1776年 〜 1849年
70点※
島津重豪の尻拭いを果し薩摩を幕末屈指の富裕藩へ押上げた維新の功労者
1800年 〜 1860年
会沢正志斎・藤田東湖の水戸学・尊皇攘夷論を実践し幕末維新の幕を開いた過激な「水戸烈侯」、将軍継嗣問題で大老井伊直弼に敗れ悲嘆死したが七男の徳川慶喜が悲願の将軍位を掴み嫡流の水戸家と共に最高位の公爵を受爵
1823年 〜 1864年
藩主毛利敬親の信任を得て保守佐幕派を抑えつつ、木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞ら吉田松蔭門下生を支援した長州正義派の執政
1828年 〜 1864年
有職故実マニアから攘夷運動に入り前時代的な異装で奇人視された福岡浪士、『尊攘英断録』で堂々と討幕を主張し有馬新七や吉村寅太郎を扇動し「大和行幸」に加担するが生野の変に敗れ京都六角獄舎で惨殺
1835年 〜 1867年
土佐藩を脱藩して勝海舟に師事するが神戸海軍操練所の閉鎖に伴い薩摩藩の庇護下に入り亀山社中・薩長同盟に貢献、土佐藩に戻って大政奉還を差配し「世界の海援隊」を夢見たが暗殺された幕末一の人気者
1835年 〜 1901年
慶應義塾の創始者にして「西洋事情」の紹介者、「脱亜論」が後世に禍根を残したが、大隈重信の黒幕として自由民権運動をリードした文明開化のカリスマ
1835年 〜 1924年
薩摩人ながら志士歴が無く伊藤博文の引立てで参議兼大蔵卿に就き「松方財政」でインフレ退治に成功、反動デフレに見舞われたが首相・元老・公爵に栄達し19人の子女と89歳の長寿に恵まれた「財政の第一人者」
1835年 〜 1869年
武蔵多摩の農民ながら近藤勇と共に幕府浪士組に身を投じ京都の尊攘派志士を戦慄させた新撰組「鬼の副長」、新撰組壊滅後も戊辰戦争を戦い抜き武士の意気地を示して函館に散った佐幕派志士のヒーロー
1837年 〜 1928年
維新期に武器商人として台頭、陸軍長州閥に食込み国内外の戦乱に乗じて巨富を積み、井上馨・渋沢栄一・安田善次郎の庇護のもと大倉財閥を築いた大胆不敵な「冒険商人」
1837年 〜 1891年
久坂玄瑞・武市半平太らに担がれ朝廷の「破約攘夷」を牽引した過激公卿、八月十八日政変で「七卿落ち」するが尊攘派志士の大義名分として長州藩の討幕運動を支え明治政府の最高位に栄達