創業者の乾恒雄から「オリックス」を承継し「改革利権」で肥大化した「規制改革の旗手」、小泉構造改革を牽引したが「村上ファンド」「かんぽの宿」で正体露見
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦後
宮内 義彦
1935年 〜 年
40点※
家系・子孫
- 宮内義彦は、港神戸の米国系材木輸入商社に勤める宮内義作の長男に生れた。美知子・佳子の姉がいる。第二次大戦に伴う日米貿易途絶で勤務先が閉鎖され宮内義作は神戸市長田区の材木商松林組へ転職、幼い宮内義彦は祖母に連れられ山口県玖珂郡鳴門村(現柳井市)へ疎開したが、父が赴任した兵庫県佐用町へ一家で移住し同地で終戦を迎えた。英語を話せる宮内義作は米国商人館に出入りする木材輸入商となり、1948年宮内義彦の関西学院中学部入学を機に一家は神戸市に復居した。宮内義彦はエスカレーターで関西学院大学商学部へ進んだが、父の厳命でパルモア学院の夜学に通い英語を習得、卒業すると米国留学に出されワシントン大学大学院でMBAを取得した。大手商社には入れず父のコネでニチメンに入社した宮内義彦は、英語力を買われてリース事業の米国研修に出され「オリエント・リース」設立に伴い出向、事実上の創業者である乾恒雄(三和銀行出身)から3代目社長を譲られ、バブル経済と規制緩和に乗り改称「オリックス」をノンバンク最大手へ躍進させた。宮内義彦は、米国留学時にシアトルのクリスマスパーティーで出会った中川伸子と結婚し二男をもうけた。2014年宮内義彦は44億円もの「功労金」をもらいオリックスの取締役を退いたが、元来雇われ経営者のため株式はあまり持っておらず、息子への世襲を否定している。長男の宮内誠は、三和銀行で不動産金融に携わり2008年「ビーロット」を起業、2014年東証マザーズに上場し株価急騰で注目された。ビーロットはオリックス関連から資本も事業支援も受けていないようで、宮内誠は宮内義彦の企業家センスを受継いだようだ。次男の宮内修はミズノを経て「オリックス・リビング」に入社したが、「老人ホームの窓口」を運営する「あすき」(アイシーズから改称)を起業している。
宮内義彦と同じ時代の人物
-
戦後
孫 正義
1957年 〜 年
100点※
在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
戦後
重光 葵
1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
戦後
岸 信介
1896年 〜 1987年
100点※
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照