1809年 〜 1858年
80点※
雄藩薩摩藩の礎を築き、西郷隆盛や大久保利通を登用、雄藩連合による公武合体運動に乗出した四賢候筆頭の名君
1810年 〜 1863年
種痘を広めた蘭方医にして「適塾」から大村益次郎・福澤諭吉・橋本左内・大鳥圭介らを輩出した大教育者
1815年 〜 1871年
大老井伊直弼の暗殺で中央政局から離脱するも佐賀藩の富国強兵と洋式軍備導入に専念し、戊辰戦争が起ると幕末最強の最新兵器を投入し「薩長土肥」に滑り込んだ開明的専制君主
1817年 〜 1887年
兄島津斉彬の公武合体運動を引継ぎ文久のクーデターを断行するが将軍徳川慶喜と決裂し討幕に踏切った薩摩藩の大御所、西郷隆盛に嫌悪され寺田屋騒動で家臣を誅殺したが大久保利通・小松帯刀を駆使した明治維新の立役者
1824年 〜 1869年
木戸孝允の招聘で長州藩に出仕し適塾仕込みの洋式兵学と武器輸入で近代的軍隊を創建、浜田城制圧や上野彰義隊との戦争を指揮し維新後は徴兵制・近代的国軍建設を進めたが暴漢に襲われ横死した「日本陸軍の創始者」
1835年 〜 1870年
島津久光・門閥とのパイプ役として大久保利通・西郷隆盛を後援し幕末薩摩藩の挙藩体制を支えた名宰相
1835年 〜 1885年
後藤象二郎に重宝され土佐藩の貿易商社「土佐商会」を掌握、維新後独立し大久保利通の保護政策と台湾出兵・西南戦争の特需に乗じて「三菱海上王国」を現出させたが大隈重信に肩入れし薩摩閥との激闘の渦中に憤死した三菱財閥の創始者
1838年 〜 1921年
富山の農民から商才一つで安田財閥を築き上げ「銀行王」と称されたが、吝嗇を世間に妬まれ経営近代化と後継者育成に難を残したまま暴漢の凶刃に斃れた一代の天才実業家
1840年 〜 1864年
吉田松蔭の妹文を娶った松下村塾の筆頭門人で長州藩尊攘派のエース、松蔭の「草莽崛起論」を受継ぎ「破約攘夷」で中央政局をリードしたが八月十八日政変で突如瓦解し禁門の変で戦死、長州藩は朝敵にされ窮地に陥る
1842年 〜 1916年
従兄の西郷隆盛のもと薩摩藩「精忠組」の維新運動に身を投じ大砲隊指揮官として戊辰戦争で活躍、日清・日露戦争で司令官の大任を果し武勲と名声を極めた明治陸軍の首魁