「世界最終戦争論」「五族協和」を唱えて満州事変を起し、永田鉄山斬殺事件後の陸軍中央を掌握し日中戦争不拡大を説くが、武藤章・田中新一ら統制派に敗れ東條英機に政治生命を絶たれた「陸軍随一の天才」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦前
石原 莞爾
1889年 〜 1949年
80点※
家系・子孫
- 石原莞爾は庄内藩士の家系で、明治維新後父の石原啓介は警察官となり飯能警察署長を務めた。幕末の庄内藩は「日本一の大地主」本間家の資金援助によりスナイドル銃など最新兵器で武装した軍事強国で、「江戸市中取締」や薩摩藩邸焼打ちで薩長の目の敵にされ、会津藩と共に奥羽越列藩同盟の盟主となり最後まで官軍と戦った。庄内藩出身(豪農だが武士ではない)の清河八郎は幕府を唆して「浪士組」を創らせ上洛、京都に留まった近藤勇・土方歳三らは会津藩傭兵「新撰組」となり、江戸へ戻った浪士は庄内藩に預けられ「新徴組」となった。石原莞爾の祖父は新徴組の世話係を務めたという。さて、石原莞爾は三男だが上の二男が夭逝しており嫡子として育てられた。石原啓介は六男四女の子沢山だったが5人が夭逝したとされ、四男の次郎は陸軍中佐となるが航空機事故で殉職、六男の六郎は石原莞爾が没するまで随身した。石原莞爾は、陸大在学中に清水泰子と結婚したが僅か2ヶ月で離婚、卒業の翌年に国府テイ子と再婚した。子孫については不明だが、TBS社長の石原俊爾は孫とみられる。衆議院議員(山形2区)の加藤精三は石原莞爾の従弟、中国・北朝鮮のシンパで荒唐無稽の従軍慰安婦問題に陳謝する愚を侵した(加藤談話)加藤紘一はその五男である。
石原莞爾と同じ時代の人物
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戦前
伊藤 博文
1841年 〜 1909年
100点※
高杉晋作の功山寺挙兵を支えた長州維新の功労者、大久保利通没後の明治政界を主導し内閣制度発足・大日本帝国憲法制定・帝国議会開設・不平等条約改正・日清戦争勝利を成遂げ国際協調と民権運動との融和を進めた大政治家
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戦前
渋沢 栄一
1840年 〜 1931年
100点※
徳川慶喜の家臣から欧州遊学を経て大蔵省で井上馨の腹心となり、第一国立銀行を拠点に500以上の会社設立に関わり「日本資本主義の父」と称された官僚出身財界人の最高峰
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戦前
豊田 喜一郎
1894年 〜 1952年
100点※
豊田佐吉の長男で共に画期的な動力織機を発明するが、繊維産業の凋落を見越し紡績から自動車への事業転換を敢行したトヨタグループ創業者
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