家業の花札・トランプ屋から「ファミコン」で家庭用ゲーム事業を興し世界的産業へ発展させた「任天堂」の実質的創業者、社員に「組長」と慕われ自己顕示を嫌い一匹狼を通した賢人
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦後
山内 溥
1927年 〜 2013年
80点※
家系・子孫
- 工芸職人の山内房治郎は1889年京都平安神宮の近くに「任天堂骨牌」を創業、「大統領印の花札」は関西一円の賭博場で定番となり、1902年日本初のトランプ製作も始め大いに繁盛した。山内房治郎には男児が無く一人娘貞の婿養子山内積良(旧姓金田)が任天堂2代目を承継、しかし積良も男児に恵まれず長女君の婿養子山内鹿之丞(旧姓稲葉)を後継に据えた。山内房治郎は親元の石灰問屋「灰岩」も引継ぎ「灰孝本店」を創業、こちらは山内積良の次女孝の婿養子山内源蔵(旧姓金田)に譲り分家独立させた。灰孝本店は小野田セメントの特約販売で基盤を成し土木建築業へ発展、2015年末も京都下京区に健在で山内源蔵の嫡孫山内一正が社長を務めている。さて、山内鹿之丞・君の間に生れた待望の男児が山内溥である。山内鹿之丞が近所の女性と駆落ちし山内溥は幼少から祖父母に育てられたが、渋谷区松涛の豪邸から早稲田大学に通う豪勢な青年期を過ごし、1949年山内積良の死に伴い22歳で任天堂3代目社長に就任、稲葉美智子と結婚し二男二女をもうけた。任天堂で世界的ゲーム産業を興した山内溥は、早くから引退を宣言するも後継者が定まらず、2002年本命視された長女陽子の婿荒川實を「任天堂の社長には向かない」と電撃解任し42歳の岩田聡を社長に大抜擢した。荒川實は、京都室町の繊維問屋の生れで米国MITから丸紅に入社、初期ファミコン時代から任天堂の米国進出に関わって「Nintendo of America」社長に迎えられ、MLB「シアトル・マリナーズ」買収でも中心的役割を果していた。無借金経営を信奉する山内溥は、商社マン感覚で市場開拓に多額の先行投資を費やす荒川實と決定的な意見対立があったというが、追放劇は今も「任天堂最大の謎」とされている。実質2代目の岩田聡は「Wii」のメガヒットで任天堂を日本3位の時価総額企業へ押上げたがリーマン・ショックで没落、挽回ならぬまま2015年55歳で急逝し「Nintendo of America」トップの君島達己が5代目社長を継いだ。なお、山内溥の長男山内克仁は、電通から任天堂に入り部長職に就いたが取締役にはなっていない。
山内溥と同じ時代の人物
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戦後
岸 信介
1896年 〜 1987年
100点※
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
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戦後
重光 葵
1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
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戦後
孫 正義
1957年 〜 年
100点※
在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
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