抗争の末に三好長慶に屈服するも諸侯に通じて三好政権打倒を画策、三好三人衆・松永久秀の謀反に斃れたが塚原卜伝直伝「一つの太刀」で奮闘し最後の意地を示した剣豪将軍、弟の足利義昭が織田信長を裏切り室町幕府は滅亡
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦国
足利 義輝
1536年 〜 1565年
50点※
家系・子孫
- 足利氏は清和源氏の一流で、八幡太郎義家の四男義国の次男義康を家祖とし本貫の下野足利荘から名字を採った。源頼朝は義家の嫡子悪源太義親、新田氏は義国の長男義重の裔である。頼朝の鎌倉将軍家は3代で滅びたが、足利氏は執権北条氏と密接な血縁を結んで源氏筆頭の家勢を保ち、元寇以来不満を募らせる武士団に押された足利尊氏が建武の新政を成功に導き、武士社会の現実を無視した後醍醐天皇を追放して室町幕府を開いた。尊氏が気前良く大封を配ったため支配基盤は脆弱で、南北朝合一を果し相国寺から天皇位を狙った3代将軍足利義満をピークに将軍権力は弱体化、復権を図った6代足利義教は赤松満祐に弑殺され(嘉吉の乱)、無気力な8代足利義政は悪妻日野富子の尻に敷かれ後継争いから応仁の大乱が勃発、9代足利義尚は古河公方足利成氏や南近江守護六角高頼の反逆を掣肘できず、群雄割拠する戦国時代に突入した。「半将軍」と称された管領細川政元は10代足利義材(義稙)を追放し11代将軍に足利義澄を擁立するが(明応の政変)養子3人の家督争いで暗殺され(永正の錯乱)、周防の大内義興が挙兵上洛し将軍義澄と細川澄元・三好之長の阿波勢を追放して義稙を将軍に復位させた。義興は船岡山合戦に勝利したが領国を尼子経久に侵され帰国、細川高国は六角定頼と同盟して三好之長を討ち寝返った将軍義稙を追放して足利義晴を12代将軍に擁立し(等持院の戦い)播磨の浦上村宗を誘って阿波勢を迎撃するが逆に討取られた(大物崩れ)。細川晴元は反逆した将軍義晴を追放し(嫡子足利義輝が近江で13代将軍を承継)一向一揆を扇動して権臣の三好元長を滅ぼすが、嫡子の三好長慶が報復を果し三好政権を樹立した。隠忍帰順した将軍義輝は諸侯に通じて三好政権打倒を図るが三好三人衆・松永久秀に襲われ斬死(永禄の変)、14代将軍足利義栄は入京叶わず病没し、尾張・美濃を征した織田信長が流浪の足利義昭を15代将軍に奉じ「天下布武」に乗出した。将軍義昭は信長を裏切って包囲網に加担するが武田信玄の急逝で夢破れ室町幕府は235年の幕を閉じた。足利将軍家は断絶したが、鎌倉公方系の足利国朝が下野喜連川藩を立藩し幕末まで存続した。
- 細川氏は、将軍足利氏の庶流で斯波氏・畠山氏と共に将軍に次ぐ管領職を世襲した「三管領」の名門である。応仁の乱の東軍総大将細川勝元の死後、管領を継ぎ「半将軍」と称された嫡子細川政元は10代足利義材(義稙)を追放し11代将軍に足利義澄を擁立したが(明応の政変)愛宕信仰が嵩じて飛行自在の妖術修行に凝り一切女色を断ったため子を生さず養子3人の家督争いが勃発、澄元擁立を図った政元は澄之に暗殺され(永正の錯乱)澄之を討った澄元・高国の抗争が戦国乱世に拍車を掛けた。三好元長ら阿波勢を擁する細川晴元(澄元の嫡子)が高国を討ち24年に及んだ「両細川の乱」は決着したが(大物崩れ)勝ち組の権力争いへ移行、晴元は一向一揆を扇動して元長を討ち三好長慶(元長の嫡子)を従えるが、実力を蓄えた長慶は12代将軍足利義晴と晴元を追放し(江口の戦い)反抗を続けた晴元と13代将軍足利義輝(義晴の嫡子)を降して三好政権を樹立した。長慶は傀儡管領に細川氏綱(高国の養子)を立てたが、三好政権瓦解と共に細川一族も没落した。その後の細川一門では和泉上守護家(細川刑部家)から出た細川藤孝の肥後細川家のみが繁栄した。細川澄元・晴元に属した細川元常は、一時阿波へ逃れるも大物崩れで所領を回復、三好長慶の台頭で再び没落し将軍義晴・義輝と逃亡生活を共にした。元常没後、甥の細川藤孝(義晴落胤説あり)は将軍義晴を後ろ盾に元常の嫡子晴貞から家督を奪い、三淵晴員・藤英(実父・兄)と共に名ばかりの将軍家を支え、義輝弑逆後は新参の明智光秀と共に織田信長に帰服し足利義昭の将軍擁立に働いた。関ヶ原の戦いで東軍に属し豊前中津39万9千石に大出世した嫡子の細川忠興は、光秀の娘珠(ガラシャ)を娶り四男をもうけた。忠興は徳川家康に忠誠を示すため長男忠隆に正室(前田利家の娘)との離縁を迫るが背いたため廃嫡、人質生活で徳川秀忠の信任を得た三男忠利を後嗣に就け、忠利は国替えで肥後熊本54万石の太守となった。不満の次男興秋は細川家を出奔し、豊臣秀頼に属し大坂陣で奮闘するが捕らえられ切腹した。忠利の嫡流は7代で断絶、忠興の四男立孝の系統が熊本藩主を継ぎ79代首相細川護熙はこの嫡流である。
足利義輝と同じ時代の人物
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戦国
織田 信長
1534年 〜 1582年
140点※
中世的慣習を徹底破壊して合理化革命を起し新兵器鉄砲を駆使して並居る強豪を打倒した戦国争覇の主人公ながら、天下統一を目前に明智光秀謀反で落命し家臣の豊臣秀吉・徳川家康に手柄を奪われた悲劇の英雄
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戦国
毛利 元就
1497年 〜 1571年
100点※
安芸の小領主の次男坊から権謀術数で勢力を拡大、息子の吉川元春・小早川隆景を両翼と頼み、厳島の戦いで陶晴賢を討って大内家の身代を奪取、月山富田城の尼子氏も下して安芸・備後・周防・長門・石見・出雲・隠岐・伯耆・因幡・備中を制覇した戦国随一の智将
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戦国
徳川 家康
1542年 〜 1616年
100点※
旧主今川義元を討った織田信長と同盟して覇業の一翼を担い、豊臣秀吉没後秀頼を滅ぼして天下を奪取、信長の実力主義・中央独裁を捨て世襲身分制で群雄割拠を凍結し265年も時間を止めた徳川幕府の創設者
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