1848年 〜 1899年
80点※
薩摩軍閥のホープとしてモルトケ直伝のドイツ式軍制改革を主導した「近代陸軍の創始者」にして日清戦争の作戦(軍令)を担った「作戦の神様」
1851年 〜 1908年
薩長藩閥と講和し兄の岩崎弥太郎が興した海運業から撤退したが膨大な遺産を元手に鉱山業・造船業の買収攻勢で忽ち復活、経営多角化を成功させ全方位外交で政界と宥和した実質上の三菱財閥創業者
1853年 〜 1931年
「血清療法の発明」で世界的細菌学者となるが東大閥に締出され福澤諭吉の援助で「伝染病研究所」「北里研究所」を創設、慶應義塾大学医学部と日本医師会の創立も主導した医学会の巨星
1861年 〜 1923年
山本権兵衛を支えて海軍の軍政を取り仕切り、優れた決断力で国際協調路線・軍縮に舵を切った頭脳明晰なエリート海軍人
1874年 〜 1951年
欧米技術の模倣を嫌悪し「国産技術立国」の理想を貫いた反骨の電機技術者にして日立製作所・日立グループ創業者
1884年 〜 1935年
陸軍エリート幕僚を組織化した下克上の盟主で石原莞爾・武藤章・田中新一・東條英機らのリーダー、「国家総動員」へのレールを敷くが内輪揉めで斬殺された昭和史のキーマン
1885年 〜 1981年
石油メジャーと業界への反抗を貫くも潰されず同族経営・薄給ながら猛烈に働く社員団に支えられ民族資本の元売大手「出光興産」を創建、「日章丸事件」で「海賊とよばれた男」
1889年 〜 1949年
「世界最終戦争論」「五族協和」を唱えて満州事変を起し、永田鉄山斬殺事件後の陸軍中央を掌握し日中戦争不拡大を説くが、武藤章・田中新一ら統制派に敗れ東條英機に政治生命を絶たれた「陸軍随一の天才」
1899年 〜 1965年
大蔵省傍流ゆえに公職追放を免れ吉田茂の「保守本流」を継いで首相に栄達、「寛容と忍耐」で安保問題を封印し従米外交を定着させたが「所得倍増計画」で高度経済成長を彩り貿易立国への道を拓いた「三等重役」の旗手
1901年 〜 1975年
吉田茂の後継者ながら実兄岸信介の自主外交を踏襲、歴代2位の長期政権を担い沖縄返還を果したが「繊維密約」を反故にし「ニクソン・ショック」で報復された高度経済成長の幕引き役