沿線住民の生活を丸抱えする私鉄経営モデルを創始した元祖「鉄道王」にして大衆消費社会のパイオニア、現在も同族経営で一家繁栄する阪急東宝グループの創業者
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照小林 一三
1873年 〜 1957年
90点※
小林一三の寸評
小林一三の史実
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1873年
甲斐韮崎の豪農小林甚八の嫡子に小林一三が出生
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1873年
地租改正法・地租改正条例布告
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1876年
国立銀行条例改正、国立銀行の隆盛が始まる
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1876年
三井銀行および三井物産設立
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1876年
安田善次郎が第三国立銀行を設立し「銀行王」への道を踏出す
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1877年
西南戦争、西郷隆盛が鹿児島城山にて自害(享年51)
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1878年
福地源一郎・渋沢栄一ら有力財界人の出願により東京株式取引所設立
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1882年
渋沢栄一主導で大阪紡績(現東洋紡)株式会社設立、紡績業の発展を牽引
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1885年
福澤諭吉が「脱亜論」を発表
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1885年
第一次伊藤博文内閣発足(太政官制の廃止と内閣制度の開始)
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1886年
岩崎弥之助が三菱社設立
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1886年
藤岡市助・大倉喜八郎らが東京電燈(現東京電力)設立、全国各地で電力普及が進む
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1886年
企業勃興~起業ブームが始まる
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1888年
小林一三が慶應義塾に入学し「童子寮」で寄宿舎生活
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1889年
大日本帝国憲法発布
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1892年
小林一三が慶應義塾卒業、新聞記者志望ながら三井銀行入社
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1889年
東海道本線が全通(新橋-神戸間)
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1890年
東京・横浜で電話サービス開始
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1894年
不平等条約改正(領事裁判権・片務的最恵国待遇の撤廃)
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1894年
日清戦争勃発
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1895年
下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立
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1895年
三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求
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1896年
豊田佐吉が動力織機「豊田式木鉄混製力織機」を発明し繊維業界を席巻(2年後特許取得)
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1887年
安田善次郎が安田家の資産管理会社「安田保善社」設立
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1897年
松方正義首相・岩崎弥之助日銀総裁が貨幣法を制定し金本位制移行を断行
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1897年
岩下清周が北浜銀行設立
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1898年
列強による清の植民地争奪競争が激化
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1901年
官営八幡製鉄所操業
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1901年
福澤諭吉死去
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1902年
第一次日英同盟協約締結
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1904年
日露戦争開戦
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1904年
井上馨の依頼を受け高橋是清が日露戦費調達のため渡欧米
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1905年
ポーツマス条約調印
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1905年
三井の越後屋が三越呉服店へ改称しデパートメントストア宣言
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1906年
井上勝・桂太郎ら長州閥主導で鉄道国有法が成立し幹線鉄道国有化
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1906年
南満州に関東都督府設置
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1906年
南満州鉄道会社(満鉄)設立・後藤新平が初代総裁就任、アメリカの干渉が始まる
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1907年
石橋正二郎が家業の仕立屋志まやを足袋製造専門業に転換
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1907年
岩下清周の勧誘で小林一三が三井銀行を退社するが株価暴落で証券会社設立計画が頓挫
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1907年
北浜銀行主導で箕面有馬電気軌道(阪急電鉄)設立、岩下清周は浪人の小林一三を実質上の経営者に招聘
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1909年
伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68)
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1909年
日本の製糸業輸出が世界一となる
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1910年
小林一三の箕面有馬電気軌道が宝塚本線・箕面線(梅田-宝塚間、石橋-箕面間)開業
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1910年
伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化
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1910年
小平浪平が久原房之助の出資を得て日立鉱山傘下に日立製作所創業
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1911年
不平等条約改正で完全平等達成(関税自主権の完全回復)
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1911年
出光佐三が北九州市に出光商会を設立し日本石油特約店として機械油小売業を開始(出光興産創業)
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1911年
小林一三の箕面有馬電気軌道が宝塚新温泉開業
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1912年
孫文ら辛亥革命が南京に中華民国を樹立し北洋軍閥・袁世凱の反旗で清朝滅亡
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1912年
明治天皇が崩御し大正天皇が即位
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1913年
小林一三の箕面有馬電気軌道(阪急)が宝塚新温泉内に「宝塚唱歌隊」結成(「宝塚歌劇団」へ改称)
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1914年
第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫
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1914年
北浜銀行が倒産し頭取の岩下清周が逮捕される
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1915年
大隈重信首相・加藤高明外相が袁世凱の中華民国に「対華21カ条要求」を宣告
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1915年
井上馨死去
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1915年
大戦景気により東京株式市場暴騰
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1915年
全国高校野球大会が始まる
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1917年
レーニンらボルシェヴィキがロマノフ朝ロシアを滅ぼし世界初の社会主義政権を樹立(ロシア革命)
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1918年
豊田佐吉の豊田自働織布工場が豊田紡織株式会社へ改組(現トヨタ紡織)
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1918年
松下幸之助が大阪市福島区大開で義弟の井植歳男らと松下電気器具製作所(パナソニック)を創業し改良ソケットで成長
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1918年
インフレ進行で小作争議が蔓延し「米騒動」で寺内正毅内閣退陣
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1918年
小林一三の箕面有馬電気軌道が阪神急行電鉄へ社名変更
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1918年
小林一三の宝塚少女歌劇団が東京帝国劇場初公演
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1918年
渋沢栄一の後援を得て五島慶太が田園都市株式会社(現東京急行電鉄)設立
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1918年
阪神急行電鉄の小林一三が五島慶太・田園都市(東急)の鉄道・宅地造成事業を支援
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1918年
シベリア出兵
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1918年
第一次世界大戦終結
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1919年
パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)
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1919年
小林一三の阪神急行電鉄が宝塚音楽歌劇学校創立
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1920年
国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す
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1920年
鮎川義介が久原財閥を承継し日産コンツェルンを形成
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1920年
小平浪平の日立製作所が鮎川義介の日産傘下で再編され株式会社へ改組
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1920年
小林一三の阪神急行電鉄が神戸本線 (十三- 神戸間)開業
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1920年
小林一三が阪急梅田ビルに白木屋百貨店を招致し洋食店「阪急食堂」開業(阪急百貨店創業)
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1920年
日本が初めて債権国となる
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1921年
安田善次郎が大磯の別荘で右翼生年に刺殺される
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1921年
神戸三菱・川崎両造船所ストライキ(戦前最大規模の労働争議)
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1921年
バーデン・バーデン密約~永田鉄山ら陸軍中堅幕僚の策動が始まる
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1921年
アメリカの工作により日英同盟が廃棄となる
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1922年
ソビエト社会主義共和国連邦樹立、スターリンが最高指導者となる
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1923年
石橋正二郎の日本足袋がゴム底「アサヒ地下足袋」を発売し作業現場の定番品となる
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1923年
関東大震災
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1924年
小林一三が宝塚市の現在地に宝塚大劇場を建設
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1924年
早川徳次が大阪阿倍野に早川金属工業研究所を設立(シャープ創業)、国産初の安価な鉱石ラジオで急成長
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1925年
豊田佐吉・豊田喜一郎の父子が「無停止杼換式自動織機(G型自動織機)」を発明し特許取得
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1925年
東京放送局がラジオ放送開始
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1925年
白木屋の契約満了に伴い小林一三が阪急梅田ビルの百貨店を直営の「阪急マーケット」へ切替え
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1925年
野間清司の大日本雄弁会(現講談社)が大衆誌『キング』を創刊し150万部を記録(1957年廃刊)
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1926年
大正天皇が崩御し昭和天皇が即位
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1927年
片岡直温蔵相の失言により金融恐慌が発生
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1927年
高橋是清蔵相が金融恐慌を沈静化、高橋は蔵相を依願退職
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1927年
小林一三が阪神急行電鉄の専務から社長へ昇格
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1928年
小林一三を世に出した岩下清周が死去
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1928年
蒋介石の国民革命軍が張作霖(日本の傀儡)の北京政府を打倒し北伐完了
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1928年
張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる
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1928年
張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化
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1928年
八木秀次東北帝大教授がテレビアンテナの原型「八木アンテナ」を開発、日本では理解されないが欧米の軍隊で採用が進む
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1929年
小林一三が「阪急マーケット」を大幅増改築し「阪急百貨店」開業
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1929年
小林一三の阪神急行電鉄が六甲山ホテル開業(阪急阪神第一ホテルグループ創業)
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1929年
永田鉄山の二葉会に木曜会が合流し「一夕会」が発足
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1929年
トーキー映画が日本上陸し映画産業が興隆
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1929年
軍部や松岡洋右満鉄副総裁の扇動で「満蒙生命線論」が興隆
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1929年
世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復
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1929年
農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける
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1930年
金解禁(金本位制復帰)
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1931年
石橋正二郎が久留米市にブリッヂストンタイヤ株式会社(現ブリヂストン)設立
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1931年
関東軍参謀の石原莞爾・板垣征四郎らが柳条湖事件を起し満州事変勃発
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1931年
朝鮮駐留軍の林銑十郎司令官が独断で越境増援、若槻禮次郞内閣が追認
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1931年
軍事費の急増が始まる
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1931年
新聞各紙の満州事変礼賛報道で好戦ムードが蔓延
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1932年
関東軍が満州全域を制圧
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1932年
満州国建国
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1932年
五・一五事件~海軍将校が武装蜂起し犬養毅首相を殺害(享年77)政党内閣が終焉
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1932年
小林一三が株式会社東京宝塚劇場(東宝)を設立
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1932年
第一次武装移民団が満州入植し満蒙開拓移民が始まる
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1932年
満州事変後の軍拡で重工業生産が急拡大し景気がV字回復
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1932年
日本の紡績業輸出が世界一のイギリスに並ぶ
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1933年
松岡洋右首席全権が国際連盟総会で脱退劇を演じ斎藤実政府は満州撤退勧告を拒否
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1933年
豊田喜一郎が豊田自動織機製作所内に自動車製作部門創設(トヨタ自動車創業)
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1934年
満鉄あじあ号が運行開始
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1934年
小林一三が阪神急行電鉄の社長を退き会長就任
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1934年
日本経済が世界恐慌前の水準に回復、軍需主導で更なる高度成長が続く
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1935年
陸軍統制派の首領永田鉄山が殺害される(相沢事件)
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1935年
石原莞爾が参謀本部作戦課長就任、陸軍中枢の指導的地位に就く
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1936年
二・二六事件
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1936年
広田弘毅内閣(外務官僚)発足~軍国主義化が一気に加速
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1936年
「満州開拓移民推進計画」決定
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1936年
日独防共協定調印
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1936年
広田弘毅内閣が「北守南進政策」を決定
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1936年
ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約廃棄
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1936年
小林一三が「阪急職業野球団」を結成(→阪急ブレーブス→オリックス・バファローズ)
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1936年
小林一三が阪神急行電鉄会長を辞任
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1937年
豊田喜一郎がトヨタ自動車工業株式会社設立、初代社長は豊田利三郎に譲り副社長就任
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1937年
林銑十郎内閣(陸軍)発足
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1937年
阪神急行電鉄が阪急西宮球場開設(現西宮スタジアム)
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1937年
小林一三が東宝映画株式会社(東宝)設立
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1937年
第一次近衛文麿内閣(公家・外相広田弘毅)発足~亡国の貴公子登場
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1937年
盧溝橋事件で日中戦争が始まる
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1937年
日中戦争不拡大を説く石原莞爾が失脚し華北分離を主張する武藤章・田中新一ら統制派が陸軍中央を掌握
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1937年
近衛文麿内閣の増派決定で日中戦争拡大
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1937年
日本軍が北京・天津・上海を攻略(第二次上海事変)
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1937年
石原莞爾の停戦案を近衛文麿首相と陸軍統制派が拒否
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1937年
第二次国共合作成立
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1937年
鮎川義介が石原莞爾ら陸軍の要請に応じ満州重工業開発株式会社を設立し日産の重工業部門を満州へ移転
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1937年
近衛文麿内閣が統制経済推進のため企画院を開設
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1937年
機械系輸出で自転車・自動車関連が躍進
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1938年
日本軍が武漢三鎮を占領するが蒋介石の国民政府は重慶へ退避
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1938年
近衛文麿首相がトラウトマンの日中戦争和解案を拒絶
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1938年
近衛文麿首相が「国民政府を対手とせず」と発表(第一次近衛声明)
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1938年
国家総動員法公布~軍国主義化の決定打
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1938年
近衛文麿首相が「東亜新秩序声明」~欧米を激しく挑発
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1938年
阪神急行電鉄が東京新橋に第一ホテル開業
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1939年
平沼騏一郎内閣(右翼・司法官僚)発足
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1939年
米穀配給統制法公布、生活物資の配給制が始まる
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1939年
天津事件、アメリカが日米通商航海条約破棄を通告
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1939年
阿部信行内閣(陸軍)発足
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1939年
ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発
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1939年
企画院事件
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1939年
武藤章が陸軍省軍務局長兼調査部長就任
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1940年
米内光政内閣(海軍)発足
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1940年
日本が汪兆銘を擁立して南京に中華民国政府を樹立
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1940年
第二次近衛文麿内閣(公家・外相松岡洋右・陸相東條英機)発足、小林一三が商工大臣就任
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1940年
アメリカが対日屑鉄輸出を全面禁止、ABCD包囲網による経済封鎖が本格化
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1940年
近衛文麿内閣が日独伊三国同盟を決定し英米が正面敵となる
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1940年
日本軍が北部仏領インドシナへ進駐し南進政策始動
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1940年
陸軍統制派で最強硬の田中新一が参謀本部第1部長に就任、対米妥協論の武藤章軍務局長と対立
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1940年
近衛文麿首相が大政翼賛会を結成し総裁就任
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1940年
海軍の出師準備発令
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1940年
最後の元老西園寺公望死去
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1940年
岡敬純・石川信吾ら対米強硬派が海軍を完全掌握し海軍国防政策委員会を設置
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1941年
企画院事件で小林一三商工相と岸信介商工次官が対立し両者辞任(後任商工相は豊田貞次郎)
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1941年
小林一三が貴族院議員に勅撰される(~1946)
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1941年
松岡洋右外相がナチス・ドイツのヒトラーを表敬訪問、シンガポール攻撃を吹込まれる
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1941年
松岡洋右外相がスターリンを訪問し電撃的に日ソ中立条約調印
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1941年
野村吉三郎駐米大使の日米和解交渉が松岡洋右外相の妨害により停止
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1941年
独ソ戦開戦
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1941年
第三次近衛文麿内閣(公家)発足、松岡洋右外相を放逐
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1941年
関東軍特種演習~対ソ連開戦に備えた関東軍増強
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1941年
南部仏領インドシナ進駐開始
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1941年
アメリカが対日石油輸出全面禁止
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1941年
御前会議で「帝国国策遂行要領」を定め対米開戦決意
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1941年
東條英機内閣(陸軍)発足
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1941年
アメリカの最後通牒(ハル・ノート)で日米交渉が決裂し御前会議で対米開戦決定
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1941年
日本海軍の真珠湾攻撃・陸軍のマレー侵攻で太平洋戦争勃発
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1942年
日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略
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1942年
日本軍がインドネシア全域を占領し石油供給源を獲得(シーレーン断絶で宝の持ち腐れとなる)
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1942年
阪神急行電鉄が関西配電(関西電力の前身)に電灯電力供給事業を譲渡
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1942年
ミッドウェー海戦で日本海軍大敗
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1943年
日本軍がソロモン沖海戦で敗北しガダルカナル島撤退
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1943年
ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏
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1943年
阪神急行電鉄が京阪電気鉄道を合併し京阪神急行電鉄に社名変更
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1943年
小林一三の東京宝塚劇場と東宝映画が合併し東宝株式会社発足
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1943年
米英中が「カイロ宣言」発表
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1944年
マリアナ沖海戦敗北・サイパン島陥落で日本の敗戦が決定的となる
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1944年
小磯國昭内閣(陸軍)発足
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1944年
小磯國昭内閣が徴兵年齢を拡大し「根こそぎ動員」
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1944年
レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅し南方補給路が断絶(伏見宮博恭王元帥の示唆で「特攻作戦」始動)
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1945年
米英ソがヤルタ会談(ソ連の対日参戦を秘密合意)
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1945年
陸海軍統帥部が「本土決戦完遂基本要綱」を決定
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1945年
東京大空襲はじめ米軍の空爆で全国主要都市が焼け野原と化す
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1945年
硫黄島陥落で日本軍は本土制空権も完全喪失
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1945年
沖縄戦が始まる
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1945年
ソ連が日ソ中立条約廃棄を通告
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1945年
鈴木貫太郎内閣(海軍)発足
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1945年
ドイツが連合国に降伏
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1945年
連合国がポツダム宣言発表
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1945年
トルーマン米大統領が広島に原子爆弾投下
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1945年
ソ連が日ソ中立条約を破り満州・樺太・朝鮮へ侵攻
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1945年
トルーマン米大統領が長崎に原子爆弾投下
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1945年
日本がポツダム宣言に基づく降伏を通告
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1945年
玉音放送
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1945年
東久邇宮稔彦王内閣(公家)発足
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1945年
マッカーサー連合軍最高司令官が着任し連合軍進駐開始
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1945年
日本代表の重光葵外相が降伏文書に調印し第二次世界大戦終結、ソ連は満州侵略を止めず北朝鮮まで制圧
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1945年
GHQが東條英機を逮捕し戦犯狩り始動
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1945年
御手洗毅の精機光学工業(キヤノン)が海軍等技術者を招聘し高級カメラ製作で事業再開(戦災で焼失した産科医院は再建断念)、進駐軍将校相手に盛況を呈す
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1945年
連合軍総司令部(GHQ)による間接統治開始(~1952)
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1945年
幣原喜重郎内閣(外務官僚・従米路線)発足、小林一三が国務大臣兼戦災復興院総裁就任
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1945年
GHQが財閥解体指令
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1946年
GHQが公職追放を発動し軍関係者を中心に約21万人が遭難(1951年解除)
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1946年
小林一三が公職追放を受ける
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1946年
GHQ指令に基づき労働組合法公布
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1946年
GHQが持株会社整理委員会を設置し財閥解体を本格化
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1946年
極東国際軍事裁判(東京裁判)開始(~1948)
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1946年
井深大・盛田昭夫が東京日本橋に東京通信工業設立(ソニー創業)
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1946年
本田宗一郎が浜松市に本田技術研究所を設立し原動機付自転車「バタバタ」が大ヒット(本田技研工業創業)
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1946年
吉田茂首相がGHQ作成「押付け憲法」を押通し日本国憲法公布
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1947年
マッカーサー元帥の「2・1ゼネスト」中止声明で労働組合運動が沈静化
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1947年
井植歳男(松下幸之助の義弟)がGHQ対策のため松下電器産業を退社し三洋電機創業(自転車用発電ランプ事業を承継)
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1947年
過度経済力集中排除法(財閥解体の施行細則)施行
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1947年
村田昭の村田製作所が田中哲郎京大助教授と共同で主力製品セラミックコンデンサの基礎となるチタン酸バリウム磁器素体の開発に成功
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1948年
東條英機(享年63)らA級戦犯7名の死刑執行、他の戦犯容疑者は釈放
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1949年
ドッジ・ライン(GHQによる超緊縮財政政策)が深刻な反動デフレを引起し日本産業界は壊滅に瀕す
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1949年
湯川秀樹が「中間子の存在の予想」で日本人初のノーベル物理学賞受賞
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1950年
ドッジ・ライン恐慌が深刻化、池田勇人蔵相は「中小企業の一部倒産やむなし」と発言
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1950年
トヨタ自動車工業が経営危機に陥り大規模労働争議も発生、豊田喜一郎が社長を引責辞任し石田退三へ交代
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1950年
朝鮮戦争勃発、米軍の特需で日本経済は蘇生しアメリカは破壊から復興へ対日政策を転換
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1951年
小林一三が公職追放を解かれ東宝社長に復帰
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1951年
サンフランシスコ講和条約および日米安保条約調印、衆参両院が批准承認
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1953年
テレビ放送開始
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1957年
中内功が末弟の中内力と大阪千林駅前に「主婦の店ダイエー薬局店」開業(ダイエー創業)
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1957年
小林一三が死去(享年84)
小林一三の交遊録
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福澤諭吉
大師匠
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岩下清周
出世の恩人
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中上川彦次郎
岩下の宿敵
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松永安左エ門
慶應同窓の親友
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犬養毅
慶應の大先輩
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武藤山治
慶應同窓の財界仲間
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渋沢栄一
財界総理
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根津嘉一郎
甲州財閥仲間
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若尾逸平
甲州財閥仲間
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雨宮敬次郎
甲州財閥仲間
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五島慶太
暴れ者の弟子
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堤康次郎
模倣者
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早川徳次
優秀な後進
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八木秀次
お見逸れしました
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豊田喜一郎
トヨタ創業者
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豊田佐吉
喜一郎の父
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石橋正二郎
ブリジストン創業者
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鮎川義介
日産創業者
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小平浪平
日立創業者
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松下幸之助
松下電器創業者・関西財界の後進
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中内功
ダイエー創業者・関西財界の後進
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大谷竹次郎
ライバル松竹の創業者
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出光佐三
出光興産創業者
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近衛文麿
入閣
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東條英機
入閣時の陸相
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岸信介
敵対した商工官僚
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平沼騏一郎
企画院事件首謀者
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幣原喜重郎
入閣
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マッカーサー
日本の破壊者
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ドッジ
日本経済の破壊者
小林一三と同じ時代の人物
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戦前
伊藤 博文
1841年 〜 1909年
100点※
高杉晋作の功山寺挙兵を支えた長州維新の功労者、大久保利通没後の明治政界を主導し内閣制度発足・大日本帝国憲法制定・帝国議会開設・不平等条約改正・日清戦争勝利を成遂げ国際協調と民権運動との融和を進めた大政治家
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
戦前
渋沢 栄一
1840年 〜 1931年
100点※
徳川慶喜の家臣から欧州遊学を経て大蔵省で井上馨の腹心となり、第一国立銀行を拠点に500以上の会社設立に関わり「日本資本主義の父」と称された官僚出身財界人の最高峰
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
戦前
豊田 喜一郎
1894年 〜 1952年
100点※
豊田佐吉の長男で共に画期的な動力織機を発明するが、繊維産業の凋落を見越し紡績から自動車への事業転換を敢行したトヨタグループ創業者
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照
年
基礎点 80点
小林一三は、鉄道・宅地造成・商業・娯楽施設の一体開発により沿線住民の生活を丸抱えする「私鉄経営モデル」で阪急東宝グループを築いた大衆消費社会のパイオニア、政商・軍閥ばかりの明治企業家で異彩を放つ存在である。甲州屈指の素封家に生れた小林一三は慶應義塾へ進み小説家を志すも挫折、三井銀行でヤル気の無い社会人となったが、大阪支店長の岩下清周との出会いで運命が一変、北浜銀行を創設した岩下の勧誘で設立間もない箕面有馬電気軌道の経営者となった。経営難の敗戦処理を託された小林一三だが、当時斬新なパンフレットで事業の将来性と「田園趣味に富める楽しき郊外生活」を謳い、甲州財閥を口説き資金調達に成功、現在の宝塚本線・箕面線の開業に漕ぎ着けると、沿線の土地買収と宅地造成で巨利を博し阪神急行電鉄へ改称した(→阪急電鉄)。さらに「阪急沿線の分譲住宅に住み、買物は阪急百貨店、レジャーも阪急宝塚で」という着想を得た小林一三は、終点の宝塚に宝塚新温泉を開設し唱歌隊(→宝塚歌劇団)で集客に注力、始点の大阪梅田にはターミナルビルを建てて阪急梅田百貨店を開業し、沿線土地の付加価値を膨らませつつ新規事業を開拓した。「鉄道王」小林一三の私鉄経営モデルは、五島慶太の東急・堤康次郎の西武・根津嘉一郎の東武らに踏襲され鉄道・レジャー産業発展の原動力となった。阪急百貨店は支店網を広げ全国ブランドへ成長し、数寄者の小林一三は温泉座興で始めた宝塚少女歌劇に巨費を投じ宝塚大劇場・東京宝塚劇場(略して東宝)・宝塚音楽歌劇学校を創設、帝国劇場など日比谷一帯の劇場も傘下に収め浅草の松竹と東京興行界を二分するに至り映画配給でも成功を収めた。ホテル事業を創業し(阪急阪神第一ホテルグループ)阪急ブレーブス・阪急西宮球場も作った小林一三は63歳で社業を退いたが、財界重鎮として東京電燈(東京電力)の経営再建や昭和肥料(昭和電工)設立に働き、第二次近衛文麿内閣の商工大臣も引受けた。第二次大戦後、小林一三は幣原喜重郎内閣に入閣したが公職追放に遭い、東宝社長に復帰し阪急東宝グループを同族経営を固めたあと84歳で永眠した。
加点 10点
平和産業ゆえか財閥解体を免れた阪急東宝グループは第二次大戦後の大衆消費社会で大発展を遂げ、小林一三の没後60年を経ても直系子孫による同族経営が円満に続いている。好き放題の事業で大成功を収めた小林一三は、死してなお最高の幸運を享受しているといえよう。なお阪急電鉄は、三男の小林米三から養子の小林公平へ受継がれ、公平の長男で小林一三の曾孫にあたる小林公一が常務取締役(宝塚歌劇団理事長を兼務)に就いている。東宝は、小林一三の次男で婿養子に出た松岡辰郎が承継し、嫡流の松岡功・松岡宏泰へ社長が受継がれており、テニスプレーヤーからテレビタレントとなった松岡修造は宏泰の弟である。