岸信介の後継者として首相となりカーター米政権の「アジア離れ」を衝いて「全方位外交」を追求、ASEANとの連帯強化と日中平和友好条約締結を果たすも自民党総裁選に弱く僅か2年で退陣
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦後
福田 赳夫
1905年 〜 1995年
70点※
家系・子孫
- 福田赳夫の生家は群馬県群馬郡金古町(現高崎市)の庄屋の家柄で、父の福田善治は金古町長も務めた素封家であった。高崎市を含む旧群馬3区は日本屈指の激戦区で、首相経験者の福田赳夫・中曽根康弘・小渕恵三に社会党書記長の山口鶴男も交え熾烈な「上州戦争」を繰広げた。中曽根康弘政権下の1983年と1986年の衆院選で、元首相の福田赳夫はトップ当選を果し戦後初めて現職首相を破る快挙を達成している。さて少年期から神童と呼ばれた福田赳夫は、東大法学部へ進み高等文官試験に主席合格、大蔵省のエリートコースを歩み戦後政界へ転じた。福田赳夫は妻三枝との間に二男一女を生した。長男の福田康夫は早稲田大学政経学部から丸善石油に入社し17年サラリーマン生活を送ったが、40歳で福田赳夫の秘書となり14年も務め、1990年漸く父が引退し群馬の地盤を譲られ衆議院議員となった。御曹司の福田康夫は福田赳夫が興した「清和会」で大切にされ、森喜朗・小泉純一郎の内閣で官房長官に補され1289日の最長在任記録を樹立、2007年史上初の親子2代首相を実現した。福田康夫の妻貴代子は、島根県政の重鎮で戦前大臣を歴任した櫻内幸雄の外孫で、伯父の櫻内乾雄は中国電力会長、櫻内義雄は戦後父幸雄の地盤を継いで衆議院議員となり閣僚を歴任、福田赳夫内閣では建設大臣を務め衆議院議長で引退している。
福田赳夫と同じ時代の人物
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戦後
岸 信介
1896年 〜 1987年
100点※
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
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戦後
重光 葵
1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
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戦後
孫 正義
1957年 〜 年
100点※
在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
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