四日市の老舗呉服商をスーパー「ジャスコ」へ業態転換し豊富な資金力を武器にM&Aと「スクラップ&ビルド」で流通再編を牽引したGMS王国「イオン」の創業者、マイカル買収で躍進したがダイエー再建に苦戦
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦後
岡田 卓也
1925年 〜 年
60点※
家系・子孫
- 岡田卓也は、1758年創業「四日市岡田家」の7代目当主である。岡田家のルーツは桑名藩士の分家で、海運都市の四日市に住着き小間物の行商で財を成し、明治維新後は四日市繁華街に常設呉服店「岡田屋」を構え紡績工場も経営した。渋沢栄一を尊敬する6代目当主の岡田惣一郎は早稲田大学を出て岡田屋を継ぐと「株式会社岡田屋呉服店」へ改組し近代化を目指したが42歳で早世、幼少の長男岡田卓也に代わり姉の小嶋千鶴子が家業を切盛りした(他に姉3人)。学徒出陣から復員した岡田卓也は早稲田大学商学部に復学し1946年在学中に家業を相続、「大黒柱に車をつけよ」の家訓に従いスーパーマーケット「ジャスコ」へ業態転換し、豊富な資金力を武器に同業者の買収を繰返し「イオングループ」へ発展させた。岡田卓也は、三重県菰野の大地主高田家から保子夫人を迎え三男をもうけた。長男の岡田元也は父祖に倣って早稲田大学商学部を卒業し1997年四日市岡田家8代目当主とイオン社長を承継、三男は高田家を継ぎ高田昌也となった。次男の岡田克也は東大法学部から通産省へ進み、岡田卓也と親しい竹下登の薦めで衆議院議員へ転身、羽田孜・小沢一郎の新生党・新進党に従ったが袂を分かち、一派を率いて民主党結党に参加した。2004年岡田克也は民主党代表に就いたが翌年の衆院選挙で小泉純一郎の自民党に大敗し引責辞任、2009年政権交代が成り民主党政権が発足したが代表選で鳩山由紀夫に僅差で敗れ外務大臣・幹事長・内閣府特命担当大臣・副総理を歴任した。無能を晒した民主党は次の衆院選で惨敗し野党転落、2015年岡田克也は9年ぶりに代表に返咲いたが民主党は相変わらず烏合の衆である。岡田克也の妻多津子の実家は村上水軍の末裔を称する政治一家で、兄の村上誠一郎は自民党所属の衆議院議員で小泉純一郎内閣に入閣している。なお「三島村上水軍」の棟梁家は、能島と因島は長州藩の船手組組頭を世襲し来島(久留島)は幕末まで豊後森藩を相続、村上武吉に嫡流を奪われた系統は周防大島で島氏を名乗っており、愛媛県今治市の多津子の実家はいずれの本流でもない。
岡田卓也と同じ時代の人物
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戦後
岸 信介
1896年 〜 1987年
100点※
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
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戦後
重光 葵
1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
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戦後
孫 正義
1957年 〜 年
100点※
在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
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