秘剣「一つの太刀」を編み出した東国七流・神道流の大成者で室町将軍足利義澄・義晴・義輝に仕え合戦37・真剣勝負19で212人を斃した生涯無敗の剣豪、上泉信綱・北畠具教・細川藤孝にも妙技を伝え創始した鹿島新当流は高弟が承継
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦国
塚原 卜伝
1489年 〜 1571年
80点※
家系・子孫
- 塚原卜伝の生家である卜部吉川氏は卜占を以って鹿島神宮に仕えた社人で、常陸を支配した大掾氏(鹿島城3万石)の庶流鹿島氏(鹿島神宮の神官)に仕えた。卜部呼常は東国七流(鹿島七流)の名剣士で、嫡子の卜部覚賢は大掾景幹の家老を勤めるかたわら屋敷内に吉川道場を開き多くの門弟を育成した。覚賢には双子の二児があり長子の常賢が卜部家を継ぎ次男の朝孝(塚原卜伝)は鹿島分家で塚原城主(所領は3~4千石)の塚原安幹に入嗣した。塚原安幹も天真正伝香取神道流の飯篠長威斎家直から組太刀と槍術を学んだ兵法者で、卜伝は実家の吉川道場で学びつつ養父の薫陶を受けた(15歳で元服し塚原高幹を名乗る)。武者修行に出て室町将軍に仕えた塚原卜伝は、44歳で漸く安幹の娘を娶ったが新妻は間もなく病死し塚原一族から幹重を養子に迎え後を継がせた。
塚原卜伝と同じ時代の人物
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戦国
織田 信長
1534年 〜 1582年
140点※
中世的慣習を徹底破壊して合理化革命を起し新兵器鉄砲を駆使して並居る強豪を打倒した戦国争覇の主人公ながら、天下統一を目前に明智光秀謀反で落命し家臣の豊臣秀吉・徳川家康に手柄を奪われた悲劇の英雄
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戦国
毛利 元就
1497年 〜 1571年
100点※
安芸の小領主の次男坊から権謀術数で勢力を拡大、息子の吉川元春・小早川隆景を両翼と頼み、厳島の戦いで陶晴賢を討って大内家の身代を奪取、月山富田城の尼子氏も下して安芸・備後・周防・長門・石見・出雲・隠岐・伯耆・因幡・備中を制覇した戦国随一の智将
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戦国
徳川 家康
1542年 〜 1616年
100点※
旧主今川義元を討った織田信長と同盟して覇業の一翼を担い、豊臣秀吉没後秀頼を滅ぼして天下を奪取、信長の実力主義・中央独裁を捨て世襲身分制で群雄割拠を凍結し265年も時間を止めた徳川幕府の創設者
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