細胞の「初期化」を担う4遺伝子を突止め究極のクローン技術「iPS細胞」を樹立した幹細胞学のホープ、ノーベル生理学・医学賞受賞者ながら男前のスポーツマンで弁舌も爽やかな完全無欠の天才
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦後
山中 伸弥
1962年 〜 年
80点※
家系・子孫
- 山中伸弥は、東大阪市でミシン部品の町工場を営む山中章三郎の長男に生れ、大学1年生まで奈良市学園前に居住した。山中章三郎は同志社大学工学部卒の技術者で祖父の特許を使い事業を始めたが、麻雀と競馬が大好きな遊び人で、長身に銀髪・サングラスのダンディであった。山中伸弥は関西随一の名門大阪教育大学附属天王寺中学・高校へ進学(自民党系参議院議員の世耕弘成は同級生)、父から「お前は商売には向いとらん。理科と算数ができるなら医者になれ」といわれ続け、徳田虎雄の『生命だけは平等だ』を読んで意を決し神戸大学医学部へ進学した。徳田虎雄は立志伝中の病院経営者で、鹿児島県の徳之島から大阪大学医学部へ進み巨大病院チェーン徳洲会を創建し衆議院議員も務めたが、派手なバラマキ選挙を検察に摘発され晩節を汚した。さて山中伸弥は完全無欠の文武両道青年に育ち、中学・高校では柔道に打込みつつ神戸大学医学部に現役合格、スマートな男前で女子の人気を博し、大学3年からラグビーに励んだ。マラソンが趣味の山中伸弥は51歳にして4時間16分38秒の好記録で完走している。学生時代にスポーツで骨折を繰返した山中伸弥は整形外科医となったが、不器用な「じゃまなか」(邪魔な山中)は臨床医には向かず27歳で基礎医学へ転向、1993年カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)グラッドストーン研究所へ留学し「ES細胞」の研究を開始した。クローン研究の遅れた日本で山中伸弥は苦心惨憺したが、成果を挙げながら研究場所と資金を確保し2012年ノーベル生理学・医学賞に輝いた。山中伸弥は中学・高校の同級生で高校1年生から交際していた知佳(皮膚科医)と結婚、2人の娘も母と同じ関西医科大学医学部へ進んでいる。
山中伸弥と同じ時代の人物
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戦後
孫 正義
1957年 〜 年
100点※
在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
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戦後
重光 葵
1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
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戦後
岸 信介
1896年 〜 1987年
100点※
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
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