オリックスで7年連続首位打者に輝き米国MLBへ渡り10年連続200本安打とゴールドグラブ賞を達成、日米通算4千本安打を突破しMLB殿堂入りも確実視される日本スポーツ界の至宝
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦後
鈴木 一朗(イチロー)
1973年 〜 年
90点※
家系・子孫
- イチロー(鈴木一朗)は愛知県西春日井郡豊山町の出身、父の鈴木宣之は芝浦工業大学工学部二部卒で機械部品製造会社を興したが、イチローが有名になると度々マスコミに露出して「チチロー」と称され『父と息子 イチローと私の二十一年』など子育て成功本を多数刊行している。イチローは鈴木宣之・淑江夫妻の次男で、兄の鈴木一泰はデザイナー・一級建築士である(娘の鈴木来海は自称モデル)。鈴木宣之は小学生のイチローに『巨人の星』ばりの英才教育を施し、3年生で地元の「豊山町スポーツ少年団」に入団させると毎日「空港バッティングセンター」へ通い共に野球三昧の生活を過した。なお、空港バッティングセンターには同時期に稲葉篤紀も通っており、「隣で同い年くらいの奴がめっちゃ速いボールを簡単に遠くまで飛ばしていた」とイチローを記憶に留めている。さてイチローは、豊山町スポーツ少年団のエース投手となり6年生時に全国大会出場、豊山中学校野球部でもエース投手となり3年生時に全日本少年軟式野球大会で3位入賞、名門の愛工大名電高校野球部で1年生でいきなりレギュラーとなり2年春(左翼手)・3年夏(投手)に甲子園出場を果した。愛工大名電はいずれも初戦敗退に終ったが、高校通算打率5割超えのイチローはドラフト4位でオリックス入団、3年目に仰木彬監督の起用で一番センターに定着するといきなり210安打・打率385でプロ野球記録を塗替え、7年連続首位打者を花道に米国MLBへ渡り10年連続200本安打の偉業を達成した。イチローはTBS番組『イチローの気持ちはいつもフルスイング』で知合ったアナウンサーの福島弓子と結婚した(姉の福島敦子はNHK契約アナ)。8歳年上の姉女房は英語堪能でイチローの米国生活を支えたが、夫の稼ぎで不動産ビジネスや美容サロンの経営に励み(IYI Corporation)舅の鈴木宣之に反対され絶縁状態も噂された。2015年末現在もイチロー夫妻は子宝に恵まれず弓子夫人は51歳、側室を置くわけにもいかず、相続で一悶着あるかも知れない。
鈴木一朗(イチロー)と同じ時代の人物
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戦後
孫 正義
1957年 〜 年
100点※
在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
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戦後
重光 葵
1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
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戦後
岸 信介
1896年 〜 1987年
100点※
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
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