薩摩人ながら志士歴が無く伊藤博文の引立てで参議兼大蔵卿に就き「松方財政」でインフレ退治に成功、反動デフレに見舞われたが首相・元老・公爵に栄達し19人の子女と89歳の長寿に恵まれた「財政の第一人者」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦前
松方 正義
1835年 〜 1924年
70点※
家系・子孫
- 松方正恭は郷士だったが、大島-鹿児島間の私貿易(密貿易)で財を成し最下級とはいえ薩摩藩の城下士となり、袈裟子との間に四男四女を生した(子沢山は松方家の遺伝か)。女児3人が夭逝したため両親は女児の誕生を願ったが、生れたのは四男の正義で袈裟子はショックで悶絶したという。松方正義は、薩摩藩士川上左太夫の長女満佐子を妻とし、大名並みに19人(十三男六女)もの子をもうけた。あるとき明治天皇から「お前は子福者だと聞くが、子どもは何人いるのか」と尋ねられた松方正義は「調べましてお答えいたします」と答えたと伝わる。とはいえ生真面目な松方正義に艶聞は無く、黒岩涙香の『萬朝報』が政財界の大物達の醜聞を暴露した際にも載らなかった。19人全員が満佐子の子かは不明だが、末子の文子の誕生時、59歳の老妻は恥ずかしがり(松方正義は69歳)庶子または長男の子として出生届を出したいと願ったという。公爵を継いだ嫡子の松方巌は第十五銀行頭取から貴族院議員、次男で外交官の松方正作は岩崎弥之助の長女を娶って三菱と姻戚を築き、三男の松方幸次郎は川崎造船所社長から衆議院議員、八男の松方乙彦は山本権兵衛の娘登美を妻とした。四男の松方正雄は、阪神電鉄社長・大阪ガス社長などを歴任して関西財界の重鎮となり、大阪タイガース初代オーナーとして野球殿堂入り、正雄の家系が最も繁栄し政財界に多彩な閨閥を築いている。1961年から1966年まで駐日アメリカ大使を務め池田勇人内閣を支援し日米の蜜月関係を演出したエドウィン・O・ライシャワーの妻ハルは、松方正義の孫である。
- 岩崎氏の遠祖は甲斐武田氏の縁者とする説があるが、明確なのは戦国時代以降、安芸郡井ノ口村の「一両領足」として長曽我部元親に仕えてからである。山内一豊の土佐入封により岩崎氏は地下浪人に落とされ、やがて郷士株を買い武士身分を取戻すも、岩崎弥次郎右衛門が酒と博打で家産を潰し郷士株を手放した。地下浪人は、「元武士」として苗字帯刀は認められたが、村政では庄屋の下位に置かれ実態は一般農民と同然であった。数代後の岩崎弥次郎は、農業経営が下手なうえに大酒飲みで田畑を失い一家は困窮、しかも攻撃的で偏屈な性格のため庄屋の島田家や岩崎分家との諍いが絶えず集団リンチに遭難した。「三菱海上王国」を築いた岩崎弥太郎は、喜勢との間に嫡子の久弥と娘の春路・磯路を生し、妾腹の子も多くもうけた。福澤諭吉の門人で三菱幹部の荘田平五郎は弥太郎の姉佐喜の娘婿である。弥太郎から三菱2代目を継いだ弟の岩崎弥之助は、薩摩閥の猛攻をかわすため本業の海運業から撤退したが、鉱山・造船を軸に多角的経営を成功させ今日に続く三菱財閥の礎を築き、去り際も鮮やかに岩崎久弥(弥太郎の嫡子)に三菱3代目を禅譲、久弥と弥之助の両家が共に男爵に叙された。岩崎弥之助は大富豪には珍しく艶聞が無く、妻の早苗(後藤象二郎の長女)一筋で三男一女をもうけた。長男の岩崎小弥太は三菱4代目として第二次大戦後の財閥解体を受難、次男の岩崎俊弥は旭硝子の創業者、娘の繁子は外交官の松方正作(正義の次男)の妻である。また、官僚政治家の自家養成を図る岩崎弥之助は、岩崎弥太郎の長女春路を加藤高明に・妾腹の末娘雅子を幣原喜重郎に娶わせ、強大な三菱ファミリーに連なった加藤と幣原は総理大臣に栄達した。弥太郎次女の磯路は木内重四郎に嫁がせ、その長女の美艸子は山内豊中(最期の土佐藩主山内豊範の四男)・次女の登喜子は日本銀行総裁や大蔵大臣を務めた渋沢敬三(栄一の嫡孫)の妻となった。兄弟で三菱財閥を築き上げた岩崎弥太郎・弥之助の生家は高知県安芸市に保存され、弥太郎少年が日本列島を模った石群も見ることができる。
松方正義と同じ時代の人物
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戦前
伊藤 博文
1841年 〜 1909年
100点※
高杉晋作の功山寺挙兵を支えた長州維新の功労者、大久保利通没後の明治政界を主導し内閣制度発足・大日本帝国憲法制定・帝国議会開設・不平等条約改正・日清戦争勝利を成遂げ国際協調と民権運動との融和を進めた大政治家
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戦前
板垣 退助
1837年 〜 1919年
100点※
中岡慎太郎の遺志「薩土密約」を受継ぎ戊辰戦争への独断参戦で土佐藩を「薩長土肥」へ食込ませ、自由党を創始して薩長藩閥に対抗し自由民権運動のカリスマとなった清貧の国士
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戦前
豊田 喜一郎
1894年 〜 1952年
100点※
豊田佐吉の長男で共に画期的な動力織機を発明するが、繊維産業の凋落を見越し紡績から自動車への事業転換を敢行したトヨタグループ創業者
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