が鮮明となる
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1979年
ホメイニーのイスラム勢力が米英の傀儡パーレビ王朝を滅ぼし(イラン革命)第二次オイルショック発生
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1979年
テレビアニメ『機動戦士ガンダム』放送開始
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1979年
『Japan as Number One: Lessons for America』(ジャパン・アズ・ナンバーワン)刊行
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1979年
大平正芳首相が訪米し福田赳夫前首相の「全方位外交」を引込め「日米同盟」を強調
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1979年
松下幸之助が私財70億円を投じ財団法人松下政経塾設立
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1979年
井深大のソニーがウォークマン(WALKMAN)を発売し世界中で革命的大ヒット
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1979年
アフガニスタン紛争で米ソ衝突(~1989)、デタントが終焉し冷戦が激化
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1979年
電電公社が世界で初めて車載電話の実用化に成功
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1979年
宮内義彦のオリエント・リースがファミリー信販設立(→オリックス・クレジット)
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1980年
山内溥の任天堂が携帯ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」を発売し大ヒット
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1980年
岡田卓也のジャスコ(現イオン)がコンビニ「ミニストップ」を設立し横浜市大倉山に1号店開業
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1980年
鈴木善幸内閣(自民党・漁協職員・自主路線)発足
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1980年
イラン・イラク戦争勃発(アメリカによるイラン叩き)(~1988)
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1980年
巨人の王貞治が現役引退し助監督就任~生涯成績は打率301(首位打者5回)・本塁打868(本塁打王15回)・打点2170(打点王13回)・三冠王2回・シーズンMVP9回、3年連続V逸で長嶋茂雄から藤田元司へ監督交代
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1980年
オリエント・リース(現オリックス)で創業者の乾恒雄が会長へ退き腹心の宮内義彦が45歳で3代目社長就任
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1980年
日本の自動車生産が1千万台を突破し米国を抜いて世界一
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1980年
産業別労働人口:第一次産業10.9%・第二次33.6%・第三次55.4%
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1981年
ロナルド・レーガン(共和党)が米大統領就任(~1989)~軍核戦争と富裕層減税で「双子の赤字」膨張、日本経済的視政策への転換
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1981年
日本が対米乗用車輸出の自主規制開始(年間168万台からスタート)
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1981年
第11期6中全会で華国鋒が失脚し鄧小平が胡耀邦・趙紫陽を従え支配体制確立
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1981年
孫正義が福岡市に「ユニソン・ワールド」・東京に「日本ソフトバンク」設立(ソフトバンク創業)、家業のパチンコ店の全国展開を断念するが翌年ハドソンと契約しPCソフト卸売市場を独占、「Oh! PC」「Oh! MZ」でPC関連書籍出版に進出
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1982年
東北新幹線・上越新幹線開業
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1982年
第一次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足
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1983年
中曽根康弘首相が韓国の全斗煥大統領を訪問、アメリカの対韓経済援助40億ドルの肩代わり献金を決定
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1983年
中曽根康弘首相が訪米し「不沈空母」発言が物議を醸すが訂正せず
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1983年
東京ディズニーランド開園
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1983年
世論調査で「レジャー・余暇生活」が「今後の生活の力点」でトップとなる
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1983年
山内溥の任天堂が「ファミリーコンピュータ」を発売し家庭用ゲーム機産業の嚆矢となる
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1983年
AT&T創業
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1983年
鈴木修の鈴木自動車工業(スズキ)がインド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ社」で小型車生産開始、インド市場でシェア5割へ躍進
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1983年
宮内義彦のオリエント・リースが船舶不況で大打撃を蒙るがバブル景気で成長維持、オリエント・キャピタル設立(→オリックス・キャピタル)
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1984年
グリコ・森永事件
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1984年
宮崎駿監督の劇場アニメ映画『風の谷のナウシカ』上映、宮崎駿の個人事務所「二馬力」設立
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1984年
御手洗毅死去
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1984年
稲盛和夫の京セラが中心となり第二電電(DDI→KDDI)創業
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1984年
柳井正が伯父柳井政雄・父柳井等から小郡商事(山口県宇部市)を承継し社長就任、広島市袋町に「ユニクロ」1号店を開業し中国地方へ多店舗展開(ファーストリテイリング創業)
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1985年
ソ連でゴルバチョフが政権を掌握しペレストロイカ(再建)・グラスノスチ(情報公開)を断行
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1985年
中曽根康弘政権下で日本電信電話公社が民営化されNTTグループ発足
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1985年
中曽根康弘政権下で日本専売公社が民営化され日本たばこ産業株式会社 (JT) 発足
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1985年
アメリカが通商法301条に基づき100%関税など日本製品への制裁を開始
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1985年
女子差別撤廃条約批准のため男女雇用機会均等法成立
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1985年
山内溥の任天堂がゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』発売(2015年現在も任天堂の代表キャラに君臨)
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1985年
プラザ合意(中曽根康弘内閣による円高容認)、1ドル240円から一気に円高が加速し日本経済の長期低迷と製造業の空洞化が始まる
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1985年
宮内義彦のオリエント・リースが航空機リース参入
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1985年
エアコンの世帯普及率が50%突破
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1986年
鳥山明原作『ドラゴンボール』のテレビアニメ放送開始
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1986年
宮内義彦のオリエント・リースが茜証券を買収(→オリックス証券)
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1986年
ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故
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1986年
エニックスがゲームソフト『ドラゴンクエスト』発売・『ドラゴンボール』の鳥山明がキャラクターデザインを担当
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1986年
日米半導体協定で中曽根康弘首相が日本市場の20%分の米国製半導体輸入を容認
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1986年
「円高不況」打開のため積極的な金融・財政政策が採られ「バブル景気」が始まる
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1986年
ODAが50億ドル突破・アジア向けが急増
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1987年
中国で保守派が巻返し革新派の胡耀邦総書記(鄧小平の腹心)が失脚
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1987年
中曽根康弘政権下で国鉄が分割民営化されJR各社発足
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1987年
竹下登・金丸信が小沢一郎・小渕恵三・橋本龍太郎ら「竹下派七奉行」を従え田中角栄の派閥を乗取り「経世会」発足
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1987年
宮内義彦のオリエント・リースが持分売却しUSリーシングがフォードの完全子会社となる
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1987年
ニューヨーク株式市場大暴落(ブラックマンデー)
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1987年
竹下登内閣(自由民主党・自主路線)発足
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1987年
スクウェアがゲームソフト『ファイナルファンタジー』発売
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1988年
アメリカがスーパー301条により対日制裁を強化
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1988年
青函トンネル開業
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1988年
瀬戸大橋開通
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1988年
朝日新聞報道によりリクルート事件発生
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1988年
FRBが日本叩きのBIS規制を導入し(自己資本比率8%)邦銀が消極姿勢に転換
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1988年
イラン・イラク戦争終結
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1988年
宮内義彦のオリエント・リースが阪急ブレーブス球団を買収(→オリックス・バファローズ)
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1988年
ソニーがベータ方式から撤退し日本ビクター・松下電器産業のVHS方式の勝利で「ビデオ戦争」完結
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1989年
昭和天皇が崩御し平成に改元
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1989年
ジョージ・H・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~1993)~冷戦に代わる中東戦争演出と「バードンシェアリング(防衛責任の増強)」強要
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1989年
「マンガの神様」手塚治虫死去
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1989年
竹下登政権が初の消費税導入(3%)
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1989年
宮内義彦のオリエント・リースがオリックスへ社名変更
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1989年
山内溥の任天堂が携帯ゲーム機「ゲームボーイ」発売
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1989年
高度経済成長を象徴する松下幸之助が死去(享年94)
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1989年
日米構造協議(アメリカによる内政干渉)開始
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1989年
第一次海部俊樹内閣(自民党三木三木武夫系・従米路線)発足
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1989年
最大派閥経世会の小沢一郎が自民党幹事長就任(~1891)
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1989年
三菱地所のロックフェラーセンター買収・ソニーのコロンビア映画買収でジャパンバッシングに拍車
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1989年
アジア太平洋経済協力(APEC)発足
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1989年
「ベルリンの壁」崩壊
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1989年
H・W・ブッシュ米大統領とゴルバチョフソソ連書記長がマルタ会談で冷戦終結を宣言
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1989年
バブル潰しの土地基本法成立
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1989年
日経平均株価の終値最高値更新(38915.87円)
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1990年
「土地関連融資抑制に関する行政指導(総量規制)」を機に一気に信用収縮へ向かう
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1990年
ゴルバチョフのライバル・エリツィンがロシアの実権掌握
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1990年
ドイツ再統一
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1990年
山内溥の任天堂が「スーパーファミコン」を発売し世界的ゲーム産業を創出
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1990年
世界の金融機関総資産ランキングで邦銀7行がベスト10入り
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1990年
産業別労働人口:第一次産業7.1%・第二次33.3%・第三次59.0%
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1990年
15年ぶりに赤字国債発行停止
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1991年
「米国の死活的脅威」を問う世論調査で「日本の経済力」が断トツ1位に
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1991年
湾岸戦争勃発(ソ連に代わる新しい敵・増長したフセインの粛清)、日本は130億ドルの資金協力、米ドル乱発による超円高時代はじまる
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1991年
バブル崩壊(「失われた10年」)
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1991年
バブル潰しの金融証券不祥事摘発はじまる
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1991年
宮内義彦のオリックスがオリックス・オマハ生命保険設立(→オリックス生命保険)
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1991年
ティム・バーナーズ=リーがWorldWideWebを公開
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1991年
本田宗一郎死去
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1991年
宮澤喜一内閣(自民党・財務官僚)発足(経世会の小沢一郎が総裁選出馬を見送るが「面接」で宮澤総理を選択)
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1991年
エリツィン・ロシアの脱退でソ連が崩壊し米ソ冷戦が完全終結
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1991年
米国覇権主義「グローバリズム」「新自由主義」が台頭
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1991年
ODAが100億ドル突破・以後高止まり
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1992年
鄧小平が「南巡講話」で保守派を抑え改革開放路線を決定付ける
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1992年
アメリカの「エコニミック・アニマル」批判を受け完全週休二日制が普及
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1992年
アマコスト駐日大使の工作によりPKO協力法成立、自衛隊がカンボジアへ出動
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1992年
国連地球サミットが「持続可能な開発」を提唱
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1992年
CIAの役割が経済諜報へシフトし日本が主標的となる
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1992年
中内功のダイエーが経営破綻したリクルートを買収(創業者の江副浩正らから持分を買取り)
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1993年
ビル・クリントン(民主党)が米大統領就任(~2001)~日本から中国への重点シフト・円高政策と「年次要望改革書」による対日経済攻勢
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1993年
小沢一郎の造反で細川護熙内閣(非自民連立・公家・自主路線)が発足し「55年体制」終焉
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1993年
欧州連合(EU)発足
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1993年
APECシアトル会議でクリントン米大統領が貿易・投資の自由化促進を提唱
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1993年
オリックスの宮内義彦が地価反転を目論み不動産投融資に乗出すが更なる地価下落で大失敗
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1993年
宮内義彦のオリックスが大蔵規制を破りノンバンク初のCP発行を実現
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1994年
ソニー・コンピュータエンタテインメントが「PlayStation」発売
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1994年
Amazon.com設立
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1994年
ダイキン工業で17年ぶりの赤字転落に伴い山田稔(創業者山田晁の長男)が会長に退き井上礼之が社長就任、不採算部門を閉鎖しエアコン事業と海外展開に集中
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1994年
村山富市内閣(自社さ連立)発足
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1994年
アメリカによる対日内政干渉「年次改革要望書」の運用開始
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1994年
イチロー(仰木彬監督の命で鈴木一朗から登録名変更)が一番センターに定着し210安打(プロ野球記録)・打率385(同左)・盗塁29で首位打者とシーズンMVPを獲得、オリックスはパリーグ2位
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1994年
赤字国債発行が再開され以後国債発行残高が急増
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1995年
GATTが発展解消し世界貿易機関(WTO)発足
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1995年
阪神・淡路大震災、オリックス球団が「がんばろうKOBE」を合言葉に奮起
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1995年
ジェリー・ヤンとデビッド・ファイロがYahoo!設立、孫正義のソフトバンクが出資し一時筆頭株主となる
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1995年
地下鉄サリン事件
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1995年
村山富市内閣の「規制緩和計画」を受け行政改革委員会に「規制緩和小委員会」発足、オリックスの宮内義彦が参与に就き2006年まで主導
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1995年
宮内義彦のオリックス傘下の茜証券がオリックス証券へ社名変更(大蔵省の嫌がらせで9年待たされる)
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1995年
円高が急進しドル円が80円割れ
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1995年
宮内義彦のオリックスが不動産投融資の大失敗で3期連続減益、不動産部門を縮小し規制緩和ビジネスとM&Aへ転換
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1995年
野茂英雄が鈴木啓示監督と衝突し近鉄退団、「任意引退」で日本球界を追われマイナー契約でLAドジャースに入団すると開幕直後にMLBデビューし13勝・防御率2.54で最多奪三振・新人王獲得
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1995年
オウム真理教の麻原彰晃らを逮捕
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1995年
村山富市首相が大東亜戦争を日本の侵略と認めアジア諸国に公式謝罪(村山談話)
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1995年
Microsoftが「Windows 95」発売、日本市場開拓のため孫正義のソフトバンクと合弁で「ゲームバンク」設立(1998年業績不振で撤退)
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1995年
テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始
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1995年
オリックスがパリーグ優勝するも日本シリーズでヤクルトに敗退、イチローは179安打・打率342・盗塁49で首位打者(2年連続)・打点王・盗塁王・シリーズMVP(2年連続)を獲得(三冠王は本塁打王の小久保裕紀に阻まれる)
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1996年
第一次橋本龍太郎内閣(自社さ連立)発足
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1996年
ゲームフリークがゲームソフト『ポケットモンスター』を発売し記録的大ヒット
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1996年
台湾海峡ミサイル危機、中国の恫喝は奏功せず李登輝が台湾総統就任
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1996年
住専処理法成立
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1996年
オリックスがパリーグ連覇し19年ぶりに日本一達成、イチローは193安打・打率356・盗塁35で首位打者とシリーズMVPを3年連続で獲得
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1996年
「金融ビッグバン」で外資の日本侵出が加速、宮内義彦が政府規制改革審議会の議長に就任し(2006年小泉純一郎内閣退陣まで在任)適債基準撤廃など大蔵規制緩和を引出したオリックスは直接金融で資金力を高めM&Aで躍進
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1996年
HISの澤田秀雄がスカイマーク創業、宮内義彦のオリックスが航空機リースを目当てに出資するが税制改正で挫折(節税メリット減殺)
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1997年
三木谷浩史が楽天創業
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1997年
鄧小平が死去し江沢民らの集団指導体制が発足、格差社会・資本主義国化が加速
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1997年
東京三菱銀行が不良債権をバルクセールで外資系ファンドに売却、サーベラス・ローンスター・ムーア等の「ハゲタカ」が日本買いに殺到
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1997年
消費増税(5%)
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1997年
アメリカの圧力により独占禁止法改定・持株会社解禁
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1997年
鄧小平の「一国二制度論」に基づき香港返還
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1997年
ヘッジファンドの売り仕掛けでアジア通貨危機が発生し経済破綻したタイ・インドネシア・韓国がIMF管理下に入る
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1997年
宮内義彦のオリックスが日債銀系のクラウン・リーシングの営業債権を取得、オリックス生命保険が生命保険の通信販売開始
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1997年
ソフトバンク傘下のヤフー(Yahoo! JAPAN)が店頭市場に株式上場、資本力を高めた孫正義はM&Aを加速
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1997年
政府の「護送船団方式」放棄により拓銀・長銀・日債銀・山一證券・三洋証券など大手金融機関の破綻が相次ぐ
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1997年
京都議定書成立(温室効果ガスの削減目標設定)、二大排出国の米中は参加せず
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1997年
井深大死去
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1997年
携帯電話普及率が50%突破
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1997年
乗用車の世帯普及率が80%突破
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1998年
長野冬季オリンピック
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1998年
アメリカの圧力により大規模小売店舗法廃止(大店立地法に移行後2000年完全廃止)
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1998年
小渕恵三内閣(自自公連立)発足
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1998年
ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがGoogle設立
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1998年
長銀経営破綻、リップルウッドが僅か10億円で買収に成功
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1998年
金融再生関連法が相次いで成立
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1998年
柳井正のファーストリテイリングが「ユニクロ」で「フリース」発売、3年間で2600万枚の驚異的セールスを樹立しアパレル業界に価格破壊旋風を起す
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1998年
宮内義彦のオリックスが業績回復を果し山一信託銀行を買収(→オリックス銀行)、ニューヨーク証券取引所に株式上場(東京三菱銀行に次ぐ日本企業2番目)
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1998年
オリックス創業者の乾恒雄が死去
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1998年
エアコンの世帯普及率が80%突破
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1998年
「新自由主義」「市場原理主義」が世界を席巻
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1999年
日銀のゼロ金利政策はじまる
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1999年
宮内義彦のオリックスがオリックス・リアルエステートを設立し日本企業で初めて不良債権バルクセールに参入(→オリックス不動産)、連結利益の3分の1を稼ぐドル箱となる
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1999年
新日米防衛協力指針(新ガイドライン)関連法成立
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1999年
宮内義彦が元通産官僚の村上世彰を支援し「村上ファンド」創業、私募投信解禁でM&Aを推進するオリックスの実働部隊となる
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1999年
東海村JCO臨界事故
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1999年
アメリカの圧力で労働者派遣法が改定され人材派遣原則自由化
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1999年
ソ連大統領のエリツィンが失脚しKGB出身のプーチンが最高指導者を承継
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1999年
宮内義彦のオリックスがノンリコースローンで投資銀行業務に参入、オリックス債権回収設立、NEC商品リースの営業債権を取得
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1999年
ODA154億ドル・最高額更新
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2000年
宮内義彦のオリックスが米国エンロンに資本参加、電力小売自由化に乗じ事業参入を表明するがエンロン破綻で頓挫
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2000年
オリックスで宮内義彦が藤木保彦へ社長を譲り会長兼グループCEO就任
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2000年
第一次森喜朗内閣(自公連立)発足
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2000年
ベライゾン・コミュニケーションズ設立
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2000年
日本の米国化に反抗する「抵抗勢力の総本山」大蔵省が解体され財務省と金融庁に分割
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2000年
ソフトバンク・オリックス・東京海上が連合し経営破綻した日本債券信用銀行を安値で買収(→あおぞら銀行)、孫正義のソフトバンクは株価急騰で株式時価総額が国内2位となり2003年持分転売で巨利を獲得
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2000年
オリックスがパリーグ4位、イチローは153安打・打率387(生涯最高)・盗塁21で首位打者(7年連続)を獲得、オフにポスティングシステムを利用し3年総額1400万ドルでMLBシアトル・マリナーズへ移籍
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2000年
中国移動通信(チャイナモバイル)設立
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2000年
産業別労働人口:第一次産業5.0%・第二次29.5%・第三次64.3%
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2000年
国債発行額が200兆円突破
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2001年
ITバブル崩壊
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2001年
ジョージ・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~2009)~「予防戦争」論に基づく米軍大暴走で「テロ時代」幕開け
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2001年
宮内義彦のオリックスの主導により東京証券取引所に日本版リート市場創設
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2001年
イチローが任天堂・山内溥オーナーのシアトル・マリナーズでMLBデビュー、最多得票でオールスターゲームに選出され242安打・打率350・盗塁56で首位打者・盗塁王・新人王・シリーズMVP・ゴールドグラブ賞を獲得
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2001年
第一次小泉純一郎内閣(自公連立・従米路線)発足
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2001年
ユニ・チャームで高原慶一朗が会長に退き長男の高原豪久が社長就任、バブルの塔「ゴールドタワー」を閉鎖し(味匠に貸与後2007年売却)リストラと海外展開を推進
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2001年
宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が興行収入304億円で『もののけ姫』の記録更新、ベルリン国際映画祭金熊賞・アカデミー賞長編アニメ賞を受賞
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2001年
9.11同時多発テロ、小泉純一郎内閣が対テロ戦争参加を表明
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2001年
アフガニスタン戦争、タリバン政権崩壊後も泥沼の内戦が続く
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2001年
岡田卓也のイオンが経営破綻した更正会社マイカルを買収し業容急拡大(2011年吸収合併)
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2001年
ゴールドマン・サックスが「BRICs」の潜在能力を示唆
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2001年
宮内義彦のオリックスがいすゞ自動車系列のイフコを買収(→オリックス自動車)
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2001年
米国エンロンが巨額粉飾決算の発覚で経営破綻、資本参加した宮内義彦のオリックスは電力事業参入を断念
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2001年
パソコンの世帯普及率が50%突破
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2001年
国債発行額が300兆円突破
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2001年
完全失業率が初めて5%突破
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2002年
EU統一通貨ユーロ流通開始
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2002年
ブッシュ大統領が一般教書演説でイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と断罪
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2002年
宮内義彦が米国式コーポレート・ガバナンス普及のため社外取締役を斡旋する日本取締役協会設立
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2002年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ健康保険本人3割負担導入
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2002年
鈴木修のスズキがインド政府より「マルチ・ウドヨグ社」株式を買取り過半数を得て子会社化
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2002年
FIFAワールドカップ日韓大会
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2002年
宮内義彦のオリックスが規制緩和を見据えオリックス資源循環を設立し資源エネルギー事業参入、新日鐵系列の日鐵リースを買収
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2002年
竹中平蔵の金融庁が産業再生機構等で不良債権処理を促す「金融再生プログラム」策定、「ハゲタカ」外資に道を開く
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2002年
小泉純一郎首相が北朝鮮と初の首脳会談を行い日朝平壌宣言を行うがブッシュ米政権に叱られ従米転向
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2002年
フリーターが200万人突破
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2002年
携帯電話普及率が90%突破
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2003年
イラク戦争(~2011)、フセイン政権崩壊後も泥沼の内戦が続く
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2003年
小泉純一郎政権が郵政事業庁を廃止し日本郵政公社発足
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2003年
個人情報保護法成立
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2003年
あおぞら銀行で筆頭株主のソフトバンクが米国サーベラスへ持分売却(オリックスの宮内佳彦が金融庁・三井住友銀行の介入を阻止し主導権掌握)、孫正義は膨大な売却益を「ソフトバンクBB」へ再投資
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2003年
宮内義彦のオリックスがオリックスM&Aソリューションズ設立
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2003年
小泉純一郎内閣がイラク戦争に自衛隊を派遣(~2009)
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2003年
国債発行額が400兆円突破
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2004年
マーク・ザッカーバーグがFacebook設立
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2004年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ労働者派遣法改定で製造業派遣解禁
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2004年
孫正義のソフトバンクが日本テレコムを買収し完全子会社化(→ソフトバンクテレコム)
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2004年
江沢民から胡錦濤指導部へ政権交代
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2004年
宮内義彦のオリックスがカゴメと合弁で和歌山県の構造改革特区に日本初の農業株式会社「加太菜園」設立
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2004年
中内功追放も遅きに失しダイエーの自力再建案を銀行団が拒否、小泉純一郎首相の裁定で金融庁が経産省を抑え産業再生機構送り決定
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2004年
宮内義彦のオリックス・ブルーウェーブが大阪近鉄バファローズを吸収合併しオリックス・バファローズ発足、選手の約半数を新設の東北楽天ゴールデンイーグルスへ譲渡
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2004年
デジカメの世帯普及率が50%突破
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2005年
宮内義彦のオリックスが日本初の民間経営病院「高知医療センター」を開設するが豪華施設投資で経営不振
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2005年
ソフトバンク子会社で孫泰蔵(孫正義の弟)社長の「ガンホー・オンライン・エンターテイメント」が大証ヘラクレスに株式上場し株式時価総額は一時1兆円を突破
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2005年
孫正義のソフトバンクが東新橋へ本社を移しボーダフォン買収で携帯電話事業に参入(→ソフトバンクモバイル)、ダイエー球団を買収し「福岡ソフトバンクホークス」へ改称
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2005年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ日本道路公団を解散し分割民営化
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2005年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ商法改定で米国流会社法へ改編
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2005年
鈴木敏文が持株会社「セブン&アイ・ホールディングス」を設立し株式上場(セブン-イレブン・ジャパン、イトーヨーカ堂、デニーズジャパンは上場廃止)
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2005年
バブル崩壊の象徴となったダイエー創業者の中内功が死去(享年83)
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2005年
人口減少社会突入・65歳以上人口が20%突破(総人口1億2777万人)
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2005年
合計特殊出生率1.26、2006年から微増傾向に転じる
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2005年
小泉純一郎政権が「日米同盟 未来のための変革と再編」で日米同盟の範囲を全世界の「予防戦争」へ拡大
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2005年
小泉純一郎政権が郵政民営化関連法を成立させ大蔵省は悲願達成
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2005年
鈴木敏文のセブン&アイ・ホールディングスがミレニアムリテイリング(そごう・西武)を電撃買収
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2005年
宮内義彦のオリックスが経営破綻したマンション大手の大京を買収(2014年連結子会社化)
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2006年
ニッポン放送株式買占めに絡むライブドア事件発生、永田寿康議員の「堀江メール問題」で民主党執行部が総退陣し小沢一郎が代表就任(~2009)
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2006年
村田昭死去
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2006年
公共サービス改革法(市場化テスト法)成立で「小泉構造改革」総仕上げ、宮内義彦議長の総合規制改革会議が法定の議事録を残していない不祥事が発覚
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2006年
オリックスのM&A実働部隊「村上ファンド」の村上世彰がインサイダー容疑で逮捕(2011年執行猶予付き有罪判決が確定)、小泉純一郎首相の任命責任に係る福井俊彦日銀総裁と宮内義彦は運良く検察の追及を免れる
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2006年
宮内義彦の盟友でエンロン創業者のケネス・レイが心臓発作で死去
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2006年
宮内義彦のオリックス傘下のバイオマスターが医療制度改革法成立・混合診療の一部解禁を受け横浜の構造改革特区に初の「株式会社病院」開設
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2006年
宮内義彦が小泉純一郎内閣退陣と同時に規制改革推進会議議長を退き村上ファンド事件の説明責任を封印
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2006年
第一次安倍晋三内閣(自公連立)発足
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2006年
あおぞら銀行(旧日債銀)が東京証券取引所1部に再上場、宮内義彦のオリックスはサーベラス・東京海上火災と共に暴利を貪る
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2007年
サブプライム危機で米住宅バブルが崩壊し超円高時代へ突入
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2007年
アップルが「iPhone」発売
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2007年
岡田卓也のイオンがダイエーを買収(持分法適用会社から2013年完全子会社化)、売上高5兆円に到達するがダイエー再建に苦戦し成長鈍化
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2007年
アメリカの圧力により日本版三角合併解禁(外資によるM&A促進策)
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2007年
参議院選挙、小沢一郎の民主党が過半数議席を獲得し「ねじれ国会」始まる
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2007年
福田康夫内閣(自公連立)発足
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2008年
オリックスで宮内義彦会長兼グループCEOのもと藤木保彦から梁瀬行雄(元あさひ銀行頭取)へ社長交代
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2008年
第34回主要国首脳会議(洞爺湖サミット)、ブッシュ米大統領の自衛隊輸送機アフガニスタン派遣要請を福田康夫首相が拒否
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2008年
ブッシュ政権からの米金融機関救済要請を福田康夫首相が拒否
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2008年
リーマン・ショックが世界的金融危機に拡大し日経平均株価は7000円割れ
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2008年
麻生太郎内閣(自公連立)発足
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2009年
バラク・オバマ(民主党)が米大統領就任
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2009年
鳩山邦夫総務相が「かんぽの宿」70施設のオリックス不動産への不正入札疑惑(2400億円→109億円)を暴露し西川善文日本郵政社長が契約撤回
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2009年
大学進学率が50%突破
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2009年
宮内義彦のオリックス傘下のジョイント・コーポレーションが会社更生法を申請
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2009年
総選挙、民主党が憲政史上最高の議席占有率64.2%を獲得
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2009年
鳩山由紀夫内閣(民主党・小沢一郎幹事長)発足
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2009年
鳩山由紀夫政権がアメリカの対日内政干渉「年次改革要望書」を廃止
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2009年
宮内義彦のオリックスがリーマンショックで大幅減益に陥り融資縮小へ転換、大連市に中国本社を設立し中東・中央アジアへも進出
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2010年
宮内義彦のオリックスがオリックス証券をマネックス証券に売却
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2010年
日経新聞報道でゆうちょ銀行の米国債大量購入が発覚し小泉純一郎政権の郵政民営化の真意に疑問符
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2010年
菅直人内閣(民主党・小沢一郎幹事長)発足
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2010年
宮内義彦のオリックス傘下の大京が更正会社の穴吹工務店を買収(2013年完全子会社化)
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2010年
中国のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となり日本は42年ぶりに転落
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2011年
オリックスで宮内義彦会長兼グループCEOのもと梁瀬行雄から井上亮へ社長交代
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2011年
菅直人首相がアメリカによる「第三の開国」を受入れTPP推進を表明
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2011年
菅直人内閣が「年次改革要望書」に代わる内政干渉「日米経済調和対話」受入れ
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2011年
ライブドア事件で堀江貴文の懲役2年6ヶ月の実刑判決が確定
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2011年
井上礼之のダイキン工業が米国キャリア社を抜きエアコン売上高世界一を達成
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2011年
東日本大震災および福島第一原子力発電所事故
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2011年
野田佳彦内閣(民主党・小沢一郎幹事長)発足
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2011年
民主党政権の無策で超円高が進行しドル円が75円32銭の戦後最高値を更新
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2011年
米軍の完全撤収によりオバマ米大統領がイラク戦争終結を宣言
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2012年
東京スカイツリーが開業
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2012年
石原慎太郎東京都知事の暴走で尖閣諸島問題が先鋭化し日本政府は已む無く国有化
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2012年
JALが公的資金注入で復活し再上場、稲盛和夫(JAL会長)の京セラのJAL株式購入が発覚しインサイダー疑惑浮上
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2012年
胡錦濤から習近平指導部へ政権交代、社会格差是正・汚職撲滅を標榜
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2012年
民主党政権初の総選挙、民主党は歴史的大敗を喫し(230→57)自民党が議席占有率61.2%で大逆転
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2012年
第二次安倍晋三内閣(自公連立)発足
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2012年
スマートフォン普及率が50%突破
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2013年
アベノミクスへの期待と異次元金融緩和で株高・円安への是正が進展
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2013年
宮内義彦のオリックスがオランダの資産運用会社ロベコを買収(買収価格約2500億円は同社M&Aで過去最高)
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2013年
孫正義のソフトバンクが米国3位のスプリント・ネクステルを買収し世界3位の携帯キャリアへ躍進、「イー・アクセス」を連結子会社化(→ワイモバイル)
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2013年
総選挙、自民党完勝で「ねじれ国会」解消
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2013年
65歳以上人口が25%突破(総人口1億2726万人)
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2013年
ファナックで稲葉善治社長が父の稲葉清右衛門を追放し重役陣を復職させる
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2013年
柳井正のファーストリテイリングが国内流通企業最大の株式時価総額4兆円に到達(2015年6兆円に迫る)
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2013年
尾田栄一郎作『ONE PIECE』の国内コミック累計発行部数が3億冊突破、世界累計では鳥山明作『ドラゴンボール』が3億5千万冊超で世界記録更新中
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2013年
山内溥死去
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2014年
ロシア・ウクライナ紛争
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2014年
消費増税(8%)
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2014年
『朝日新聞』が朝鮮人従軍慰安婦の虚偽報道を認め関連記事を撤回するが朴槿惠韓国政権は無視
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2014年
オリックスで宮内義彦が取締役およびグループCEOを退き「シニア・チェアマン」就任、破格の「功労金」44億円を獲得
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2014年
孫正義のソフトバンクが筆頭株主(出資比率36.7%)の中国アリババ・グループが二ユーヨーク証券取引所に株式上場し時価総額は25兆円に膨張
宮内義彦の交遊録
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小泉純一郎
聖域無き構造改革の金看板・規制改革政策をリード
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竹中平蔵
規制改革の盟友
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乾恒雄
オリックス事実上の創業者・出世の恩人
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福井慶三
オリックス初代社長
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藤木保彦
一応社長
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梁瀬行雄
一応社長
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井上亮
後継者か
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山谷佳之
オリックス不動産社長
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村上世彰
M&A実働部隊「村上ファンド」で暴走した子分
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田島安希彦
「かんぽの宿」実働部隊
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平松克敏
「かんぽの宿」実働部隊
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ケネス・レイ
盟友のエンロン創業者
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重田康光
村上ファンド仲間の光通信創業者
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新井隆二
村上ファンド仲間のビックカメラ経営者
-
宮本雅史
村上ファンド仲間のスクウェア創業者
-
三木谷浩史
村上ファンド仲間の楽天創業者・関西球団設立を阻止
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澤田秀雄
村上ファンド仲間のHIS創業者
-
増田宗昭
村上ファンド仲間のCCC創業者
-
宇野康秀
村上ファンド仲間の有線ブロード創業者
-
ショーンフェルド
USリーシング創業者・リース業の先生
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バフェット
世界最高の投資家・逆張り投資のモデル
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福井俊彦
客寄せパンダの日銀総裁
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生田正治
神戸人脈「改革利権」仲間の日本郵政公社総裁
-
西川善文
神戸人脈「改革利権」仲間の日本郵政社長
-
奥谷禮子
宮内チルドレンのザ・アール社長
-
牛尾治朗
神戸人脈「改革利権」仲間のウシオ電機経営者
-
鈴木良男
規制改革委員会の子分
-
渡邊美樹
規制改革委員会から追出したワタミ創業者
-
堀江貴文
ライブドア創業者・村上ファンドのニッポン放送株売り抜けの嵌め先
-
孫正義
規制改革ビジネスの好敵手
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松本大
マネックス証券創業者
-
出井伸之
ソニー経営者
-
渡邊恒雄
読売新聞社主・新聞再販撤廃と球界再編論議でバトル
-
小林陽太郎
富士ゼロックス経営者・経済同友会仲間
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橋本龍太郎
金融ビッグバン首相・規制改革政策をリード
-
小渕恵三
規制改革政策をリード
-
森喜朗
規制改革政策をリード
-
亀井静香
抵抗勢力
-
平沼赳夫
抵抗勢力
-
鳩山邦夫
「かんぽの宿」糾弾の仇敵
-
麻生太郎
「かんぽの宿」鳩山邦夫の後ろ盾首相
-
野中広務
「かんぽの宿」鳩山邦夫の応援団
-
城島光力
「派遣切り」問題糾弾者
-
孫正義
ソフトバンク創業者・日債銀買収仲間
-
中内功
ダイエー創業者
-
鈴木敏文
セブン-イレブン創業者
-
岡田卓也
イオン創業者
-
柳井正
ファーストリテイリング創業者
-
安藤百福
日清食品創業者
-
松下幸之助
松下電器創業者
-
井植歳男
三洋電機創業者
-
早川徳次
シャープ創業者
-
井深大
ソニー創業者
-
盛田昭夫
ソニー創業者
-
御手洗毅
キヤノン創業者
-
山内溥
任天堂の実質創業者
-
石田退三
トヨタ中興の祖
-
石橋正二郎
ブリジストン創業者
-
本田宗一郎
ホンダ創業者
-
鈴木修
スズキのやり手
-
村田昭
村田製作所創業者
-
稲盛和夫
京セラ創業者
-
稲葉清右衛門
ファナック創業者
-
滝崎武光
キーエンス創業者
-
永守重信
日本電産創業者
-
井上礼之
ダイキン工業の凄腕
-
出光佐三
出光興産創業者
-
高原慶一朗
ユニ・チャーム創業者
-
高原豪久
ユニ・チャーム2代目
宮内義彦と同じ時代の人物
-
戦後
孫 正義
1957年 〜 年
100点※
在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
戦後
重光 葵
1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
戦後
岸 信介
1896年 〜 1987年
100点※
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照
年
基礎点 60点
宮内義彦は、貿易商の父に英語を仕込まれ、関西学院大学を出てワシントン大学でMBAを取得したが大手商社には入れなかった。ニチメンに入社した宮内義彦は、英語堪能ゆえに米国USリーシングへ研修に出され1964年「オリエント・リース」設立に伴い出向、創業者乾恒雄の腹心としてニチメン・三和銀行からの「独立戦争」に勝利し、1980年45歳で3代目社長を譲られ1989年「オリックス」への改称を機に独裁権を握った。乾恒雄のオリエント・リースは、自力営業でOA機器リース市場を開拓し、銀行が敬遠するパチンコとラブホテルを上得意にノンバンク最大手へ成長、リース・融資・生命保険を組合せた「クロス販売」で高収益を確立した。跡を継いだ宮内義彦はバブルに踊らず不動産融資の担保掛目7割を堅持し深手を免れたが、地価反転期を見誤って不動産買叩きに乗出し大損害を蒙った。1995年オリックスは3期連続減益に陥り宮内義彦は不動産部門を縮小したが、米国の構造改革圧力に触れ「規制緩和は戦後最大のビジネスチャンス」と矛先転換、1996年橋本内閣が「年次改革要望書」で「金融ビッグバン」を受入れると「規制改革審議会」議長に就任し2006年の小泉内閣退陣まで「規制改革の旗手」を務めた。宮内義彦は外圧を背景に大蔵規制破壊を主導し、適債基準撤廃で直接金融へシフトし資金力を高めたオリックスは銀行・生保・証券業の垣根を破りM&Aに邁進、不良債権バルクセールや日債銀買収で暴利を貪り「日本版リート」も創設し急成長を遂げた。小泉純一郎の従米政権で宮内義彦は竹中平蔵と両輪を為し「聖域なき構造改革」を牽引、金融・不動産で「改革利権」を満喫したオリックスは最大受益者となり、子分の村上世彰を尖兵にM&Aに狂奔、農業・病院の株式会社化を試行しエネルギー事業へも手を拡げた(盟友エンロンの破綻で頓挫)。しかし小泉劇場と共に新自由主義ブームも終焉、「日本のリーマンブラザーズ」オリックスはリーマンショックに直撃され、「村上ファンド」「かんぽの宿」でメッキが剥れた宮内義彦は逮捕を噂されるなか2014年「功労金」44億円をもらい取締役とCEOを退任した。
減点 -20点
「年次改革要望書」「金融ビッグバン」「小泉構造改革」と続いた規制緩和ブームの実態は米国の強引な内政干渉であったが、非効率な官営事業・規制産業の合理化というメリットも大きく、金融・不動産の分野で大蔵規制の牙城を崩した宮内義彦・オリックスの功績は大きい。新聞再販・球界再編で宮内義彦と衝突した渡邊恒雄は「宮内ごときと大巨人が日本シリーズで対決?穢れる。不愉快。オリックスはまともな正業ではない」と放言したが、規制利権の権化の怒りは「規制改革の旗手」の面目躍如だろう。とはいえ、宮内義彦は公職の「規制改革審議会」議長を10余年も務めた「歴代内閣の指南役」でありながら「改革利権」を貪りオリックスは最大受益者となった。しかし小泉内閣退陣の2006年から宮内義彦は因果応報に襲われ、子分の村上世彰がライブドア事件に絡むインサイダー取引で逮捕され盟友の福井俊彦日銀総裁への利益供与も発覚した。「村上ファンド」はオリックス傘下に発足し私募投信解禁後M&Aの尖兵となったが、宮内義彦はニッポン放送買収劇で有頂天の村上世彰を見限り資金と人材を引上げた。巨額のニッポン放送株式を抱え進退極まった村上世彰は、ライブドアの堀江貴文をカモに売抜け150億円の売却益を獲得したが、やり過ぎてお縄となった。宮内義彦は公職辞任で説明責任を逃れたが、2009年鳩山邦夫総務相が「かんぽの宿」70施設のオリックス不動産への不正入札(2400億円→109億円)を暴露、盟友の西川善文日本郵政社長が糾弾され久々の改革利権は画餅に帰した。鳩山邦夫は「『かんぽの宿』疑惑は、単なる入札疑惑ではない。『小泉・竹中構造改革』が日本を米国金融資本に売り渡した疑惑だ」と喝破し、中立の野中広務まで「郵政民営化の利権に群がるハゲタカがらみの疑惑は西川(善文)から遡って、生田(正治)氏時代からの神戸人脈を解明しなければならない」と宮内義彦追及の烽火をあげた。翌年日経新聞が「ゆうちょ銀行が米国債を大量購入していた事実」をスクープ、「売国奴」疑惑は図星となり小泉構造改革は地に落ちたが、巨悪の小泉純一郎・竹中平蔵・宮内義彦に司直の手は及ばない。