1533年 〜 1605年
50点※
前田利家の義甥で武勇絶倫の教養人ながら高禄を捨てて出奔し京都で一流文化人と交流、前田家が徳川家康に屈服するなか老骨に鞭打って上杉景勝に従軍し意気地を示した「天下一の傾奇者」
1536年 〜 1565年
抗争の末に三好長慶に屈服するも諸侯に通じて三好政権打倒を画策、三好三人衆・松永久秀の謀反に斃れたが塚原卜伝直伝「一つの太刀」で奮闘し最後の意地を示した剣豪将軍、弟の足利義昭が織田信長を裏切り室町幕府は滅亡
1542年 〜 1596年
徳川家康に仕えた伊賀「上忍三家」当主で「神君伊賀越え」で露払い役を果し知行8千石・伊賀甲賀衆支配役に任じられた忍者の出世頭、江戸城「半蔵門」の由来となった嫡子正就は自滅したが子孫は桑名藩家老として存続
1547年 〜 1612年
上杉謙信の力添えで北条氏康の侵攻を防ぎ豊臣秀吉に帰服して常陸水戸藩54万石(属領を含めると80万石)を保った北関東の盟主、嫡子佐竹義宣が石田三成・上杉景勝に内応し秋田久保田藩20万石に減転封
1745年 〜 1833年
「蘭癖」と豪奢で藩財政を破綻させたが曾孫の島津斉彬を薫陶し雄藩薩摩への道を開いた破天荒大名
1828年 〜 1890年
島津久光の文久の改革で幕政を握るも徳川慶喜の暴走を許し公武合体に挫折、徳川家擁護で「薩長土肥」入りを逃したが横井小楠を招き福井藩で民主主義を育んだ「四賢候」
1848年 〜 1913年
叔父のお陰で長州閥首脳に取り入り、日露戦争勝利の栄誉に恵まれた山縣有朋の側近
1858年 〜 1936年
仁礼景範の娘婿として薩摩海軍閥に連なり、山本権兵衛の下で海軍次官・海相を長く勤め首相に上り詰めた後、二・二六事件で殺害された「山本権兵衛の副官」
1880年 〜 1948年
第一次近衛文麿内閣の海相として日中戦争拡大に加担したが、日独伊三国同盟・対米開戦には断固反対し東条内閣打倒と終戦工作に働いた海軍良識派のリーダー
1925年 〜 年
富士通から独立し工作機械用NC・多関節ロボットで世界市場を制した不況知らずの「ファナック」創業者、勲章と世襲に固執するも社長に据えた長男の謀反で電撃解任