島津久光・門閥とのパイプ役として大久保利通・西郷隆盛を後援し幕末薩摩藩の挙藩体制を支えた名宰相
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照維新
小松 帯刀
1835年 〜 1870年
80点※
家系・子孫
- 肝付氏は、大隅随一の有力豪族で、戦国時代の肝付兼続は島津忠将(貴久の弟)を討取るなど威を振ったが島津義久・義弘(貴久の子)に敗北、嫡流は島津氏の一家臣に没落したが、逸早く島津氏に仕えた庶流は薩摩喜入5500石の領主となり島津一族と縁戚を重ね幕末まで存続した。小松帯刀(清廉)は、喜入領主の肝付兼善の三男で生母は島津分家の出身、後嗣の絶えた小松清穆の娘千賀(近)に婿入りして家督を相続した。小松氏は、維盛流平氏を称する大隅禰寝氏の嫡流で、薩摩吉利2600石を所領した名門である。小松帯刀は、新婚旅行をするほど(日本初とも)千賀を愛したが子宝に恵まれず、千賀の甥を養嗣子に迎え小松清緝を名乗らせた。が、妾の琴(京都祇園の名妓とも)との間に小松清直が誕生、帯刀没後に清緝は清直へ家督を譲り、清直嫡子で祖父の名を継いだ小松帯刀が伯爵を受爵し貴族院議員に勅撰された。伯爵位を継いだ次男の小松重春は経國銀行頭取など経済界で活躍したが嗣子を生さず、西郷従道の七男を養嗣子に迎え小松従志を名乗らせた。なお、初代の小松帯刀は明治維新直後に鉄道敷設建白書を呈上したが、この縁で曾孫の小松重春が品川駅の駅弁店「常盤軒」を開業、小松家の手を離れたが現在も営業を続けている。
小松帯刀と同じ時代の人物
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維新
大久保 利通
1830年 〜 1878年
130点※
島津久光を篭絡して薩摩藩を動かし岩倉具視と結んで明治維新を達成、盟友の西郷隆盛も切捨てる非情さで内治優先・殖産興業・富国強兵の路線を敷き近代国家の礎を築いた日本史上最高の政治家
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維新
高杉 晋作
1839年 〜 1867年
110点※
吉田松陰の枠を超えた「防長割拠論」を実践し庶民軍の奇兵隊を創設して洋式軍備を拡充、功山寺挙兵で佐幕政権を覆し薩長同盟で背後を固め第二次長州征討の勝利で幕威を失墜させた長州維新の英雄
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維新
西郷 隆盛
1828年 〜 1877年
100点※
島津斉彬の懐刀として政治力・人脈を培い大人格者の威望をもって討幕を成遂げた薩摩藩の首魁、没落する薩摩士族に肩入れし盟友の大久保利通に西南戦争で討たれたが「大西郷」人気は今も健在
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