1843年 〜 1902年
70点※
西南戦争で兄の西郷隆盛と敵対する政府に留まり内閣制度発足から10年以上も海相に在任、「日本海軍の父」山本権兵衛を盛立てた薩摩海軍閥のドン
1857年 〜 1929年
内務省の医系技官から児玉源太郎の抜擢で長州閥に連なり、台湾総督民政局長・初代満鉄総裁として植民地経営を成功させ関東大震災後の帝都復興を描いた「大風呂敷」の奇才
1867年 〜 1930年
国産初の動力織機など特許84件・実用新案35件を誇る「発明王」、繊維産業の没落で「紡績財閥」は壊滅したが長男の豊田喜一郎がトヨタ自動車を創業
1868年 〜 1918年
連合艦隊先任参謀として日露戦争の作戦を担い世界最強の太平洋艦隊・バルチック艦隊を撃破した帝国海軍随一の奇才にして『坂の上の雲』の主人公
1880年 〜 1967年
井上馨の姉の孫で長州閥政商の雄、買収と経営再建で日産コンツェルンを築き満州の重工業開発を牽引したが早期撤退の大英断で財閥崩壊を免れた日産・日立グループ創業者
1883年 〜 1959年
戦前は政友会幹部として迷走したが、「憲法改正・再軍備・自主外交」を掲げて吉田茂の従米政権を倒し重光葵外相と共に保守合同(55年体制)・日ソ国交回復・国際連合加盟を達成した党人派の親方
1893年 〜 1980年
「シャープペンシル」の発明で台頭するが関東大震災で事業と妻子を喪失、ラジオ・テレビの国産化で復活し世界の「シャープ」を築いた不屈の職人企業家
1905年 〜 1995年
岸信介の後継者として首相となりカーター米政権の「アジア離れ」を衝いて「全方位外交」を追求、ASEANとの連帯強化と日中平和友好条約締結を果たすも自民党総裁選に弱く僅か2年で退陣
1918年 〜 1998年
量子力学を化学に応用した独創的な「フロンティア軌道理論」で「有機電子論」の矛盾を克服し日本人初のノーベル化学賞に輝いた「量子化学」の先駆者
1935年 〜 年
バブル崩壊後の「失われた20年」にM&Aを軸とする先駆的中国進出と欧米市場開拓で奇跡的成長を遂げ「田舎企業ダイキン」をエアコン世界一に押上げたサラリーマン社長随一の偉材