西郷隆盛・従道兄弟の庇護下で軍政の才能を発揮、日清・日露戦争を勝利に導いた「日本海軍の父」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照山本 権兵衛
1852年 〜 1933年
90点※
山本権兵衛の年表
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1852年
薩摩藩の下級藩士山本五百助盛珉の六男山本権兵衛が鹿児島城下加治屋町にて出生
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1863年
薩英戦争、11歳の山本権兵衛は雑役で従軍
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1867年
島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て、小銃隊士として従軍
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1867年
薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)
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1868年
鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝、16歳の山本権兵衛は川村純義隊に属し八幡方面の実戦に参加
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1868年
黒田清隆・山縣有朋が北陸方面軍参謀として越後長岡へ出征、山本権兵衛も従軍
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1868年
奥羽越列藩同盟が成立
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1868年
河井継之助の長岡藩が降伏、北陸方面軍の山縣有朋隊は会津・黒田清隆隊は庄内へ転戦(山本権兵衛は黒田隊に所属)
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1868年
板垣退助の官軍に会津若松城を攻囲され会津藩が降伏、松平容保は江戸へ移され蟄居
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1868年
盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結
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1869年
土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結
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1869年
山本権兵衛が西郷隆盛の紹介で勝海舟海軍卿に弟子入り
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1869年
版籍奉還
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1869年
築地に海軍操練所開設、勝海舟海軍卿の計いで山本権兵衛が入所
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1869年
兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)
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1870年
海軍操練所が海軍兵学寮に改称
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1871年
明治政府が大村益次郎の徴兵制を退け(兵制論争)薩長土三藩の兵を徴し御親兵を創設
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1871年
廃藩置県
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1872年
明治政府が陸軍省・海軍省を創設し御親兵を廃して近衛兵を設置
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1873年
徴兵令布告
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1873年
明治六年政変
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1873年
内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府)
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1873年
最初の世界恐慌、帝国主義列強による世界分割競争が始まる
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1874年
佐賀の乱
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1874年
山本権兵衛が鹿児島に戻るが西郷隆盛に諭され海軍兵学寮に復籍
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1874年
西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野
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1874年
山本権兵衛が海軍兵学寮を卒業し海軍少尉補に任官
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1875年
勝海舟に代わって榎本武揚が海軍卿となる
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1876年
海軍兵学寮が海軍兵学校に改称
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1876年
海軍兵学校の山本権兵衛がモンツ艦長のドイツ軍艦ビネタ号で航海実習
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1877年
西南戦争、西郷隆盛が鹿児島城山にて自害(享年51)
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1878年
大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)
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1878年
榎本武揚に代わって川村純義が海軍卿となる
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1878年
参謀本部設置
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1881年
大隈重信一派が追放され薩長藩閥政府が現出(明治十四年の政変)、首班の伊藤博文は国会開設の詔で民権派と妥協
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1882年
軍人勅諭公布
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1882年
朝鮮で壬午事変
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1884年
朝鮮で甲申事変、自由党の板垣退助・後藤象二郎や福澤諭吉が金玉均の独立党を後援
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1885年
第一次伊藤博文内閣発足、西郷従道が海軍大臣就任(海軍卿の川村純義は宮中顧問官へ転任)
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1887年
山本権兵衛が海軍伝令使に補され西郷従道海相と昵懇となる
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1887年
山本権兵衛が樺山資紀海軍省次官の欧米出張に随行
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1888年
黒田清隆内閣発足、西郷従道が海軍大臣就任
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1888年
鎮台制を師団制に改編
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1888年
山本権兵衛が欧米出張から帰国、軍艦高雄・高千穂の艦長を歴任
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1889年
大日本帝国憲法発布
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1889年
川上操六がドイツから帰国し参謀本部次長に復職、独軍参謀総長モルトケ直伝のドイツ式軍制改革や参謀本部強化を推進
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1890年
第一次山縣有朋内閣発足、西郷従道が海軍大臣就任(樺山資紀に途中交代)
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1891年
山本権兵衛が西郷従道海相のもと海軍省大臣官房主事に就き海軍の分離独立改革を断行
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1891年
第一次松方正義内閣発足、樺山資紀が海軍大臣就任
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1891年
帝政ロシアがシベリア鉄道起工
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1892年
第二次伊藤博文内閣発足、仁礼景範が海軍大臣就任(西郷従道に途中交代)
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1893年
日清戦争準備の作戦会議、伊藤博文首相が川上操六(陸軍)・山本権兵衛(海軍)の開戦論を採用
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1893年
海軍軍令部設置
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1894年
朝鮮で甲午農民戦争、日清両軍が朝鮮へ派兵し一触即発
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1894年
山本権兵衛が大本営海軍大臣副官就任
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1894年
日清戦争勃発
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1895年
下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立
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1895年
山本権兵衛が海軍省軍務局長就任
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1895年
三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求
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1895年
台湾総督府設置
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1895年
朝鮮で親ロシア政権誕生、閔妃殺害事件
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1896年
露清密約、ロシアが清から東清鉄道敷設権を獲得
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1896年
第二次松方正義内閣発足、西郷従道が海軍大臣に復職
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1898年
列強による清の植民地争奪競争が激化
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1898年
第三次伊藤博文内閣発足、西郷従道が海軍大臣就任
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1898年
第一次大隈重信内閣(隈板内閣)発足、西郷従道が海軍大臣就任
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1898年
第二次山縣有朋内閣発足、山本権兵衛が海軍大臣就任
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1899年
地租増徴
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1900年
軍部大臣現役武官制制定
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1900年
北清事変
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1900年
立憲政友会結成
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1900年
第四次伊藤博文内閣(政友会)発足、山本権兵衛が海軍大臣就任
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1901年
第一次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足、山本権兵衛が海軍大臣就任
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1901年
北京議定書調印
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1901年
ロシアが日本に韓国中立化構想を提案、日露協商派と対露強硬派が対立
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1902年
第一次日英同盟協約締結
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1902年
西郷従道死去
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1903年
ロシアが満州撤兵不履行、日露協商(満韓交換論)交渉決裂
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1904年
仁川沖海戦
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1904年
日露戦争開戦
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1904年
秋山真之が第一艦隊兼連合艦隊先任参謀に昇進し東郷平八郎司令官のもと作戦立案を担う
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1904年
伊藤博文が金子堅太郎を対米工作に派遣
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1904年
第一次日韓協約締結
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1904年
遼陽会戦
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1905年
旅順攻略
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1905年
血の日曜日事件~ロシア革命が始まる
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1905年
奉天会戦
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1905年
日本海海戦
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1905年
帝政ロシアで戦艦ポチョムキンの反乱
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1905年
第二次日英同盟協約締結
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1905年
ポーツマス条約調印
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1905年
日比谷焼打事件
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1905年
加藤友三郎が山本権兵衛の引きで海軍軍令部軍務局長に就任
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1906年
第一次西園寺公望内閣(政友会)発足、山本権兵衛に代わって斎藤実が海軍大臣就任
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1906年
加藤友三郎が山本権兵衛の引きで海軍次官に就任
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1906年
第二次日韓協約締結、日本が朝鮮を保護国化し文治派の伊藤博文が初代韓国統監に就任
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1906年
南満州に関東都督府設置
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1906年
南満州鉄道会社(満鉄)設立・後藤新平が初代総裁就任、アメリカの干渉が始まる
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1907年
山本権兵衛が伯爵を受爵
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1907年
帝国国防方針において海軍が「八八艦隊」建造計画を決定
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1907年
韓国軍隊解散、ハーグ密使事件、第三次日韓協約締結
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1907年
第一次日露協約締結
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1908年
第二次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足、斎藤実が海軍大臣就任
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1909年
アメリカが満鉄の中立化を提唱
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1909年
伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68)
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1910年
伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化
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1911年
第二次西園寺公望内閣(政友会)発足、斎藤実が海軍大臣就任
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1912年
孫文ら辛亥革命が南京に中華民国を樹立し北洋軍閥・袁世凱の反旗で清朝滅亡
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1912年
明治天皇が崩御し大正天皇が即位
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1912年
二個師団増設問題、陸軍が軍部大臣現役武官制を楯に西園寺公望内閣を倒す
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1912年
第三次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足、斎藤実が海軍大臣就任
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1913年
第一次護憲運動、大正政変
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1913年
第一次山本権兵衛内閣(薩摩・海軍)発足、斎藤実が海軍大臣就任
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1913年
軍部大臣現役武官制緩和
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1914年
シーメンス事件、第一次山本権兵衛内閣が退陣し山本および斎藤実海相が予備役編入
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1914年
第二次大隈重信内閣(同志会)発足、八代六郎が海軍大臣就任(加藤友三郎に途中交代)
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1914年
第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫
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1914年
大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領
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1914年
パナマ運河開通
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1915年
大隈重信首相・加藤高明外相が袁世凱の中華民国に「対華21カ条要求」を宣告
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1915年
井上馨死去
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1916年
寺内正毅内閣(長州・陸軍)発足、加藤友三郎が海軍大臣就任
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1917年
イギリスの強要により日本海軍の艦隊が地中海へ出動
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1917年
レーニンらボルシェヴィキがロマノフ朝ロシアを滅ぼし世界初の社会主義政権を樹立(ロシア革命)
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1918年
秋山真之死去
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1918年
シベリア出兵
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1918年
原敬内閣(政友会)発足、加藤友三郎が海軍大臣就任
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1918年
第一次世界大戦終結
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1919年
パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)
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1920年
国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す
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1921年
バーデン・バーデン密約~永田鉄山ら陸軍中堅幕僚の策動が始まる
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1921年
高橋是清内閣(政友会)発足、加藤友三郎が海軍大臣就任
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1921年
アメリカの工作により日英同盟が廃棄となる
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1921年
加藤友三郎海相・幣原喜重郎駐米大使がワシントン海軍軍縮条約調印を断行
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1922年
陸軍長州閥を築いた山縣有朋が政敵の伊藤博文・大隈重信・板垣退助や子飼の桂太郎・寺内正毅の誰よりも長寿を保ち84歳で死去
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1922年
加藤友三郎内閣(海軍)発足、加藤首相は海軍大臣を兼務(財部彪に途中交代)
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1922年
加藤友三郎首相が日本軍のシベリア撤兵を断行
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1922年
ソビエト社会主義共和国連邦樹立、スターリンが最高指導者となる
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1923年
関東大震災
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1923年
第二次山本権兵衛内閣(海軍)発足、財部彪が海軍大臣就任
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1923年
虎ノ門事件
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1924年
清浦奎吾内閣(貴族院)発足、村上格一が海軍大臣就任
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1924年
加藤高明内閣(憲政会)発足、財部彪が海軍大臣就任
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1925年
日ソ基本条約調印、国交樹立
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1925年
陸軍の永田鉄山の主導により軍事教練が始まる
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1925年
普通選挙法制定
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1926年
第一次若槻禮次郞内閣(憲政会)発足、財部彪が海軍大臣就任
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1926年
大正天皇が崩御し昭和天皇が即位
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1927年
田中義一内閣(長州・陸軍・政友会)発足、岡田啓介が海軍大臣就任
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1927年
永田鉄山らが陸軍内に「二葉会」を結成
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1927年
鈴木貞一・石原莞爾らが陸軍内に「木曜会」を結成
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1928年
陸軍中央で「満蒙領有」方針が現れる
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1928年
蒋介石の国民革命軍が張作霖(日本の傀儡)の北京政府を打倒し北伐完了
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1928年
張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる
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1928年
張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化
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1928年
石原莞爾が関東軍作戦参謀に就任
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1929年
永田鉄山の二葉会に木曜会が合流し「一夕会」が発足
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1929年
濱口雄幸内閣(民政党)発足、財部彪が海軍大臣就任(安保清種、濱口雄幸に途中交代)
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1929年
軍部や松岡洋右満鉄副総裁の扇動で「満蒙生命線論」が興隆
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1929年
世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復
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1930年
幣原喜重郎外相と海軍条約派がロンドン海軍軍縮条約調印を断行
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1930年
鳩山一郎・犬養毅ら政友会が統帥権干犯問題を引起し東郷平八郎・伏見宮博恭王を担ぐ艦隊派(軍拡反米英派)が海軍主流となる
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1930年
濱口雄幸首相銃撃事件
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1930年
山本五十六が海軍航空本部技術部長に就任し航空兵力拡充を推進
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1931年
第二次若槻禮次郞内閣(民政党)発足、安保清種が海軍大臣就任
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1931年
永田鉄山軍事課長ら「五課長会」が「満蒙問題解決方策の大綱」を決定し関東軍へ「1年間の隠忍自重方針」を通達
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1931年
中村震太郎大尉殺害事件、万宝山事件、陸軍首脳が武力解決を決意
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1931年
関東軍参謀の石原莞爾・板垣征四郎らが柳条湖事件を起し満州事変勃発
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1931年
朝鮮駐留軍の林銑十郎司令官が独断で越境増援、若槻禮次郞内閣が追認
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1931年
軍事費の急増が始まる
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1931年
新聞各紙の満州事変礼賛報道で好戦ムードが蔓延
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1931年
石原莞爾ら満州事変首謀者が「満蒙問題解決案」を策定
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1931年
若槻禮次郞内閣が満州国建国方針を決定
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1931年
犬養毅内閣(政友会)発足、一夕会系の荒木貞夫が陸相就任、大角岑生が海軍大臣就任
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1932年
関東軍が満州全域を制圧
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1932年
第一次上海事変
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1932年
軍拡反米英派(艦隊派)首領の伏見宮博恭王が海軍軍令部長(総長へ改称)就任(~1941)
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1932年
血盟団事件
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1932年
満州国建国
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1932年
国際連盟が満州国にリットン調査団を派遣
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1932年
上海天長節爆弾事件
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1932年
五・一五事件~海軍将校が武装蜂起し犬養毅首相を殺害(享年77)政党内閣が終焉
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1932年
斎藤実内閣(海軍)発足、岡田啓介が海軍大臣就任(大角岑生と途中交代)
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1932年
斎藤実内閣が満州国を承認
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1933年
松岡洋右首席全権が国際連盟総会で脱退劇を演じ斎藤実政府は満州撤退勧告を拒否
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1933年
永田鉄山・統制派と小畑敏四郎・皇道派の対立が始まる
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1933年
「海軍の父」山本権兵衛が死去(享年81)
年
山本権兵衛と同じ時代の人物
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戦前
伊藤 博文
1841年 〜 1909年
100点※
高杉晋作の功山寺挙兵を支えた長州維新の功労者、大久保利通没後の明治政界を主導し内閣制度発足・大日本帝国憲法制定・帝国議会開設・不平等条約改正・日清戦争勝利を成遂げ国際協調と民権運動との融和を進めた大政治家
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戦前
板垣 退助
1837年 〜 1919年
100点※
中岡慎太郎の遺志「薩土密約」を受継ぎ戊辰戦争への独断参戦で土佐藩を「薩長土肥」へ食込ませ、自由党を創始して薩長藩閥に対抗し自由民権運動のカリスマとなった清貧の国士
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戦前
豊田 喜一郎
1894年 〜 1952年
100点※
豊田佐吉の長男で共に画期的な動力織機を発明するが、繊維産業の凋落を見越し紡績から自動車への事業転換を敢行したトヨタグループ創業者
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