戦後原付自転車「バタバタ」「カブ」で台頭し世界一の二輪車メーカーへ躍進、「町工場のオヤジ」のまま慢性的資金難を乗越え技術者魂を貫いた本田技研工業創業者
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照本田 宗一郎
1906年 〜 1991年
80点※
本田宗一郎の年表
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1906年
静岡県磐田郡光明村の鍛冶屋本田儀平の嫡子に本田宗一郎が出生
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1909年
日本の製糸業輸出が世界一となる
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1910年
伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化
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1910年
鮎川義介が大叔父井上馨の援助により戸畑鋳物株式会社(日立金属の前身)設立
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1910年
小平浪平が久原房之助の出資を得て日立鉱山傘下に日立製作所創業
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1911年
不平等条約改正で完全平等達成(関税自主権の完全回復)
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1911年
出光佐三が北九州市に出光商会を設立し日本石油特約店として機械油小売業を開始(出光興産創業)
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1912年
孫文ら辛亥革命が南京に中華民国を樹立し北洋軍閥・袁世凱の反旗で清朝滅亡
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1912年
明治天皇が崩御し大正天皇が即位
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1914年
第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫
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1915年
大隈重信内閣が袁世凱政府に「対華21カ条要求」を突きつける
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1918年
松下幸之助が大阪市福島区大開で義弟の井植歳男らと松下電気器具製作所(パナソニック)を創業し改良ソケットで成長
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1918年
インフレ進行で小作争議が蔓延し「米騒動」で寺内正毅内閣退陣
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1918年
第一次世界大戦終結
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1919年
パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)
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1920年
国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す
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1920年
鮎川義介が久原財閥を承継し日産コンツェルンを形成
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1920年
日本が初めて債権国となる
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1922年
本田宗一郎が高等小学校を卒業し東京湯島の自動車修理工場「アート商会」へ丁稚奉公
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1923年
関東大震災
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1924年
早川徳次が大阪阿倍野に早川金属工業研究所を設立(シャープ創業)、国産初の安価な鉱石ラジオで急成長
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1925年
東京放送局がラジオ放送開始
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1927年
片岡直温蔵相の失言により金融恐慌が発生
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1927年
高橋是清蔵相が金融恐慌を沈静化、高橋は蔵相を依願退職
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1928年
蒋介石の国民革命軍が張作霖(日本の傀儡)の北京政府を打倒し北伐完了
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1928年
張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる
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1928年
張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化
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1928年
八木秀次東北帝大教授がテレビアンテナの原型「八木アンテナ」を開発、日本では理解されないが欧米の軍隊で採用が進む
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1928年
本田宗一郎が暖簾分けで独立し自動車修理工場「アート商会浜松支店」設立
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1929年
東京石川島造船所(現IHI)から石川島自動車製造所(現いすゞ自動車)が独立
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1929年
トーキー映画が日本上陸し映画産業が興隆
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1929年
軍部や松岡洋右満鉄副総裁の扇動で「満蒙生命線論」が興隆
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1929年
世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復
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1929年
農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける
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1930年
金解禁(金本位制復帰)
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1930年
豊田佐吉死去
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1931年
石橋正二郎が久留米市にブリッヂストンタイヤ株式会社(現ブリヂストン)設立
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1931年
関東軍参謀の石原莞爾・板垣征四郎らが柳条湖事件を起し満州事変勃発
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1931年
朝鮮駐留軍の林銑十郎司令官が独断で越境増援、若槻禮次郞内閣が追認
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1931年
軍事費の急増が始まる
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1931年
新聞各紙の満州事変礼賛報道で好戦ムードが蔓延
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1931年
若槻禮次郞内閣が満州国建国方針を決定
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1932年
関東軍が満州全域を制圧
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1932年
満州国建国
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1932年
五・一五事件~海軍将校が武装蜂起し犬養毅首相を殺害(享年77)政党内閣が終焉
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1932年
満州事変後の軍拡で重工業生産が急拡大し景気がV字回復
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1933年
松岡洋右首席全権が国際連盟総会で脱退劇を演じ斎藤実政府は満州撤退勧告を拒否
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1933年
鮎川義介が自動車製造株式会社を設立しダットサンの製造開始(翌年日産自動車へ改称)
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1933年
豊田喜一郎が豊田自動織機製作所内に自動車製作部門創設(トヨタ自動車創業)
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1934年
林銑十郎が陸相に就任し永田鉄山ら統制派が陸軍中央を掌握
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1934年
満鉄あじあ号が運行開始
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1934年
日本経済が世界恐慌前の水準に回復、軍需主導で更なる高度成長が続く
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1936年
自動車製造事業法施行、日産自動車と豊田自動織機自動車部が許可会社指定を受ける
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1936年
二・二六事件
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1936年
広田弘毅内閣(外務官僚)発足~軍国主義化が一気に加速
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1936年
日独防共協定調印
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1936年
広田弘毅内閣が「北守南進政策」を決定
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1936年
ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約廃棄
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1936年
第1回全国自動車競走大会(多摩川スピードウェイ)に出場するが事故負傷でリタイア
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1937年
第一次近衛文麿内閣(公家・外相広田弘毅)発足~亡国の貴公子登場
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1937年
盧溝橋事件で日中戦争が始まる
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1937年
日中戦争不拡大を説く石原莞爾が失脚し華北分離を主張する武藤章・田中新一ら統制派が陸軍中央を掌握
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1937年
近衛文麿内閣の増派決定で日中戦争拡大
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1937年
第二次国共合作成立
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1937年
鮎川義介が石原莞爾ら陸軍の要請に応じ満州重工業開発株式会社を設立し日産の重工業部門を満州へ移転
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1937年
豊田喜一郎がトヨタ自動車工業株式会社設立、初代社長は豊田利三郎に譲り副社長就任
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1937年
東京自動車工業株式会社(現いすゞ自動車)設立
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1937年
本田宗一郎がアート商会浜松支店のかたわら工業部品製造の東海精機重工業株式会社設立、浜松高等工業学校機械科の聴講生として3年間学ぶ
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1937年
機械系輸出で自転車・自動車関連が躍進
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1938年
陸軍が豊田喜一郎のトヨタ自動車工業・鮎川義介の日産自動車に軍用トラック増産を要請
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1938年
近衛文麿首相が「国民政府を対手とせず」と発表(第一次近衛声明)
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1938年
国家総動員法公布~軍国主義化の決定打
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1938年
豊田喜一郎のトヨタ自動車工業で挙母工場竣工(挙母は1859年豊田市へ地名変更)
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1938年
近衛文麿首相が「東亜新秩序声明」~欧米を激しく挑発
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1939年
米穀配給統制法公布、生活物資の配給制が始まる
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1939年
ノモンハン事件勃発
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1939年
天津事件、アメリカが日米通商航海条約破棄を通告
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1939年
独ソ不可侵条約調印
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1939年
ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発
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1939年
本田宗一郎がアート商会浜松支店を従業員の川島末男に譲渡し東海精機重工業の経営に専念
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1940年
第二次近衛文麿内閣(公家)発足(松岡洋右外相・東條英機陸相)
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1940年
アメリカが対日屑鉄輸出を全面禁止、ABCD包囲網による経済封鎖が本格化
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1940年
近衛文麿内閣が日独伊三国同盟を決定し英米が正面敵となる
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1940年
日本軍が北部仏領インドシナへ進駐し南進政策始動
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1940年
近衛文麿首相が大政翼賛会を結成し総裁就任
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1941年
豊田喜一郎がトヨタ自動車工業の社長に昇格、陸軍用トラック製造で業容拡大
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1941年
松岡洋右外相がスターリンを訪問し電撃的に日ソ中立条約調印
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1941年
独ソ戦開戦
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1941年
第三次近衛文麿内閣(公家)発足、松岡洋右外相を放逐
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1941年
関東軍特種演習~対ソ連開戦に備えた関東軍増強
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1941年
南部仏領インドシナ進駐開始
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1941年
アメリカが対日石油輸出全面禁止
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1941年
御前会議で「帝国国策遂行要領」を定め対米開戦決意
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1941年
東條英機内閣(陸軍)発足
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1941年
アメリカの最後通牒(ハル・ノート)で日米交渉が決裂し御前会議で対米開戦決定
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1941年
日本海軍の真珠湾攻撃・陸軍のマレー侵攻で太平洋戦争勃発
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1942年
日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略
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1942年
日本軍がインドネシア全域を占領し石油供給源を獲得(シーレーン断絶で宝の持ち腐れとなる)
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1942年
ミッドウェー海戦で日本海軍大敗
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1942年
鮎川義介が満州重工業開発総裁を辞任し日産コンツェルンは満州から全面撤退
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1942年
東海精機重工業がトヨタ自動車工業の出資を受入れ社長の本田宗一郎は専務に退く
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1943年
日本軍がソロモン沖海戦で敗北しガダルカナル島撤退
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1943年
ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏
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1943年
米英中が「カイロ宣言」発表
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1944年
マリアナ沖海戦敗北・サイパン島陥落で日本の敗戦が決定的となる
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1944年
小磯國昭内閣(陸軍)発足
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1944年
ブレトン・ウッズ協定、金本位制に基づく対ドル固定相場制の導入
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1944年
村田昭が村田製作所を創業し「三菱電機伊丹製作所協力工場」として軍需品チタンコンデンサの製造開始
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1944年
小磯國昭内閣が徴兵年齢を拡大し「根こそぎ動員」
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1944年
レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅し南方補給路が断絶(伏見宮博恭王元帥の示唆で「特攻作戦」始動)
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1945年
三河地震で東海精機重工業浜松工場が倒壊、本田宗一郎は全持株を豊田自動織機に売却し退社
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1945年
米英ソがヤルタ会談(ソ連の対日参戦を秘密合意)
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1945年
陸海軍統帥部が「本土決戦完遂基本要綱」を決定
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1945年
東京大空襲はじめ米軍の空爆で全国主要都市が焼け野原と化す
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1945年
硫黄島陥落で日本軍は本土制空権も完全喪失
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1945年
沖縄戦が始まる
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1945年
ソ連が日ソ中立条約廃棄を通告
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1945年
鈴木貫太郎内閣(海軍)発足
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1945年
ドイツが連合国に降伏
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1945年
連合国がポツダム宣言発表
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1945年
トルーマンが広島に原子爆弾投下
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1945年
ソ連が日ソ中立条約を破り満州・樺太・朝鮮へ侵攻
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1945年
トルーマンが長崎に原子爆弾投下
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1945年
日本がポツダム宣言に基づく降伏を通告
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1945年
玉音放送
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1945年
全国都市部に闇市が勃興(新宿・小津組、浅草・芝田組、池袋・関口組、銀座・上田組、新橋・松田組・・・)
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1945年
東久邇宮稔彦王首相の「一億総懺悔」発言で敗戦原因究明がうやむやとなる
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1945年
マッカーサー連合軍最高司令官が着任し連合軍進駐開始
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1945年
日本代表の重光葵外相が降伏文書に調印し第二次世界大戦終結、ソ連は満州侵略を止めず北朝鮮まで制圧
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1945年
GHQが言論統制を発動し民間検閲支隊による徹底的な検閲を開始
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1945年
GHQが東條英機を逮捕し戦犯狩り始動
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1945年
GHQが自主路線の重光葵外相を更迭し超従米路線の吉田茂に外相交代
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1945年
米国務省が「降伏後における米国の初期対日方針」決定
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1945年
御手洗毅の精機光学工業(キヤノン)が海軍等技術者を招聘し高級カメラ製作で事業再開(戦災で焼失した産科医院は再建断念)、進駐軍将校相手に盛況を呈す
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1945年
連合軍総司令部(GHQ)による間接統治開始(~1952)
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1945年
GHQが五大改革指令
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1945年
マッカーサーが日本軍の武装解体完了を宣言
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1945年
国際連合発足
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1945年
雑誌の創刊・復刊ブーム
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1945年
GHQが財閥解体指令
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1945年
陸軍省・海軍省が復員省に改組され700万人以上の復員軍人を処理
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1945年
衆議院議員選挙法改定(婦人参政権容認)、「GHQ解散」
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1946年
天皇の「人間宣言」(神格否定の詔書公表)
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1946年
GHQが公職追放を発動し軍関係者を中心に約21万人が遭難(1951年解除)
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1946年
インフレ抑制のため預金封鎖・新円切替を断行
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1946年
GHQ指令に基づき労働組合法公布
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1946年
国際通貨基金(IMF)発足
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1946年
新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)
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1946年
GHQが持株会社整理委員会を設置し財閥解体を本格化
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1946年
トヨタ自動車工業グループが財閥指定を受ける
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1946年
親米派財界人により経済同友会発足
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1946年
極東国際軍事裁判(東京裁判)開始(~1948)
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1946年
井深大・盛田昭夫が東京日本橋に東京通信工業設立(ソニー創業)
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1946年
GHQが自主路線の鳩山一郎を公職追放し第一党自由党の後継総裁に吉田茂が就任
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1946年
第一次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任
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1946年
経済安定本部(安本)・物価庁設置
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1946年
復興金融公庫法・戦時保障特別措置法成立
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1946年
吉田茂内閣がGHQ指令に従い破壊的改革を強いる第二次農地改革法を制定
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1946年
本田宗一郎が浜松市に本田技術研究所を設立し原動機付自転車「バタバタ」が大ヒット(本田技研工業創業)
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1946年
吉田茂首相がGHQ作成「押付け憲法」を押通し日本国憲法公布
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1946年
吉田茂内閣で「戦後処理費(米軍駐留経費)」が膨張し一般歳出の32%を占める
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1946年
吉田茂内閣が閣議で鉄鋼・石炭の「傾斜生産方式」採用を決定
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1947年
手塚治虫(大坂医専学生)の長編漫画単行本『新寳島』が累計40万部の大ヒットで「赤本」ブームを巻起す(戦後ストーリー漫画の原点)
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1947年
マッカーサー元帥の「2・1ゼネスト」中止声明で労働組合運動が沈静化
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1947年
井植歳男が松下電器からの暖簾分けで三洋電機製作所(三洋電機)創業
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1947年
GHQにより独占禁止法制定
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1947年
GHQ作成日本国憲法施行
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1947年
石油配給公団発足に伴い出光興産が販売店指定を獲得し石油業界に復帰(出光商会を吸収合併)
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1947年
過度経済力集中排除法(財閥解体の施行細則)施行
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1947年
民法改正(夫婦平等・戸主権や長子相続権の廃止・自由結婚など)
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1947年
本田宗一郎の本田技術研究所がA型自転車用補助動力エンジンを開発
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1947年
村田昭の村田製作所が田中哲郎京大助教授と共同で主力製品セラミックコンデンサの基礎となるチタン酸バリウム磁器素体の開発に成功
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1948年
本田宗一郎の本田技術研究所(浜松市)が本田技研工業株式会社へ改組
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1948年
GHQ参謀第2部が民政局を打倒し第二次吉田茂内閣(民主自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相兼任
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1948年
米政府が「国家安全保障会議文書」において日本経済の破壊から復興への180度戦略転換を確定
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1948年
GHQが日本解体方針を緩和し「経済安定九原則」発表
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1948年
東條英機(享年63)らA級戦犯7名の死刑執行、他の戦犯容疑者は釈放
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1949年
米軍が日本の再軍備方針を決定
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1949年
ドッジ・ライン(GHQによる超緊縮財政政策)が深刻な反動デフレを引起し日本産業界は壊滅に瀕す
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1949年
GHQが1ドル=360円の単一為替レートを設定
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1949年
ドッジ・ラインに基づく国鉄人員整理発表、下山事件・三鷹事件・松川事件
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1949年
シャウプ勧告(税制改革指令)
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1949年
ソ連の核実験成功で東西冷戦が本格化
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1949年
湯川秀樹が「中間子の存在の予想」で日本人初のノーベル物理学賞受賞
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1949年
中島飛行機技術者が設立した「たま電気自動車」(プリンス自動車工業へ改称)に石橋正二郎が出資し会長就任
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1949年
本田宗一郎の本田技研工業が経営担当に藤沢武夫を採用
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1950年
ドッジ・ライン恐慌が深刻化、池田勇人蔵相は「中小企業の一部倒産やむなし」と発言
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1950年
トヨタ自動車工業が経営危機に陥り大規模労働争議も発生、豊田喜一郎が社長を引責辞任し石田退三へ交代
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1950年
朝鮮戦争勃発、米軍の特需で日本経済は蘇生しアメリカは破壊から復興へ対日政策を転換
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1950年
GHQと反共の吉田茂首相がレッド・パージを開始し約1万2千人を公職追放(逆コース)
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1950年
GHQ指令を受け吉田茂政府が国家警察予備隊(自衛隊)創設
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1950年
池田勇人蔵相が「貧乏人は麦を食え」発言
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1950年
産業別労働人口:第一次産業48,5%・第二次21.8%・第三次29.6%
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1951年
公職追放解除
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1951年
ブリヂストンタイヤが米グッドイヤー社と技術導入契約を締結(1979年解消)
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1952年
豊田喜一郎が社長復帰を目前に死去
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1952年
サンフランシスコ講和条約・日米安保条約・行政協定が発効、GHQは廃止され日本は独立を達成
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1952年
血のメーデー事件(2人射殺・逮捕者1230人)
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1952年
財閥解体の緩和が進み三井生命保険・住友銀行など財閥商号も復活
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1952年
東京都内のジーンズショップが100店を超える
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1952年
池田勇人通産相が「中小企業の倒産・自殺やむなし」の失言で引責辞任
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1952年
本田宗一郎の本田技研工業が小型バイク「カブ」を発売し大ヒット
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1953年
早川徳次の早川電機工業(シャープ)が国産初の白黒テレビ発売
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1953年
テレビ放送開始
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1953年
出光佐三の出光興産「日章丸二世」が英国海軍の監視をかわしイランから原油搬入、BPが積荷の所有権を主張するが東京地裁で出光興産の勝訴決定(日章丸事件)
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1953年
朝鮮戦争休戦、反動需要減に日銀の金融引き締めが拍車をかけ長期不況に陥る
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1953年
本田宗一郎の本田技研工業が浜松市から東京八重洲へ本社移転
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1953年
林正之助・林弘高の吉本興業が力道山(元大相撲関脇)を迎え日本プロレス協会(日本プロレスリング興業株式会社)設立、テレビ放送でプロレス・ブーム到来(1957年人気低落に伴い吉本興業は撤退)
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1954年
集団就職列車はじまる(~1975)
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1954年
朝日新聞が「国民所得戦前水準を抜く/消費増で国際収支赤字」と報道
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1954年
第一次鳩山一郎内閣(民主党・党人派・自主路線)発足、重光葵が外相兼副総理就任
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1954年
本田技研工業が店頭市場に株式公開、本田宗一郎が欧州視察
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1954年
高度経済成長はじまる(~1973)
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1955年
井深大の東京通信工業(ソニー)が国産初のトランジスタラジオを発売し商標「SONY」で世界的大ヒット
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1955年
日本がGATT(関税及び貿易に関する一般協定)加盟
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1955年
保守合同で自由民主党(鳩山一郎総裁・岸信介幹事長、衆院299議席・参院69議席)が発足し「55年体制」開始
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1955年
アメリカの意を受けた中曽根康弘主導で「原子力の平和利用」促進のための原子力基本法成立
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1955年
本田宗一郎の本田技研工業が二輪車生産台数日本一達成
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1956年
原子力基本法に基づき原子力委員会が発足し正力松太郎が初代委員長就任(委員にノーベル物理学賞受賞の湯川秀樹ら)
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1956年
鳩山一郎政府が経済白書に「もはや戦後ではない」と記し戦後復興完了を宣言
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1956年
日本・フィリピン国交回復(賠償金1980億円・借款900億円)
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1956年
自主路線の鳩山一郎内閣が日ソ国交回復を達成
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1956年
日ソ国交回復を受け国際連合が日本の加盟を承認、重光葵外相の国連総会演説が賞賛される
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1956年
石橋湛山内閣(自民党・言論人・自主路線)発足、岸信介が外務大臣就任
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1956年
公団住宅の供給がはじまる
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1957年
第一次岸信介内閣(自民党・経済官僚・自主路線)発足、岸信介が外務大臣兼任(藤山愛一郎と途中交代)
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1957年
欧州経済共同体(EEC)発足
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1957年
原子力政策推進のため科学技術庁が発足し米CIAに属す正力松太郎が初代長官就任、湯川秀樹が原子力委員会委員辞任で抗議
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1957年
岸信介が首相として初めてビルマ・インド・インドネシア・パキスタン・セイロン・タイ・台湾を歴訪
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1957年
岸信介首相が「外交三原則」でアジア重視の外交方針を宣言
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1957年
中内功が末弟の中内力と大阪千林駅前に「主婦の店ダイエー薬局店」開業(ダイエー創業)
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1957年
電力9社と電源開発の出資により日本原子力発電株式会社設立
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1957年
本田宗一郎の本田技研工業が東京証券取引所へ指定替え
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1958年
日本・インドネシア国交回復(賠償金803億円・無償供与636億円・借款1440億円)
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1958年
安藤百福が即席麺「チキンラーメン」を発売しテレビCMで大ヒット(日清食品創業)
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1958年
東京タワー開業
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1958年
全学連・社会党・総評が岸信介政権を攻撃し「安保闘争」が過熱
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1958年
本田宗一郎の本田技研工業が「スーパーカブC100」を発売し世界的大ヒット
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1959年
『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』創刊
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1959年
稲盛和夫がファインセラミックス専門メーカー「京都セラミック」設立(京セラ創業)
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1959年
三井三池争議、「総資本対総労働の対決」に組合側敗北
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1959年
本田宗一郎の本田技研工業が米国ロサンゼルスに現地法人設立
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1960年
日本・ベトナム国交回復(賠償金140億円・借款59億円)
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1960年
日米新安保条約・地位協定発効
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1960年
東芝が国産第1号のカラーテレビ発売
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1960年
第一次池田勇人内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
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1960年
石油輸出国機構 (OPEC) 設立
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1960年
池田勇人内閣が「所得倍増計画」を閣議決定
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1960年
ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否
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1960年
本田宗一郎が本田技研工業から研究開発部門を分離させ株式会社本田技術研究所・鈴鹿製作所設立
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1960年
産業別労働人口:第一次産業32.7%・第二次29.1%・第三次38.2%
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1961年
アイゼンハワー米大統領が退任演説で「軍産複合体」の危険性を警告
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1961年
高原慶一朗が愛媛県川之江市(現四国中央市)に建材加工の大成化工を設立し2年後生理用ナプキンの生産開始(ユニ・チャーム創業)
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1961年
日本経済団体連合会(経団連)発足
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1961年
本田宗一郎の本田技研工業が旧西ドイツに「ヨーロッパ・ホンダ」設立
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1961年
電気洗濯機の世帯普及率が50%突破
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1962年
キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避
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1962年
池田勇人首相が欧州7ヶ国を歴訪しGATT35条撤回およびOECD加盟の交渉が前進
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1962年
池田勇人内閣が米政府の反対を押切り中国と「LT貿易」合意
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1963年
日本初のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始
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1963年
日本がGATT11条国へ移行(GATT35条適用撤廃、為替・貿易原則自由化)
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1963年
『花の生涯』でNHK大河ドラマが始まる
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1963年
本田宗一郎の本田技研工業が軽トラックを発売し四輪車事業に参入
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1963年
日本原子力研究所が日本で最初の原子力発電を実施(「原子力の日」)
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1963年
キヤノンカメラが世界初のオートフォーカス「キャノンAFカメラ」発売、世界市場でドイツ勢・ライカを凌駕
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1963年
本田宗一郎が特定産業振興臨時措置法案に猛反対し翌年廃案となる
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1963年
本田宗一郎の本田技研工業がベルギーに小型二輪車組立工場「ホンダ・ベネルクス」開設
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1964年
日本がIMF8条国へ移行(為替取引制限撤廃)
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1964年
日本人の海外旅行自由化(IMF・OECD加盟による)
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1964年
ニチメン・三和銀行ら3商社5銀行が共同出資で大阪市堂島にオリエント・リースを設立し米国直輸入でリース業開始(オリックス創業)、初代社長はニチメンの福井慶三社長が兼務し社員の宮内義彦らが出向
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1964年
日本が経済協力開発機構(OECD)加盟
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1964年
米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化
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1964年
IMF・世界銀行東京総会
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1964年
東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通
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1964年
東京オリンピック
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1964年
中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)
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1964年
第一次佐藤栄作内閣(自民党・鉄道官僚・自主路線)発足
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1965年
日韓基本条約調印
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1965年
李光耀のシンガポールがマレーシアから独立
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1965年
インドネシアでクーデター未遂事件(9月30日事件)、スカルノ大統領が失脚しスハルトが政権奪取
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1965年
日本初のカラーテレビアニメシリーズ『ジャングル大帝』(原作手塚治虫・制作虫プロダクション)放送開始、虫プロの版権部門を独立させ「虫プロ商事」設立、手塚治虫がニューヨーク世界博覧会でウォルト・ディズニーと初対面
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1965年
日本・ビルマ(ミャンマー)国交回復(賠償金1224億円)
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1965年
日韓国交回復(無償供与1080億円・借款720億円・民間借款1080億円超)
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1965年
電気冷蔵庫の世帯普及率が50%突破
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1966年
『ウルトラマン』のテレビ放送開始
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1966年
日産自動車が経営難のプリンス自動車工業を吸収合併
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1967年
公害問題が深刻化し四大公害訴訟はじまる(水俣病・第二水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病)
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1967年
欧州共同体(EC)発足
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1967年
公害対策基本法施行
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1967年
東南アジア諸国連合(ASEAN)発足
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1968年
全共闘運動が全国の大学に広がる
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1968年
少年誌『週刊少年ジャンプ』・青年誌『ビッグコミック』『プレイコミック』創刊
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1968年
インテル設立
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1968年
日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる
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1969年
『週刊少年チャンピオン』創刊
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1969年
テレビアニメ『サザエさん』(長谷川町子原作)放送開始
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1969年
ウォルマート設立
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1969年
佐藤栄作首相とニクソン米大統領が沖縄返還を基本合意、核兵器持込み容認と日本の繊維輸出自主規制を密約
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1969年
御手洗毅のキヤノンが独占企業ゼロックスの特許を使わない複写機を開発しシェア急伸
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1969年
冷戦のデタント時代(~1979)
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1970年
日本万国博覧会が大阪で開催され万博史上最高6422万人の入場者数を記録
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1970年
岡田卓也の岡田屋がフタギ・オカダヤチェーン・カワムラ・ジャスコを吸収合併し「ジャスコ株式会社」設立(→イオン)、三重県四日市から大阪市福島区へ本社移転
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1970年
佐藤栄作内閣が日米新安保条約・地位協定の継続を選択
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1970年
電気洗濯機の世帯普及率が90%突破
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1970年
対日貿易を中心にアメリカの貿易赤字が拡大
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1970年
産業別労働人口:第一次産業19.3%・第二次34.0%・第三次46.6%
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1971年
『仮面ライダー』(石ノ森章太郎原作)のテレビ放送開始
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1971年
環境庁発足
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1971年
ニクソン米大統領が訪中宣言(ニクソン・ショック)、繊維問題の報復で日本は蚊帳の外
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1971年
ニクソン米大統領がドル兌換停止宣言(ニクソン・ショック)、ブレトン・ウッズ体制(金本位制に基づく対ドル固定相場制)が崩壊し急激な円高が日本の輸出産業を直撃
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1971年
安藤百福の日清食品が「カップヌードル」を発売しカップ麺ブームが始まる
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1971年
アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)
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1971年
ドル切下げにより1ドル360円から308円となる
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1971年
電気冷蔵庫の世帯普及率が90%突破
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1972年
札幌冬季オリンピック
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1972年
連合赤軍あさま山荘事件
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1972年
ニクソン訪中、繊維問題の報復で米国務省は「尖閣問題」の日本支持を修正
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1972年
沖縄返還
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1972年
富士通で稲葉清右衛門が計算制御部を分社化して「富士通ファナック」を設立し専務取締役就任(ファナック創業)
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1972年
田中角栄が「日本列島改造論」発表
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1972年
第一次田中角栄内閣(自民党・土建業・自主路線)発足
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1972年
「日本列島改造論」の田中角栄政権で高速道路・地方鉄道の建設ラッシュが始まる
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1972年
中内功のダイエーが三越を抜き小売業売上高日本一を達成
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1972年
田中角栄首相が訪中し日中国交正常化(台湾が日本に国交断絶を通告し台湾断交)、ニクソン・キッシンジャー米政権は激怒
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1972年
本田宗一郎の本田技研工業が「ホンダ・シビック」発売、低公害エンジン「CVCC」の開発に成功
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1972年
カラーテレビの世帯普及率が50%突破
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1973年
『仁義なき戦い』(深作欣二監督)上映
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1973年
日本を含む各国が変動相場制へ移行し円急騰
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1973年
鈴木修常務の鈴木自動車工業(スズキ)が軽自動車販売で日本一となる(~2006)
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1973年
藤子不二雄原作『ドラえもん』のテレビアニメ放送開始
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1973年
永守重信が京都市で日本電産を創業し精密小型モーター製造開始
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1973年
松下電器産業の年商1兆円突破に伴い会長の松下幸之助が相談役に退く
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1973年
第四次中東戦争、エジプト・シリア軍の先制攻撃にイスラエル軍が大苦戦
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1973年
第一次オイルショック(狂乱物価と省エネブーム)で高度経済成長が終焉、田中角栄内閣の「日本列島改造」は挫折し福田赳夫の総需要抑制策へ転換
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1973年
巨人が9年連続でセリーグと日本シリーズを制覇(V9)、王貞治は打率355(生涯最高)・本塁打51・打点114で悲願の三冠王となりシーズンMVP獲得
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1973年
手塚治虫の虫プロ商事・虫プロダクション倒産、人気低迷のうえ多額の保証債務を抱えるが『週刊少年チャンピオン』連載の『ブラック・ジャック』・『週刊少年マガジン』連載の『三つ目がとおる』で復活
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1973年
本田技研工業が経営危機に陥り本田宗一郎が藤沢武夫副社長を道連れに社長辞任(後任社長は技術者の河島喜好)
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1973年
カラーテレビの世帯普及率が白黒テレビを突破
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1974年
田中角栄首相が東南アジア歴訪し「資源外交」を展開、米CIAは反日暴動扇動で妨害
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1974年
鈴木敏文のヨークセブン(イトーヨーカ堂の子会社)が東京豊洲にセブン-イレブン1号店開業
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1974年
鄧小平が訪米し新日本製鐵等からの技術導入を号令
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1974年
滝崎武光が尼崎市にリード電機設立(キーエンス創業)
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1974年
立花隆が『文藝春秋』で「田中角栄研究 その人脈と金脈」を発表、アメリカと従米派による田中角栄下しが始まる
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1974年
テレビアニメシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』(松本零士原作)放送開始
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1974年
巨人の連続日本一がV9で終わり長嶋茂雄が現役引退し川上哲治の後任監督に就任~生涯成績は打率305(首位打者6回)・本塁打444(本塁打王2回)・打点1522(打点王5回)・シーズンMVP5回、王貞治は三冠王とシーズンMVPを2年連続獲得
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1974年
フォード米大統領が現職として初めて訪日し田中角栄首相と会談
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1974年
三木武夫内閣(自民党・従米路線)発足
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1974年
電源三法成立で原発建設への交付金制度確立
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1975年
サイゴン陥落により共産軍勝利でベトナム戦争終結
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1975年
中内功のダイエーが「ダイエーローソン株式会社」でCVSに参入し豊中市にローソン1号店開業
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1975年
ビル・ゲイツがマイクロソフト創業
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1975年
広島カープがセリーグ初優勝(長嶋茂雄監督の巨人は最下位)
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1975年
第1回先進国首脳会議(サミット)開催、米英仏日独伊が参加
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1975年
カラーテレビの世帯普及率が90%突破
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1975年
戦後2度目の国債発行、赤字国債発行が恒常化(~1989)
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1976年
スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータ設立
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1976年
田中角栄前首相がロッキード事件で逮捕される
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1976年
毛沢東が死去し華国鋒が中国最高指導者を継承、四人組逮捕により文化大革命終結
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1976年
福田赳夫内閣(自民党・財務官僚・自主路線)発足
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1976年
本田宗一郎の本田技研工業が「ホンダ・アコード」発売
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1977年
カーター米大統領が在韓地上軍の削減を発表し米国の「アジア離れ」が始まる
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1977年
福田赳夫首相がASEANを歴訪し「福田ドクトリン」「全方位平和外交」声明
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1977年
第10期3中全会で鄧小平が復活し中共中央の実権を掌握
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1977年
「ビデオ戦争」で日本ビクター・松下電器産業(VHS方式)がソニー(ベータ方式)に勝利
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1977年
日本人の平均寿命が男女共に世界一となる
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1978年
日中平和友好条約締結
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1978年
鄧小平が日中平和友好条約批准で訪日し昭和天皇と会談し新日鉄・トヨタ・松下電器等を視察
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1978年
第11期3中全会で鄧小平指導部が文革否定・改革開放路線決定
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1978年
「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」運用開始
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1978年
第一次大平正芳内閣(自民党・財務官僚・従米路線)発足
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1978年
本田宗一郎の本田技研工業が「ホンダ・ベルノ店」を開設し販売チャネル複線化
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1978年
乗用車の世帯普及率が50%突破
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1979年
鄧小平が訪米し米中国交樹立、「米中対ソ」の対立構図が鮮明となる
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1979年
ホメイニーのイスラム勢力が米英の傀儡パーレビ王朝を滅ぼし(イラン革命)第二次オイルショック発生
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1979年
テレビアニメ『機動戦士ガンダム』放送開始
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1979年
『Japan as Number One: Lessons for America』(ジャパン・アズ・ナンバーワン)刊行
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1979年
大平正芳首相が訪米し福田赳夫前首相の「全方位外交」を引込め「日米同盟」を強調
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1979年
松下幸之助が私財70億円を投じ財団法人松下政経塾設立
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1979年
井深大のソニーがウォークマン(WALKMAN)を発売し世界中で革命的大ヒット
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1979年
アフガニスタン紛争で米ソ衝突(~1989)、デタントが終焉し冷戦が激化
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1979年
電電公社が世界で初めて車載電話の実用化に成功
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1979年
本田宗一郎の本田技研工業が米国オハイオ州に現地生産工場開設、英国BLCars社と業務提携
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1980年
山内溥の任天堂が携帯ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」を発売し大ヒット
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1980年
岡田卓也のジャスコ(現イオン)がコンビニ「ミニストップ」を設立し横浜市大倉山に1号店開業
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1980年
鈴木善幸内閣(自民党・漁協職員・自主路線)発足
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1980年
イラン・イラク戦争勃発(アメリカによるイラン叩き)(~1988)
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1980年
巨人の王貞治が現役引退し助監督就任~生涯成績は打率301(首位打者5回)・本塁打868(本塁打王15回)・打点2170(打点王13回)・三冠王2回・シーズンMVP9回、3年連続V逸で長嶋茂雄から藤田元司へ監督交代
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1980年
日本の自動車生産が1千万台を突破し米国を抜いて世界一
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1980年
産業別労働人口:第一次産業10.9%・第二次33.6%・第三次55.4%
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1981年
ロナルド・レーガン(共和党)が米大統領就任(~1989)~軍核戦争と富裕層減税で「双子の赤字」膨張、日本経済的視政策への転換
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1981年
日本が対米乗用車輸出の自主規制開始(年間168万台からスタート)
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1981年
第11期6中全会で華国鋒が失脚し鄧小平が胡耀邦・趙紫陽を従え支配体制確立
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1981年
孫正義が福岡市に「ユニソン・ワールド」・東京に「日本ソフトバンク」設立(ソフトバンク創業)、家業のパチンコ店の全国展開を断念するが翌年ハドソンと契約しPCソフト卸売市場を独占、「Oh! PC」「Oh! MZ」でPC関連書籍出版に進出
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1982年
東北新幹線・上越新幹線開業
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1982年
第一次中曽根康弘内閣(自民党・従米路線)発足
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1983年
中曽根康弘首相が韓国の全斗煥大統領を訪問、アメリカの対韓経済援助40億ドルの肩代わり献金を決定
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1983年
中曽根康弘首相が訪米し「不沈空母」発言が物議を醸すが訂正せず
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1983年
東京ディズニーランド開園
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1983年
世論調査で「レジャー・余暇生活」が「今後の生活の力点」でトップとなる
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1983年
本田技研工業で本田宗一郎が藤沢武夫と共に取締役を退任し終身最高顧問就任、河島喜好から久米是志へ社長交代
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1983年
山内溥の任天堂が「ファミリーコンピュータ」を発売し家庭用ゲーム機産業の嚆矢となる
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1983年
AT&T創業
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1983年
鈴木修の鈴木自動車工業(スズキ)がインド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ社」で小型車生産開始、インド市場でシェア5割へ躍進
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1984年
グリコ・森永事件
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1984年
宮崎駿監督の劇場アニメ映画『風の谷のナウシカ』上映、宮崎駿の個人事務所「二馬力」設立
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1984年
御手洗毅死去
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1984年
稲盛和夫の京セラが中心となり第二電電(DDI→KDDI)創業
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1985年
ソ連でゴルバチョフが政権を掌握しペレストロイカ(再建)・グラスノスチ(情報公開)を断行
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1985年
中曽根康弘政権下で日本電信電話公社が民営化されNTTグループ発足
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1985年
中曽根康弘政権下で日本専売公社が民営化され日本たばこ産業株式会社 (JT) 発足
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1985年
アメリカが通商法301条に基づき100%関税など日本製品への制裁を開始
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1985年
女子差別撤廃条約批准のため男女雇用機会均等法成立
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1985年
山内溥の任天堂がゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』発売(2015年現在も任天堂の代表キャラに君臨)
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1985年
プラザ合意(中曽根康弘内閣による円高容認)、1ドル240円から一気に円高が加速し日本経済の長期低迷と製造業の空洞化が始まる
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1985年
本田宗一郎の本田技研工業が「ホンダ・プリモ店」開設(販売店3チャネル体制)・ホンダ青山ビル竣工・最上級車「レジェンド」発売
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1985年
エアコンの世帯普及率が50%突破
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1986年
鳥山明原作『ドラゴンボール』のテレビアニメ放送開始
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1986年
ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故
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1986年
エニックスがゲームソフト『ドラゴンクエスト』発売・『ドラゴンボール』の鳥山明がキャラクターデザインを担当
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1986年
日米半導体協定で中曽根康弘首相が日本市場の20%分の米国製半導体輸入を容認
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1986年
「円高不況」打開のため積極的な金融・財政政策が採られ「バブル景気」が始まる
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1986年
本田宗一郎の本田技研工業が二足歩行ロボットの研究に着手(「ASIMO」に結実)
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1986年
ODAが50億ドル突破・アジア向けが急増
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1987年
中国で保守派が巻返し革新派の胡耀邦総書記(鄧小平の腹心)が失脚
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1987年
中曽根康弘政権下で国鉄が分割民営化されJR各社発足
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1987年
竹下登・金丸信が小沢一郎・小渕恵三・橋本龍太郎ら「竹下派七奉行」を従え田中角栄の派閥を乗取り「経世会」発足
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1987年
ニューヨーク株式市場大暴落(ブラックマンデー)
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1987年
竹下登内閣(自由民主党・自主路線)発足
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1987年
スクウェアがゲームソフト『ファイナルファンタジー』発売
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1988年
アメリカがスーパー301条により対日制裁を強化
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1988年
青函トンネル開業
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1988年
瀬戸大橋開通
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1988年
朝日新聞報道によりリクルート事件発生
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1988年
FRBが日本叩きのBIS規制を導入し(自己資本比率8%)邦銀が消極姿勢に転換
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1988年
イラン・イラク戦争終結
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1988年
藤沢武夫死去
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1989年
昭和天皇が崩御し平成に改元
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1989年
ジョージ・H・W・ブッシュ(共和党)が米大統領就任(~1993)~冷戦に代わる中東戦争演出と「バードンシェアリング(防衛責任の増強)」強要
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1989年
「マンガの神様」手塚治虫死去
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1989年
竹下登政権が初の消費税導入(3%)
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1989年
山内溥の任天堂が携帯ゲーム機「ゲームボーイ」発売
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1989年
高度経済成長を象徴する松下幸之助が死去(享年94)
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1989年
日米構造協議(アメリカによる内政干渉)開始
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1989年
第一次海部俊樹内閣(自民党三木三木武夫系・従米路線)発足
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1989年
最大派閥経世会の小沢一郎が自民党幹事長就任(~1891)
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1989年
三菱地所のロックフェラーセンター買収・ソニーのコロンビア映画買収でジャパンバッシングに拍車
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1989年
アジア太平洋経済協力(APEC)発足
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1989年
「ベルリンの壁」崩壊
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1989年
H・W・ブッシュ米大統領とゴルバチョフソソ連書記長がマルタ会談で冷戦終結を宣言
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1989年
バブル潰しの土地基本法成立
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1989年
本田技研工業創業者の本田宗一郎がアジア人初の米国自動車殿堂入り
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1989年
日経平均株価の終値最高値更新(38915.87円)
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1990年
「土地関連融資抑制に関する行政指導(総量規制)」を機に一気に信用収縮へ向かう
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1990年
久米是志に代わり川本信彦が本田技研工業社長に就任
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1990年
ゴルバチョフのライバル・エリツィンがロシアの実権掌握
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1990年
ドイツ再統一
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1990年
山内溥の任天堂が「スーパーファミコン」を発売し世界的ゲーム産業を創出
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1990年
世界の金融機関総資産ランキングで邦銀7行がベスト10入り
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1990年
産業別労働人口:第一次産業7.1%・第二次33.3%・第三次59.0%
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1990年
15年ぶりに赤字国債発行停止
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1991年
「米国の死活的脅威」を問う世論調査で「日本の経済力」が断トツ1位に
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1991年
湾岸戦争勃発(ソ連に代わる新しい敵・増長したフセインの粛清)、日本は130億ドルの資金協力、米ドル乱発による超円高時代はじまる
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1991年
バブル崩壊(「失われた10年」)
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1991年
バブル潰しの金融証券不祥事摘発はじまる
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1991年
ティム・バーナーズ=リーがWorldWideWebを公開
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1991年
本田技研工業終身最高顧問の本田宗一郎が死去(享年84)
年
本田宗一郎と同じ時代の人物
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戦後
岸 信介
1896年 〜 1987年
100点※
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
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戦後
重光 葵
1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
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戦後
孫 正義
1957年 〜 年
100点※
在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
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