富士通から独立し工作機械用NC・多関節ロボットで世界市場を制した不況知らずの「ファナック」創業者、勲章と世襲に固執するも社長に据えた長男の謀反で電撃解任
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦後
稲葉 清右衛門
1925年 〜 年
50点※
家系・子孫
- 稲葉清右衛門は茨城県下館市(現筑西市)から東大工学部へ進み富士通信機製造(→富士通)に入社した。前妻春日局の威光で大名に出世した稲葉正成の子孫は幕末まで山城淀藩10万2千石を領したが、分家が安房館山に広がっており稲葉清右衛門の生家はその一流かも知れない。さて富士通に入った稲葉清右衛門は子会社「富士通ファナック」を立上げ世界有数の産業ロボットメーカーへ発展させたが、富士通の名を外し「ファナック」を私物化した。稲葉清右衛門は東大後輩の野澤量一郎・小山成昭に社長を譲ったが絶対君主の座を手放さず、2003年両名を引退させ長男の稲葉善治(東京工業大学工学部からいすゞ自動車に10年勤めファナック入社)を社長に擁立、2013年には善治長男の稲葉清典(カリフォルニア大学大学院バークレー校機械工学科修了)を最年少の35歳で取締役に就け世襲路線を顕示した。しかしその5ヵ月後、相談役名誉会長を名乗りつつ経営会議を牛耳り経営本部長・研究本部長・子会社代表の要職を握り詰めにしていた稲葉清右衛門が突然全役職を解任された。ファナックは公然と情報開示を拒否する「謎の企業」ゆえ詳細は窺い知れないが、稲葉清右衛門は愛孫の取締役昇格に際し稲葉善治社長を除く重役を平取締役に降格させる「懲罰人事」を行っており、怒った重役陣がボンボン社長を担ぎ謀反したものとみられる。稲葉清右衛門は身を退いたと伝わるが絶対君主を失ったファナックは混乱に陥っているとの報もあり、創業者の巻返しはあるのか、壮絶な追放劇は未だ終幕していない(2015年末現在)。
稲葉清右衛門と同じ時代の人物
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戦後
岸 信介
1896年 〜 1987年
100点※
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
戦後
重光 葵
1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
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戦後
孫 正義
1957年 〜 年
100点※
在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
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