有職故実マニアから攘夷運動に入り前時代的な異装で奇人視された福岡浪士、『尊攘英断録』で堂々と討幕を主張し有馬新七や吉村寅太郎を扇動し「大和行幸」に加担するが生野の変に敗れ京都六角獄舎で惨殺
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照維新
平野 国臣
1828年 〜 1864年
70点※
家系・子孫
- 平野吉郎右衛門能栄は、足軽身分ながら神道夢想流杖術・一角流の捕術・一達流の縄術を修めた武芸者で福岡藩の足軽師範に任じられ千余人の門人を擁し、江戸立帰定役(江戸と国元との間の定飛脚)も勤め江戸と福岡を往来すること百数十度に及んだという。精勤ぶりと家庭円満が評価され晩年に士分へ昇格した。次男の平野国臣は、同じ福岡藩の足軽身分で鉄砲頭の小金丸彦六の娘お菊に婿入りして家督を継ぎ一男二女をもうけたが、婿養子の窮屈さに耐えられず離縁して実家に戻り福岡藩の役籍を失って浪人となった。その後の平野国臣は攘夷運動に挺身し妻帯しなかったが、同志の真木和泉の家に出入りするうちに娘のお棹と恋愛関係になったといわれる。
平野国臣と同じ時代の人物
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維新
大久保 利通
1830年 〜 1878年
130点※
島津久光を篭絡して薩摩藩を動かし岩倉具視と結んで明治維新を達成、盟友の西郷隆盛も切捨てる非情さで内治優先・殖産興業・富国強兵の路線を敷き近代国家の礎を築いた日本史上最高の政治家
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維新
高杉 晋作
1839年 〜 1867年
110点※
吉田松陰の枠を超えた「防長割拠論」を実践し庶民軍の奇兵隊を創設して洋式軍備を拡充、功山寺挙兵で佐幕政権を覆し薩長同盟で背後を固め第二次長州征討の勝利で幕威を失墜させた長州維新の英雄
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維新
西郷 隆盛
1828年 〜 1877年
100点※
島津斉彬の懐刀として政治力・人脈を培い大人格者の威望をもって討幕を成遂げた薩摩藩の首魁、没落する薩摩士族に肩入れし盟友の大久保利通に西南戦争で討たれたが「大西郷」人気は今も健在
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