「維新の三傑」の政争に翻弄され西南戦争後は酒乱となり、開拓使官有物払下げ事件に逆ギレして「超然主義」を唱え民権派と三菱を弾圧、順送りで2代首相・元老に栄達したが政治的業績を残せなかった孤独な薩摩閥のボス
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦前
黒田 清隆
1842年 〜 1900年
40点※
家系・子孫
- 黒田家は薩摩藩士とはいえ家禄4石の最下級武士であった。黒田清隆は、旧旗本中山勝重の長女清を娶り、清の妹の百子を養女とし薩摩閥陸軍人の黒木為楨(日露戦争の第1軍司令官)に嫁がせた。が、酒乱で帰宅した黒田清隆は出迎え方が悪いと清を斬殺(病死説もあり)、後妻の滝子に一男一女を産ませた。一子の黒田清仲が伯爵黒田家を相続したが無嗣没、黒木為楨・百子の三男清が跡目養子に入った。一女の梅子は親友の榎本武揚の嫡子武憲に嫁がせた。
黒田清隆と同じ時代の人物
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戦前
伊藤 博文
1841年 〜 1909年
100点※
高杉晋作の功山寺挙兵を支えた長州維新の功労者、大久保利通没後の明治政界を主導し内閣制度発足・大日本帝国憲法制定・帝国議会開設・不平等条約改正・日清戦争勝利を成遂げ国際協調と民権運動との融和を進めた大政治家
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戦前
板垣 退助
1837年 〜 1919年
100点※
中岡慎太郎の遺志「薩土密約」を受継ぎ戊辰戦争への独断参戦で土佐藩を「薩長土肥」へ食込ませ、自由党を創始して薩長藩閥に対抗し自由民権運動のカリスマとなった清貧の国士
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戦前
豊田 喜一郎
1894年 〜 1952年
100点※
豊田佐吉の長男で共に画期的な動力織機を発明するが、繊維産業の凋落を見越し紡績から自動車への事業転換を敢行したトヨタグループ創業者
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