GUP式SPA(製造小売業)に倣い中国等に開発輸入体制を構築、「ユニクロ」でアパレル業界に価格破壊を起し流通企業最大の株式時価総額を達成した「ファーストリテイリング」創業者
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照戦後
柳井 正
1949年 〜 年
60点※
家系・子孫
- 柳井正の創業の礎を作ったのは伯父の柳井政雄である。山口市小郡の牛馬商に生れた柳井政雄は、兄を頼り京都へ出奔するが暴力事件で追返され、宇部市の炭鉱で働くうち極道となり出入りの乱闘で投獄された。出獄した柳井政雄は、叔父の柳井傳一(全国水平社創立大会にも参加した山口支部重鎮)の援助を得て表向き実業へ転じ、宇部の顔役となり山口市議も務めた。柳井政雄は山口県の部落解放運動(同和予算獲得)を牽引し、一時は松本治一郎から後継者の扱いを受けたが、同和利権を巡る対立で部落解放同盟・社会党から離脱した。地元の佐藤栄作に接近した柳井政雄は自民党系同和団体(全日本同和会)を立上げ会長に収まったが、同和融資不正で辞任に追込まれた。柳井政雄は同和事業の他に木賃宿・運搬業・木材加工・質屋などを手掛けたが、1946年金物や日用雑貨を扱う「小郡商事」を開業し(闇屋か)、戦地から復員した弟の柳井等に同社の服飾部門を任せた。1949年柳井等は宇部市商店街に紳士服店「メンズショップ小郡商事」を開業し、1963年「株式会社小郡商事」へ改組した。柳井等は一男三女を生し、長男の柳井正は早稲田大学政治経済学部を卒業しジャスコに入社するも僅か半年で退職、宇部へ戻って小郡商事を盛立て1984年社長を継ぎ「ユニクロ」出店開始、1991年社名を「ファーストリテイリング」へ改めた。柳井正は「世襲はしない」と公言し、2002年玉塚元一に社長を譲るが3年で解任し社長復帰、2人の息子を執行役員に就け2013年公約の社長引退を翻し続投を表明した。長男の柳井一海は、ボストン大学大学院でMBAを取得しゴールドマン・サックスに入社、転職した「リンク・セオリー・ジャパン」がファーストリテイリングに買収され会長に収まり、2012年兼任で本体の執行役員となった。次男の柳井康治は三菱商事を経て2012年ファーストリテイリングに入社し翌年執行役員に抜擢されている。ファーストリテイリングの株式総額は4兆円に達し、一族で株式の30%を握る柳井正は親友の孫正義に次ぐ世界的大富豪となったが、資産保全と経営が一体化し世襲へ奔ったものと考えられる。
柳井正と同じ時代の人物
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戦後
岸 信介
1896年 〜 1987年
100点※
戦前は満州国の統制経済を牽引し東條英機内閣の商工大臣も務めた「革新官僚」、米国要人に食込みCIAから資金援助を得つつ日米安保条約の不平等是正に挑んだ智謀抜群の「昭和の妖怪」
※サイト運営者の寸評に基づく点数。算出方法は詳細ページ参照 -
戦後
重光 葵
1887年 〜 1957年
100点※
戦前は日中提携・欧州戦争不関与を訴え続け外相として降伏文書に調印、アメリカ=吉田茂政権に反抗しA級戦犯にされたが鳩山一郎内閣で外相に復帰し自主外交路線を敷いた「ラストサムライ」
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戦後
孫 正義
1957年 〜 年
100点※
在日商魂と米国式経営を融合し日本一の大富豪へ上り詰めた「ソフトバンク」創業者、M&Aと再投資を繰返す「時価総額経営」の天才はヤフー・アリババで巨利を博し日本テレコム・ボーダフォン・米国スプリントを次々買収し携帯キャリア世界3位に躍進
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