在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照孫 正義
1957年 〜 年
100点※
孫正義の寸評
孫正義の史実
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1957年
在日朝鮮人の安本(孫)三憲の次男孫正義が佐賀県鳥栖市の朝鮮人スラムにて出生
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1957年
岸信介首相が「外交三原則」でアジア重視の外交方針を宣言
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1957年
中内功が末弟の中内力と大阪千林駅前に「主婦の店ダイエー薬局店」開業(ダイエー創業)
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1957年
電力9社と電源開発の出資により日本原子力発電株式会社設立
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1958年
日本・インドネシア国交回復(賠償金803億円・無償供与636億円・借款1440億円)
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1958年
安藤百福が即席麺「チキンラーメン」を発売しテレビCMで大ヒット(日清食品創業)
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1958年
東京タワー開業
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1958年
全学連・社会党・総評が岸信介政権を攻撃し「安保闘争」が過熱
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1959年
『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』創刊
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1959年
稲盛和夫がファインセラミックス専門メーカー「京都セラミック」設立(京セラ創業)
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1959年
三井三池争議、「総資本対総労働の対決」に組合側敗北
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1960年
日本・ベトナム国交回復(賠償金140億円・借款59億円)
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1960年
日米新安保条約・地位協定発効
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1960年
東芝が国産第1号のカラーテレビ発売
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1960年
第一次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
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1960年
石油輸出国機構 (OPEC) 設立
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1960年
池田勇人内閣が「所得倍増計画」を閣議決定
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1960年
ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否
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1961年
アイゼンハワー米大統領が退任演説で「軍産複合体」の危険性を警告
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1961年
高原慶一朗が愛媛県川之江市(現四国中央市)に建材加工の大成化工を設立し2年後生理用ナプキンの生産開始(ユニ・チャーム創業)
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1961年
日本経済団体連合会(経団連)発足
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1961年
電気洗濯機の世帯普及率が50%突破
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1962年
キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避
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1962年
池田勇人首相が欧州7ヶ国を歴訪しGATT35条撤回およびOECD加盟の交渉が前進
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1962年
池田勇人内閣が米政府の反対を押切り中国と「LT貿易」合意
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1963年
日本初のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始
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1963年
日本がGATT11条国へ移行(GATT35条適用撤廃、為替・貿易原則自由化)
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1963年
『花の生涯』でNHK大河ドラマが始まる
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1963年
本田宗一郎の本田技研工業が軽トラックを発売し四輪車事業に参入
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1963年
日本原子力研究所が日本で最初の原子力発電を実施(「原子力の日」)
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1963年
キヤノンカメラが世界初のオートフォーカス「キャノンAFカメラ」発売、世界市場でドイツ勢・ライカを凌駕
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1964年
日本がIMF8条国へ移行(為替取引制限撤廃)
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1964年
日本人の海外旅行自由化(IMF・OECD加盟による)
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1964年
ニチメン・三和銀行ら3商社5銀行が共同出資で大阪市堂島にオリエント・リースを設立し米国直輸入でリース業開始(オリックス創業)、初代社長はニチメンの福井慶三社長が兼務し社員の宮内義彦らが出向
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1964年
日本が経済協力開発機構(OECD)加盟
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1964年
家電製品の「価格破壊」をめぐり「ダイエー・松下戦争」勃発(~1994)
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1964年
米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化
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1964年
IMF・世界銀行東京総会
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1964年
東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通
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1964年
東京オリンピック
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1964年
中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)
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1964年
第一次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足
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1965年
日韓基本条約調印
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1965年
李光耀のシンガポールがマレーシアから独立
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1965年
インドネシアでクーデター未遂事件(9月30日事件)、スカルノ大統領が失脚しスハルトが政権奪取
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1965年
日本初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始、虫プロの版権部門を独立させ「虫プロ商事」設立、手塚治虫がニューヨーク世界博覧会でウォルト・ディズニーと初対面
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1965年
日本・ビルマ(ミャンマー)国交回復(賠償金1224億円)
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1965年
日韓国交回復(無償供与1080億円・借款720億円・民間借款1080億円超)
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1965年
電気冷蔵庫の世帯普及率が50%突破
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1966年
『ウルトラマン』のテレビ放送開始
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1966年
日産自動車が経営難のプリンス自動車工業を吸収合併
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1967年
公害問題が深刻化し四大公害訴訟はじまる(水俣病・第二水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病)
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1967年
欧州共同体(EC)発足
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1967年
公害対策基本法施行
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1967年
東南アジア諸国連合(ASEAN)発足
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1968年
全共闘運動が全国の大学に広がる
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1968年
少年誌『週刊少年ジャンプ』・青年誌『ビッグコミック』『プレイコミック』創刊
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1968年
インテル設立
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1968年
日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる
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1969年
井植歳男死去
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1969年
『週刊少年チャンピオン』創刊
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1969年
テレビアニメ『サザエさん』(長谷川町子原作)放送開始
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1969年
ウォルマート設立
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1969年
佐藤栄作首相とニクソン米大統領が沖縄返還を基本合意、核兵器持込み容認と日本の繊維輸出自主規制を密約
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1969年
御手洗毅のキヤノンが独占企業ゼロックスの特許を使わない複写機を開発しシェア急伸
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1969年
冷戦のデタント時代(~1979)
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1970年
日本万国博覧会が大阪で開催され万博史上最高6422万人の入場者数を記録
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1970年
岡田卓也の岡田屋がフタギ・オカダヤチェーン・カワムラ・ジャスコを吸収合併し「ジャスコ株式会社」設立(→イオン)、三重県四日市から大阪市福島区へ本社移転
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1970年
佐藤栄作内閣が日米新安保条約・地位協定の継続を選択
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1970年
電気洗濯機の世帯普及率が90%突破
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1970年
対日貿易を中心にアメリカの貿易赤字が拡大
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1970年
産業別労働人口:第一次産業19.3%・第二次34.0%・第三次46.6%
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1971年
『仮面ライダー』(石ノ森章太郎原作)のテレビ放送開始
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1971年
環境庁発足
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1971年
ニクソン米大統領が訪中宣言(ニクソン・ショック)、繊維問題の報復で日本は蚊帳の外
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1971年
ニクソン米大統領がドル兌換停止宣言(ニクソン・ショック)、ブレトン・ウッズ体制(金本位制に基づく対ドル固定相場制)が崩壊し急激な円高が日本の輸出産業を直撃
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1971年
安藤百福の日清食品が「カップヌードル」を発売しカップ麺ブームが始まる
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1971年
アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)
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1971年
ドル切下げにより1ドル360円から308円となる
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1971年
電気冷蔵庫の世帯普及率が90%突破
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1972年
札幌冬季オリンピック
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1972年
連合赤軍あさま山荘事件
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1972年
ニクソン訪中、繊維問題の報復で米国務省は「尖閣問題」の日本支持を修正
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1972年
沖縄返還
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1972年
富士通で稲葉清右衛門が計算制御部を分社化して「富士通ファナック」を設立し専務取締役就任(ファナック創業)
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1972年
田中角栄が「日本列島改造論」発表
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1972年
第一次田中角栄内閣(自民党・土建業・自主路線)発足
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1972年
「日本列島改造論」の田中角栄政権で高速道路・地方鉄道の建設ラッシュが始まる
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1972年
中内功のダイエーが三越を抜き小売業売上高日本一を達成
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1972年
田中角栄首相が訪中し日中国交正常化(台湾が日本に国交断絶を通告し台湾断交)、ニクソン・キッシンジャー米政権は激怒
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1972年
カラーテレビの世帯普及率が50%突破
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1973年
『仁義なき戦い』(深作欣二監督)上映
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1973年
日本を含む各国が変動相場制へ移行し円急騰
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1973年
鈴木修常務の鈴木自動車工業(スズキ)が軽自動車販売で日本一となる(~2006)
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1973年
藤子不二雄原作『ドラえもん』のテレビアニメ放送開始
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1973年
永守重信が京都市で日本電産を創業し精密小型モーター製造開始
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1973年
第四次中東戦争、エジプト・シリア軍の先制攻撃にイスラエル軍が大苦戦
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1973年
第一次オイルショック(狂乱物価と省エネブーム)で高度経済成長が終焉、田中角栄内閣の「日本列島改造」は挫折し福田赳夫の総需要抑制策へ転換
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1973年
巨人が9年連続でセリーグと日本シリーズを制覇(V9)、王貞治は打率355(生涯最高)・本塁打51・打点114で悲願の三冠王となりシーズンMVP獲得
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1973年
手塚治虫の虫プロ商事・虫プロダクション倒産、人気低迷のうえ多額の保証債務を抱えるが『週刊少年チャンピオン』連載の『ブラック・ジャック』・『週刊少年マガジン』連載の『三つ目がとおる』で復活
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1973年
カラーテレビの世帯普及率が白黒テレビを突破
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1974年
田中角栄首相が東南アジア歴訪し「資源外交」を展開、米CIAは反日暴動扇動で妨害
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1974年
孫正義が久留米大学附設高校を中退し渡米、高校卒業検定試験合格でサンフランシスコセラモンテ高校を3週間で退学しホーリー・ネームズ・カレッジへ進学
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1974年
鈴木敏文のヨークセブン(イトーヨーカ堂の子会社)が東京豊洲にセブン-イレブン1号店開業
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1974年
鄧小平が訪米し新日本製鐵等からの技術導入を号令
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1974年
滝崎武光が尼崎市にリード電機設立(キーエンス創業)
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1974年
立花隆が『文藝春秋』で「田中角栄研究 その人脈と金脈」を発表、アメリカと従米派による田中角栄下しが始まる
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1974年
テレビアニメシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』(松本零士原作)放送開始
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1974年
巨人の連続日本一がV9で終わり長嶋茂雄が現役引退し川上哲治の後任監督に就任~生涯成績は打率305(首位打者6回)・本塁打444(本塁打王2回)・打点1522(打点王5回)・シーズンMVP5回、王貞治は三冠王とシーズンMVPを2年連続獲得
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1974年
フォード米大統領が現職として初めて訪日し田中角栄首相と会談
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1974年
三木武夫内閣(自民党・従米路線)発足
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1974年
電源三法成立で原発建設への交付金制度確立
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1975年
サイゴン陥落により共産軍勝利でベトナム戦争終結
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1975年
中内功のダイエーが「ダイエーローソン株式会社」でCVSに参入し豊中市にローソン1号店開業
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1975年
ビル・ゲイツがマイクロソフト創業
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1975年
広島カープがセリーグ初優勝(長嶋茂雄監督の巨人は最下位)
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1975年
第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加
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1975年
カラーテレビの世帯普及率が90%突破
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1975年
戦後2度目の国債発行、赤字国債発行が恒常化(~1989)
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1976年
スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータ設立
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1976年
『ブロックくずし』のヒットでゲーム機普及が加速
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1976年
田中角栄前首相がロッキード事件で逮捕される
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1976年
毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結
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1976年
福田赳夫内閣(自民党・財務官僚・自主路線)発足
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1977年
カーター米大統領が在韓地上軍の削減を発表し米国の「アジア離れ」が始まる
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1977年
福田赳夫首相がASEANを歴訪し「福田ドクトリン」「全方位平和外交」声明
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1977年
孫正義がホーリー・ネームズ・カレッジからカリフォルニア大学バークレー校経済学部3年生に編入
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1977年
第10期3中全会で鄧小平が復活し中共中央の実権を掌握
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1977年
「ビデオ戦争」で日本ビクター・松下電器産業(VHS方式)がソニー(ベータ方式)に勝利
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1977年
日本人の平均寿命が男女共に世界一となる
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1978年
孫正義が日本へ一時帰国し手製の自動翻訳機をシャープに販売、同じバークレー校に学ぶ大野優美と結婚
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1978年
タイトーが『スペースインベーダー』(インベーダーゲーム)を発売し大ブームとなる
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1978年
日中平和友好条約締結
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1978年
鄧小平が日中平和友好条約批准で訪日し昭和天皇と会談し新日鉄・トヨタ・松下電器等を視察
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1978年
第11期3中全会で鄧小平指導部が文革否定・改革開放路線決定
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1978年
「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」運用開始
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1978年
第一次大平正芳内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
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1978年
乗用車の世帯普及率が50%突破
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1979年
鄧小平が訪米し米中国交樹立、「米中対ソ」の対立構図が鮮明となる
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1979年
孫正義が米国で「Unison World」を設立し日本の中古インベーダーゲーム機を輸入販売
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1979年
ホメイニーのイスラム勢力が米英の傀儡パーレビ王朝を滅ぼし(イラン革命)第二次オイルショック発生
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1979年
テレビアニメ『機動戦士ガンダム』放送開始
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1979年
『Japan as Number One: Lessons for America』(ジャパン・アズ・ナンバーワン)刊行
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1979年
大平正芳首相が訪米し福田赳夫前首相の「全方位外交」を引込め「日米同盟」を強調
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1979年
松下幸之助が私財70億円を投じ財団法人松下政経塾設立
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1979年
井深大のソニーがウォークマン(WALKMAN)を発売し世界中で革命的大ヒット
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1979年
アフガニスタン紛争で米ソ衝突(~1989)、デタントが終焉し冷戦が激化
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1979年
電電公社が世界で初めて車載電話の実用化に成功
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1980年
山内溥の任天堂が携帯ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」を発売し大ヒット
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1980年
岡田卓也のジャスコ(現イオン)がコンビニ「ミニストップ」を設立し横浜市大倉山に1号店開業
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1980年
鈴木善幸内閣(自民党・漁協職員・自主路線)発足
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1980年
イラン・イラク戦争勃発(アメリカによるイラン叩き)(~1988)
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1980年
孫正義がカリフォルニア大学バークレー校を卒業し日本へ帰国
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1980年
巨人の王貞治が現役引退し助監督就任~生涯成績は打率301(首位打者5回)・本塁打868(本塁打王15回)・打点2170(打点王13回)・三冠王2回・シーズンMVP9回、3年連続V逸で長嶋茂雄から藤田元司へ監督交代
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1980年
日本の自動車生産が1千万台を突破し米国を抜いて世界一
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1980年
産業別労働人口:第一次産業10.9%・第二次33.6%・第三次55.4%
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1981年
ロナルド・レーガン(共和党)が米大統領就任(~1989)~軍核戦争と富裕層減税で「双子の赤字」膨張、日本経済的視政策への転換
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1981年
日本が対米乗用車輸出の自主規制開始(年間168万台からスタート)
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1981年
第11期6中全会で華国鋒が失脚し鄧小平が胡耀邦・趙紫陽を従え支配体制確立
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1981年
孫正義が福岡市に「ユニソン・ワールド」・東京に「日本ソフトバンク」設立(ソフトバンク創業)、家業のパチンコ店の全国展開を断念するが翌年ハドソンと契約しPCソフト卸売市場を独占、「Oh! PC」「Oh! MZ」でPC関連書籍出版に進出
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1982年
東北新幹線・上越新幹線開業
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1982年
第一次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足
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1983年
中曽根康弘首相が韓国の全斗煥大統領を訪問、アメリカの対韓経済援助40億ドルの肩代わり献金を決定
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1983年
中曽根康弘首相が訪米し「不沈空母」発言が物議を醸すが訂正せず
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1983年
東京ディズニーランド開園
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1983年
世論調査で「レジャー・余暇生活」が「今後の生活の力点」でトップとなる
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1983年
山内溥の任天堂が「ファミリーコンピュータ」を発売し家庭用ゲーム機産業の嚆矢となる
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1983年
AT&T創業
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1983年
鈴木修の鈴木自動車工業(スズキ)がインド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ社」で小型車生産開始、インド市場でシェア5割へ躍進
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1983年
孫正義が慢性肝炎療養のため会長へ退き日本ソフトバンクで社長に日本警備保障(現セコム)副社長の大森康彦を招聘
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1984年
グリコ・森永事件
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1984年
宮崎駿監督の劇場アニメ映画『風の谷のナウシカ』上映、宮崎駿の個人事務所「二馬力」設立
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1984年
御手洗毅死去
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1984年
稲盛和夫の京セラが中心となり第二電電(DDI→KDDI)創業
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1984年
柳井正が伯父柳井政雄・父柳井等から小郡商事(山口県宇部市)を承継し社長就任、広島市袋町に「ユニクロ」1号店を開業し中国地方へ多店舗展開(ファーストリテイリング創業)
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1985年
ソ連でゴルバチョフが政権を掌握しペレストロイカ(再建)・グラスノスチ(情報公開)を断行
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1985年
中曽根康弘政権下で日本電信電話公社が民営化されNTTグループ発足
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1985年
中曽根康弘政権下で日本専売公社が民営化され日本たばこ産業株式会社 (JT) 発足
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1985年
アメリカが通商法301条に基づき100%関税など日本製品への制裁を開始
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1985年
女子差別撤廃条約批准のため男女雇用機会均等法成立
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1985年
山内溥の任天堂がゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』発売(2015年現在も任天堂の代表キャラに君臨)
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1985年
プラザ合意(中曽根康弘内閣による円高容認)、1ドル240円から一気に円高が加速し日本経済の長期低迷と製造業の空洞化が始まる
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1985年
エアコンの世帯普及率が50%突破
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1986年
孫正義がステロイド離脱療法で慢性肝炎から蘇生し日本ソフトバンク社長に復帰(社長解任の大森康彦は会長職と高給をあてがわれ、退職時に数億円をせしめるが事業失敗で散財)
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1986年
鳥山明原作『ドラゴンボール』のテレビアニメ放送開始
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1986年
ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故
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1986年
エニックスがゲームソフト『ドラゴンクエスト』発売・『ドラゴンボール』の鳥山明がキャラクターデザインを担当
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1986年
日米半導体協定で中曽根康弘首相が日本市場の20%分の米国製半導体輸入を容認
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1986年
「円高不況」打開のため積極的な金融・財政政策が採られ「バブル景気」が始まる
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1986年
ODAが50億ドル突破・アジア向けが急増
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1987年
中国で保守派が巻返し革新派の胡耀邦総書記(鄧小平の腹心)が失脚
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1987年
中曽根康弘政権下で国鉄が分割民営化されJR各社発足
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1987年
竹下登・金丸信が小沢一郎・小渕恵三・橋本龍太郎ら「竹下派七奉行」を従え田中角栄の派閥を乗取り「経世会」発足
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1987年
ニューヨーク株式市場大暴落(ブラックマンデー)
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1987年
竹下登内閣(自由民主党・自主路線)発足
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1987年
スクウェアがゲームソフト『ファイナルファンタジー』発売
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1987年
孫正義の日本ソフトバンクが大久保秀夫のフォーバルと日本初のLCR「NCC-BOX」を共同開発、新電電からのロイヤリティで巨利を得る
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1988年
アメリカがスーパー301条により対日制裁を強化
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1988年
青函トンネル開業
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1988年
瀬戸大橋開通
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1988年
朝日新聞報道によりリクルート事件発生
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1988年
FRBが日本叩きのBIS規制を導入し(自己資本比率8%)邦銀が消極姿勢に転換
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1988年
イラン・イラク戦争終結
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1988年
ソニーがベータ方式から撤退し日本ビクター・松下電器産業のVHS方式の勝利で「ビデオ戦争」完結
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1989年
昭和天皇が崩御し平成に改元
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1989年
ジョージ・H・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~1993)~冷戦に代わる中東戦争演出と「バードンシェアリング(防衛責任の増強)」強要
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1989年
「マンガの神様」手塚治虫死去
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1989年
竹下登政権が初の消費税導入(3%)
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1989年
山内溥の任天堂が携帯ゲーム機「ゲームボーイ」発売
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1989年
高度経済成長を象徴する松下幸之助が死去(享年94)
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1989年
日米構造協議(アメリカによる内政干渉)開始
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1989年
第一次海部俊樹内閣(自民党三木三木武夫系・従米路線)発足
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1989年
最大派閥経世会の小沢一郎が自民党幹事長就任(~1891)
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1989年
三菱地所のロックフェラーセンター買収・ソニーのコロンビア映画買収でジャパンバッシングに拍車
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1989年
アジア太平洋経済協力(APEC)発足
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1989年
「ベルリンの壁」崩壊
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1989年
H・W・ブッシュ米大統領とゴルバチョフソソ連書記長がマルタ会談で冷戦終結を宣言
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1989年
バブル潰しの土地基本法成立
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1989年
日経平均株価の終値最高値更新(38915.87円)
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1990年
「土地関連融資抑制に関する行政指導(総量規制)」を機に一気に信用収縮へ向かう
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1990年
ゴルバチョフのライバル・エリツィンがロシアの実権掌握
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1990年
ドイツ再統一
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1990年
山内溥の任天堂が「スーパーファミコン」を発売し世界的ゲーム産業を創出
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1990年
日本ソフトバンクがソフトバンクへ社名変更し孫正義は韓国籍から日本に帰化
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1990年
世界の金融機関総資産ランキングで邦銀7行がベスト10入り
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1990年
産業別労働人口:第一次産業7.1%・第二次33.3%・第三次59.0%
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1990年
15年ぶりに赤字国債発行停止
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1991年
「米国の死活的脅威」を問う世論調査で「日本の経済力」が断トツ1位に
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1991年
湾岸戦争勃発(ソ連に代わる新しい敵・増長したフセインの粛清)、日本は130億ドルの資金協力、米ドル乱発による超円高時代はじまる
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1991年
バブル崩壊(「失われた10年」)
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1991年
バブル潰しの金融証券不祥事摘発はじまる
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1991年
ティム・バーナーズ=リーがWorldWideWebを公開
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1991年
本田宗一郎死去
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1991年
宮澤喜一内閣(自民党・財務官僚)発足(経世会の小沢一郎が総裁選出馬を見送るが「面接」で宮澤総理を選択)
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1991年
エリツィン・ロシアの脱退でソ連が崩壊し米ソ冷戦が完全終結
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1991年
米国覇権主義「グローバリズム」「新自由主義」が台頭
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1991年
ODAが100億ドル突破・以後高止まり
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1992年
孫正義のソフトバンクが子会社「ソフトベンチャーキャピタル」設立(→SBIホールディングス)
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1992年
鄧小平が「南巡講話」で保守派を抑え改革開放路線を決定付ける
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1992年
アメリカの「エコニミック・アニマル」批判を受け完全週休二日制が普及
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1992年
アマコスト駐日大使の工作によりPKO協力法成立、自衛隊がカンボジアへ出動
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1992年
国連地球サミットが「持続可能な開発」を提唱
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1992年
CIAの役割が経済諜報へシフトし日本が主標的となる
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1992年
中内功のダイエーが経営破綻したリクルートを買収(創業者の江副浩正らから持分を買取り)
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1993年
ビル・クリントン(民主党)が米大統領就任(~2001)~日本から中国への重点シフト・円高政策と「年次要望改革書」による対日経済攻勢
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1993年
小沢一郎の造反で細川護熙内閣(非自民連立・公家・自主路線)が発足し「55年体制」終焉
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1993年
欧州連合(EU)発足
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1993年
APECシアトル会議でクリントン米大統領が貿易・投資の自由化促進を提唱
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1994年
ソニー・コンピュータエンタテインメントが「PlayStation」発売
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1994年
Amazon.com設立
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1994年
孫正義のソフトバンクが店頭市場に株式上場、米国にSoftBank Holdings Inc.を設立しM&AやIT関連企業への投資を本格化
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1994年
ダイキン工業で17年ぶりの赤字転落に伴い山田稔(創業者山田晁の長男)が会長に退き井上礼之が社長就任、不採算部門を閉鎖しエアコン事業と海外展開に集中
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1994年
アメリカによる対日内政干渉「年次改革要望書」の運用開始
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1994年
赤字国債発行が再開され以後国債発行残高が急増
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1995年
GATTが発展解消し世界貿易機関(WTO)発足
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1995年
阪神・淡路大震災
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1995年
ジェリー・ヤンとデビッド・ファイロがYahoo!設立、孫正義のソフトバンクが出資し一時筆頭株主となる
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1995年
地下鉄サリン事件
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1995年
円高が急進しドル円が80円割れ
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1995年
孫正義のソフトバンクがPC見本市「コムデックス」の主催権を買収
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1995年
野茂英雄が鈴木啓示監督と衝突し近鉄退団、「任意引退」で日本球界を追われマイナー契約でLAドジャースに入団すると開幕直後にMLBデビューし13勝・防御率2.54で最多奪三振・新人王獲得
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1995年
オウム真理教の麻原彰晃らを逮捕
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1995年
村山富市首相が大東亜戦争を日本の侵略と認めアジア諸国に公式謝罪(村山談話)
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1995年
Microsoftが「Windows 95」発売、日本市場開拓のため孫正義のソフトバンクと合弁で「ゲームバンク」設立(1998年業績不振で撤退)
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1995年
テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始
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1996年
孫正義のソフトバンクが米国Yahoo!と合弁で「Yahoo! JAPAN(ヤフー株式会社)」設立、間もなくYahoo!が設立1年でMASDAQ上場を果しITバブルを牽引
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1996年
ゲームフリークがゲームソフト『ポケットモンスター』を発売し記録的大ヒット
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1996年
台湾海峡ミサイル危機、中国の恫喝は奏功せず李登輝が台湾総統就任
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1996年
孫正義のソフトバンクが豪News Corp.とJスカイB(スカパー!)で事業提携
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1996年
住専処理法成立
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1996年
孫正義のソフトバンクが豪News Corp.と合弁会社を設立しテレビ朝日(旺文社メディア)買収に挑むが断念
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1996年
「金融ビッグバン」で外資の日本侵出が加速、宮内義彦が政府規制改革審議会の議長に就任し(2006年小泉純一郎内閣退陣まで在任)適債基準撤廃など大蔵規制緩和を引出したオリックスは直接金融で資金力を高めM&Aで躍進
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1997年
三木谷浩史が楽天創業
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1997年
鄧小平が死去し江沢民らの集団指導体制が発足、格差社会・資本主義国化が加速
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1997年
消費増税(5%)
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1997年
アメリカの圧力により独占禁止法改定・持株会社解禁
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1997年
鄧小平の「一国二制度論」に基づき香港返還
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1997年
ヘッジファンドの売り仕掛けでアジア通貨危機が発生し経済破綻したタイ・インドネシア・韓国がIMF管理下に入る
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1997年
ソフトバンク傘下のヤフー(Yahoo! JAPAN)が店頭市場に株式上場、資本力を高めた孫正義はM&Aを加速
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1997年
政府の「護送船団方式」放棄により拓銀・長銀・日債銀・山一證券・三洋証券など大手金融機関の破綻が相次ぐ
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1997年
京都議定書成立(温室効果ガスの削減目標設定)、二大排出国の米中は参加せず
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1997年
井深大死去
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1997年
携帯電話普及率が50%突破
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1997年
乗用車の世帯普及率が80%突破
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1998年
孫正義のソフトバンクが東京証券取引所1部昇格を機に純粋持株会社移行を決定しグループ再編に着手
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1998年
長野冬季オリンピック
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1998年
アメリカの圧力により大規模小売店舗法廃止(大店立地法に移行後2000年完全廃止)
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1998年
孫正義がソフトバンクの出資でネットオークション運営会社「オンセール」を設立し弟の孫泰蔵に経営を任せる
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1998年
小渕恵三内閣(自自公連立)発足
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1998年
ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがGoogle設立
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1998年
長銀経営破綻、リップルウッドが僅か10億円で買収に成功
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1998年
金融再生関連法が相次いで成立
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1998年
柳井正のファーストリテイリングが「ユニクロ」で「フリース」発売、3年間で2600万枚の驚異的セールスを樹立しアパレル業界に価格破壊旋風を起す
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1998年
エアコンの世帯普及率が80%突破
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1998年
「新自由主義」「市場原理主義」が世界を席巻
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1999年
日銀のゼロ金利政策はじまる
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1999年
新日米防衛協力指針(新ガイドライン)関連法成立
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1999年
「ソフトバンク・テクノロジー」が店頭市場に株式上場、孫正義はソフトバンクの純粋持株会社化を完了
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1999年
東海村JCO臨界事故
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1999年
アメリカの圧力で労働者派遣法が改定され人材派遣原則自由化
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1999年
ソ連大統領のエリツィンが失脚しKGB出身のプーチンが最高指導者を承継
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1999年
ODA154億ドル・最高額更新
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2000年
第一次森喜朗内閣(自公連立)発足
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2000年
孫正義のソフトバンクと米国NASDAQの合弁会社が大証に新興企業向け証券市場「ナスダック・ジャパン」開設(2002年業績不振で撤退し大証ヘラクレスへ改組)
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2000年
ベライゾン・コミュニケーションズ設立
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2000年
孫正義のソフトバンク傘下の「ベクター」「ソフトバンク・インベストメント(→SBI)」がナスダック・ジャパンに株式上場
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2000年
ソフトバンク・オリックス・東京海上が連合し経営破綻した日本債券信用銀行を安値で買収(→あおぞら銀行)、孫正義のソフトバンクは株価急騰で株式時価総額が国内2位となり2003年持分転売で巨利を獲得
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2000年
中国移動通信(チャイナモバイル)設立
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2000年
産業別労働人口:第一次産業5.0%・第二次29.5%・第三次64.3%
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2000年
国債発行額が200兆円突破
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2001年
ITバブル崩壊
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2001年
ジョージ・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~2009)~「予防戦争」論に基づく米軍大暴走で「テロ時代」幕開け
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2001年
イチローが任天堂・山内溥オーナーのシアトル・マリナーズでMLBデビュー、最多得票でオールスターゲームに選出され242安打・打率350・盗塁56で首位打者・盗塁王・新人王・シリーズMVP・ゴールドグラブ賞を獲得
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2001年
第一次小泉純一郎内閣(自公連立・従米路線)発足
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2001年
ユニ・チャームで高原慶一朗が会長に退き長男の高原豪久が社長就任、バブルの塔「ゴールドタワー」を閉鎖し(味匠に貸与後2007年売却)リストラと海外展開を推進
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2001年
孫正義のソフトバンクがファーストリテイリングの柳井正を社外取締役に招聘(2015年末現任)
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2001年
宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が興行収入304億円で『もののけ姫』の記録更新、ベルリン国際映画祭金熊賞・アカデミー賞長編アニメ賞を受賞
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2001年
9.11同時多発テロ、小泉純一郎内閣が対テロ戦争参加を表明
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2001年
アフガニスタン戦争、タリバン政権崩壊後も泥沼の内戦が続く
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2001年
岡田卓也のイオンが経営破綻した更正会社マイカルを買収し業容急拡大(2011年吸収合併)
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2001年
ゴールドマン・サックスが「BRICs」の潜在能力を示唆
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2001年
パソコンの世帯普及率が50%突破
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2001年
国債発行額が300兆円突破
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2001年
完全失業率が初めて5%突破
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2002年
EU統一通貨ユーロ流通開始
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2002年
ブッシュ大統領が一般教書演説でイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と断罪
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2002年
孫正義のソフトバンク傘下の「クラビット(→ブロードメディア)」がナスダック・ジャパンに株式上場
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2002年
鈴木修のスズキがインド政府より「マルチ・ウドヨグ社」株式を買取り過半数を得て子会社化
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2002年
FIFAワールドカップ日韓大会
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2002年
ソフトバンク子会社で孫泰蔵(孫正義の弟)社長の「オンセール」が「ガンホー・オンライン・エンターテイメント」へ社名変更し『ラグナロク』でオンラインゲームへ事業転換
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2002年
小泉純一郎首相が北朝鮮と初の首脳会談を行い日朝平壌宣言を行うがブッシュ米政権に叱られ従米転向
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2002年
孫正義のソフトバンクと米国NASDAQが業績不振の合弁会社「ナスダック・ジャパン」を閉鎖、大坂証券取引所が継承し大証ヘラクレスへ改称
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2002年
フリーターが200万人突破
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2002年
携帯電話普及率が90%突破
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2003年
孫正義がブロードバンド事業4子会社を統合し「ソフトバンクBB」設立
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2003年
イラク戦争(~2011)、フセイン政権崩壊後も泥沼の内戦が続く
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2003年
小泉純一郎政権が郵政事業庁を廃止し日本郵政公社発足
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2003年
個人情報保護法成立
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2003年
あおぞら銀行で筆頭株主のソフトバンクが米国サーベラスへ持分売却(オリックスの宮内佳彦が金融庁・三井住友銀行の介入を阻止し主導権掌握)、孫正義は膨大な売却益を「ソフトバンクBB」へ再投資
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2003年
小泉純一郎内閣がイラク戦争に自衛隊を派遣(~2009)
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2003年
国債発行額が400兆円突破
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2004年
マーク・ザッカーバーグがFacebook設立
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2004年
孫正義の「ソフトバンクBB」でYahoo! BBの顧客情報漏洩が発生
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2004年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ労働者派遣法改定で製造業派遣解禁
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2004年
孫正義のソフトバンクが日本テレコムを買収し完全子会社化(→ソフトバンクテレコム)
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2004年
江沢民から胡錦濤指導部へ政権交代
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2004年
中内功追放も遅きに失しダイエーの自力再建案を銀行団が拒否、小泉純一郎首相の裁定で金融庁が経産省を抑え産業再生機構送り決定
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2004年
デジカメの世帯普及率が50%突破
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2005年
ソフトバンク子会社で孫泰蔵(孫正義の弟)社長の「ガンホー・オンライン・エンターテイメント」が大証ヘラクレスに株式上場し株式時価総額は一時1兆円を突破
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2005年
孫正義のソフトバンクが東新橋へ本社を移しボーダフォン買収で携帯電話事業に参入(→ソフトバンクモバイル)、ダイエー球団を買収し「福岡ソフトバンクホークス」へ改称
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2005年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ日本道路公団を解散し分割民営化
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2005年
小泉純一郎政権がアメリカの要求に応じ商法改定で米国流会社法へ改編
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2005年
孫正義のソフトバンクが中国アリババ・グループ及び米国Yahoo!と中国における戦略的パートナーシップを基本合意
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2005年
鈴木敏文が持株会社「セブン&アイ・ホールディングス」を設立し株式上場(セブン-イレブン・ジャパン、イトーヨーカ堂、デニーズジャパンは上場廃止)
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2005年
バブル崩壊の象徴となったダイエー創業者の中内功が死去(享年83)
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2005年
人口減少社会突入・65歳以上人口が20%突破(総人口1億2777万人)
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2005年
合計特殊出生率1.26、2006年から微増傾向に転じる
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2005年
小泉純一郎政権が「日米同盟 未来のための変革と再編」で日米同盟の範囲を全世界の「予防戦争」へ拡大
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2005年
小泉純一郎政権が郵政民営化関連法を成立させ大蔵省は悲願達成
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2005年
鈴木敏文のセブン&アイ・ホールディングスがミレニアムリテイリング(そごう・西武)を電撃買収
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2006年
ニッポン放送株式買占めに絡むライブドア事件発生、永田寿康議員の「堀江メール問題」で民主党執行部が総退陣し小沢一郎が代表就任(~2009)
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2006年
村田昭死去
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2006年
公共サービス改革法(市場化テスト法)成立で「小泉構造改革」総仕上げ、宮内義彦議長の総合規制改革会議が法定の議事録を残していない不祥事が発覚
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2006年
オリックスのM&A実働部隊「村上ファンド」の村上世彰がインサイダー容疑で逮捕(2011年執行猶予付き有罪判決が確定)、小泉純一郎首相の任命責任に係る福井俊彦日銀総裁と宮内義彦は運良く検察の追及を免れる
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2006年
孫正義のソフトバンクが子会社「SBIホールディングス」の全持分を売却
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2006年
第一次安倍晋三内閣(自公連立)発足
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2006年
あおぞら銀行(旧日債銀)が東京証券取引所1部に再上場、宮内義彦のオリックスはサーベラス・東京海上火災と共に暴利を貪る
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2006年
ソフトバンクの証券コードが卸売業から情報・通信業へ変更され孫正義は「ソフトバンクテレコム・ボーダフォン」(旧日本テレコム)を「ソフトバンクモバイル」へ社名変更
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2007年
サブプライム危機で米住宅バブルが崩壊し超円高時代へ突入
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2007年
アップルが「iPhone」発売
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2007年
岡田卓也のイオンがダイエーを買収(持分法適用会社から2013年完全子会社化)、売上高5兆円に到達するがダイエー再建に苦戦し成長鈍化
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2007年
アメリカの圧力により日本版三角合併解禁(外資によるM&A促進策)
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2007年
孫正義のソフトバンク傘下の「アイティメディア」「カービュー」が東証マザーズに株式上場
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2007年
参議院選挙、小沢一郎の民主党が過半数議席を獲得し「ねじれ国会」始まる
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2007年
福田康夫内閣(自公連立)発足
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2008年
孫正義のソフトバンクが中国アリババ・グループに出資し合弁会社化、中国「人人」に資本参加
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2008年
ソフトバンク・ホークスがパリーグ最下位に転落し王貞治は監督を秋山幸二へ譲り球団会長就任
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2008年
第34回主要国首脳会議(洞爺湖サミット)、ブッシュ米大統領の自衛隊輸送機アフガニスタン派遣要請を福田康夫首相が拒否
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2008年
ブッシュ政権からの米金融機関救済要請を福田康夫首相が拒否
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2008年
リーマン・ショックが世界的金融危機に拡大し日経平均株価は7000円割れ
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2008年
麻生太郎内閣(自公連立)発足
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2009年
バラク・オバマ(民主党)が米大統領就任
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2009年
鳩山邦夫総務相が「かんぽの宿」70施設のオリックス不動産への不正入札疑惑(2400億円→109億円)を暴露し西川善文日本郵政社長が契約撤回
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2009年
大学進学率が50%突破
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2009年
総選挙、民主党が憲政史上最高の議席占有率64.2%を獲得
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2009年
鳩山由紀夫内閣(民主党・小沢一郎幹事長)発足
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2009年
鳩山由紀夫政権がアメリカの対日内政干渉「年次改革要望書」を廃止
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2010年
日経新聞報道でゆうちょ銀行の米国債大量購入が発覚し小泉純一郎政権の郵政民営化の真意に疑問符
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2010年
菅直人内閣(民主党・小沢一郎幹事長)発足
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2010年
孫正義のソフトバンクが「ウィルコム」を完全子会社化、「福岡ソフトバンクホークス」がパ・リーグ優勝
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2010年
中国のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となり日本は42年ぶりに転落
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2011年
菅直人首相がアメリカによる「第三の開国」を受入れTPP推進を表明
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2011年
菅直人内閣が「年次改革要望書」に代わる内政干渉「日米経済調和対話」受入れ
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2011年
井上礼之のダイキン工業が米国キャリア社を抜きエアコン売上高世界一を達成
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2011年
東日本大震災および福島第一原子力発電所事故
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2011年
孫正義が東日本大震災へ義捐金100億円を拠出し今後の役員報酬の全額寄付を表明、「SBエナジー」を設立し反原発運動・自然再生エネルギー事業に参入
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2011年
野田佳彦内閣(民主党・小沢一郎幹事長)発足
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2011年
王貞治球団会長・秋山幸二監督のソフトバンク・ホークスがパリーグ制覇し日本シリーズで中日を破り8年ぶりの日本一達成、オフに杉内俊哉・和田毅・ホールトン・川崎宗則が離脱
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2011年
スティーブ・ジョブズ死去、友人の孫正義は「現代のダ・ヴィンチ」と哀悼の辞を贈る
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2011年
民主党政権の無策で超円高が進行しドル円が75円32銭の戦後最高値を更新
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2011年
米軍の完全撤収によりオバマ米大統領がイラク戦争終結を宣言
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2012年
東京スカイツリーが開業
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2012年
石原慎太郎東京都知事の暴走で尖閣諸島問題が先鋭化し日本政府は已む無く国有化
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2012年
JALが公的資金注入で復活し再上場、稲盛和夫(JAL会長)の京セラのJAL株式購入が発覚しインサイダー疑惑浮上
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2012年
胡錦濤から習近平指導部へ政権交代、社会格差是正・汚職撲滅を標榜
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2012年
民主党政権初の総選挙、民主党は歴史的大敗を喫し(230→57)自民党が議席占有率61.2%で大逆転
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2012年
第二次安倍晋三内閣(自公連立)発足
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2012年
スマートフォン普及率が50%突破
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2013年
アベノミクスへの期待と異次元金融緩和で株高・円安への是正が進展
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2013年
孫正義のソフトバンクが分散型電源による電力供給会社「Bloom Energy Japan」設立
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2013年
孫正義のソフトバンクが米国3位のスプリント・ネクステルを買収し世界3位の携帯キャリアへ躍進、「イー・アクセス」を連結子会社化(→ワイモバイル)
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2013年
総選挙、自民党完勝で「ねじれ国会」解消
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2013年
65歳以上人口が25%突破(総人口1億2726万人)
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2013年
ファナックで稲葉善治社長が父の稲葉清右衛門を追放し重役陣を復職させる
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2013年
柳井正のファーストリテイリングが国内流通企業最大の株式時価総額4兆円に到達(2015年6兆円に迫る)
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2013年
尾田栄一郎作『ONE PIECE』の国内コミック累計発行部数が3億冊突破、世界累計では鳥山明作『ドラゴンボール』が3億5千万冊超で世界記録更新中
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2013年
山内溥死去
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2013年
孫正義のソフトバンクがトヨタ自動車に続き株式時価総額10兆円に到達
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2014年
ロシア・ウクライナ紛争
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2014年
消費増税(8%)
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2014年
『朝日新聞』が朝鮮人従軍慰安婦の虚偽報道を認め関連記事を撤回するが朴槿惠韓国政権は無視
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2014年
ソフトバンクの孫正義が日本電産の永守重信を社外取締役に招聘
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2014年
孫正義のソフトバンクが対話型パーソナルロボット「Pepper」を発表
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2014年
孫正義のソフトバンクが筆頭株主(出資比率36.7%)の中国アリババ・グループが二ユーヨーク証券取引所に株式上場し時価総額は25兆円に膨張
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2014年
王貞治球団会長のソフトバンク・ホークスがパリーグと日本シリーズを制覇するがオフに秋山幸二から工藤公康へ監督交代
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2015年
王貞治球団会長・工藤公康監督のソフトバンク・ホークスがパリーグと日本シリーズを連覇
孫正義の交遊録
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孫(安本)三憲
「九州のパチンコ王」と呼ばれた父
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李元照
金貸しの祖母
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孫泰蔵
弟・ガンホー・オンライン・エンターテイメント創業者
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大森康彦
病気療養中のソフトバンク社長
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北尾吉孝
ソフトバンクCFO→SBI社長
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宮内謙
古参幹部
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後藤芳光
古参幹部
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藤原和彦
古参幹部
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ロナルド・フィッシャー
古参幹部
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ジャック・マー
アリババ創業者・SB社外取締役
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井上雅博
ヤフージャパン初代社長
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宮坂学
ヤフージャパン2代目社長・SB社外取締役
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永守重信
兄事する日本電産創業者・社外取締役
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柳井正
親友のファーストリテイリング創業者・社外取締役
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ジェリー・ヤン
Yahoo!創業者
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ビッド・ファイロ
Yahoo!創業者
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佐々木正
シャープ幹部・創業の恩人
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大久保秀夫
フォーバル創業者
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浮川和宣
ジャストシステム創業者
-
浮川初子
ジャストシステム創業者
-
内田喜吉
ラオックス社長
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稲盛和夫
京セラ及び第二電電創業者・LCR争奪戦相手
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宮内佳彦
日債銀買収仲間・オリックスの改革利権王
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ビル・ゲイツ
マイクロソフト創業者
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スティーブ・ジョブズ
アップルコンピュータ創業者
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エリック・シュミット
グーグルCEO
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スコット・マクネリ
サン・マイクロシステム経営者
-
ルパート・マードック
オーストラリアのメディア王・テレビ朝日買収仲間
-
マーク・アンドリーセン
ネットスケープ創業者
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ラリー・エリソン
オラクル創業者
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西和彦
アスキー創業者
-
塚本慶一郎
インプレス創業者
-
田淵節也
野村證券のドン・大森人脈
-
飯田亮
セコム創業者・後援者
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川勝賢二
三和銀行頭取・大森人脈
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関本忠弘
NEC社長・大森人脈
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三澤千代治
ミサワホーム創業者・大森人脈
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伊藤雅俊
イトーヨーカ堂社長・大森人脈
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大川功
CSK創業者・大森人脈
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佐野眞一
『あんぽん』著者
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金大中
韓国大統領・IT化を提案
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李明博大
韓国大統領・IT化を提案
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本田宗一郎
尊敬するホンダ創業者
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石橋正二郎
近所の英雄・ブリジストン創業者
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藤田田
尊敬する日本マクドナルド創業者
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淨弘博光
上新電機2代目・最初の取引先
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本間忠世
自殺した日債銀社長
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丸山博
あおぞら銀行初代社長
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石原慎太郎
「三国人嫌い」の孫正義批判者
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中内功
ダイエー創業者・ホークス買収で一矢
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岡田卓也
イオン創業者
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鈴木敏文
セブン-イレブン創業者
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安藤百福
日清食品創業者
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山内溥
任天堂の実質創業者
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鈴木修
スズキのやり手
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村田昭
村田製作所創業者
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稲盛和夫
京セラ創業者
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稲葉清右衛門
ファナック創業者
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滝崎武光
キーエンス創業者
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井上礼之
ダイキン工業の凄腕
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出光佐三
出光興産創業者
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高原慶一朗
ユニ・チャーム創業者
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高原豪久
ユニ・チャーム2代目
孫正義と同じ時代の人物
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戦後
岸 信介
1896年 〜 1987年
100点※
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
戦後
重光 葵
1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
戦後
鈴木 一朗(イチロー)
1973年 〜 年
90点※
オリックスで7年連続首位打者に輝き米国MLBへ渡り10年連続200本安打とゴールドグラブ賞を達成、日米通算4千本安打を突破しMLB殿堂入りも確実視される日本スポーツ界の至宝
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照
年
基礎点 80点
孫正義は、佐賀県鳥栖市で密造酒・家内養豚を営む貧しい在日朝鮮人家庭に生れ過酷な幼少期を送ったが、父の安本(孫)三憲がサラ金とパチンコ経営で財を成し高等教育を施された。孫正義は名門久留米大附設高校へ進んだが在日差別に生存を脅かされ単身渡米、名門カリフォルニア大学バークレー校で猛勉強に励みつつ、自動翻訳機の製作や中古インベーダーゲーム機の輸入販売など起業活動に励んだ。卒業した孫正義は翌1981年東京に「日本ソフトバンク」を設立、パチンコ店の全国展開に挫折し重度の慢性肝炎で死線を彷徨ったが闘病3年で奇跡的に蘇生し、ハドソンとの契約やラオックスの売場確保でPCソフト市場を独占、「一太郎」の取扱いや自作のLCR「NCC-BOX」で業績を伸ばし、「ソフトバンク」への改称を機に日本に帰化した。1994年ソフトバンクの株式上場で資金力を得た孫正義は、神業的目利きと米国IT人脈を武器に、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」を始動した。1995年友人ジェリー・ヤンの「Yahoo!」起業に際し孫正義は社運を賭けて主要株主となり合弁で「Yahoo! JAPAN」(ヤフー株式会社)設立、両社とも僅か1年で株式上場を果し株価急騰で「ITバブル」の寵児となった。膨大な軍資金を掴んだ孫正義はソフトバンクを持株会社化し、小泉純一郎の米国化政策に乗りM&Aと子会社上場(北尾吉孝の「SBI」・弟孫泰蔵の「ガンホー」など)に邁進、テレビ朝日買収未遂で名を馳せ、自ら証券取引所「ナスダック・ジャパン」創設、日債銀買収で得た巨利を「ソフトバンクBB」に投じ、ダイエー球団を買収し「福岡ソフトバンクホークス」のオーナーとなった。規制緩和に乗じ「日本テレコム」「ボーダフォン」を買収した孫正義は情報通信を本業に定め「光の道」構想に邁進、2013年米国「スプリント」の買収で携帯キャリア世界3位へ躍進した。2014年中国「アリババ」の超大型上場で筆頭株主のソフトバンクはトヨタ自動車に次ぐ時価総額10億円を達成、日本一の大富豪となった孫正義は「メディア支配」を睨みつつ、東日本大震災を機に反原発・自然再生エネルギー事業の商機を窺う。
加点 20点
「Japan as Number One」と持て囃された日本式経営はバブル崩壊で失墜し、高度経済成長を象徴するソニーや松下電器産業も長引く円高不況で没落、「グローバリズム」「新自由主義」の美名のもと世界は米国覇権主義に染められた。政治経済の米国化と規制緩和の大波は日本にも押寄せ、小泉純一郎の従米政権のもと「改革利権」で肥大化した宮内義彦のオリックスや、堀江貴文のライブドアら怪しいベンチャー成金が台頭する事態となった。孫正義の「ソフトバンク」もM&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」で膨張し、規制緩和に乗じ巨大通信企業にのし上がったが、徒手空拳の創業から30余年でトヨタ自動車に次ぐ株式時価総額10兆円に到達した偉業は「日本史上最高の経営者」の名に値する。さらに孫正義は、米国企業家の模倣者でも単なる友人でもなく数少ないリーダーの一人であり、ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)、スティーブ・ジョブズ(アップル創業者)、ジェリー・ヤンおよびビッド・ファイロ(ヤフー創業者)、エリック・シュミット(グーグルCEO)、ルパート・マードック(豪メディア王)、マーク・アンドリーセン(ネットスケープ創業者)、ラリー・エリソン(オラクル創業者)、ジャック・マー(アリババ創業者)らと対等の交友関係を築いており、時価総額10兆円が安く思えるほどの人脈を誇る。松下幸之助や本田宗一郎など「ものづくり」で世界の賞賛を浴びた日本人経営者はいたが、「アメリカ人社会」やサービス分野では明らかに孫正義が先駆者であり現時点では日本人唯一の国際的企業家であろう。